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追放された悪役令嬢と孤児院の少女  作者: 影月命
第一章 辺境の孤児院
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episode5 密告者の本懐

部屋から出てウォロウスと別れた私は、覚束ない足取りで薄暗い回廊を渡り歩く。

侍従らによって掃除の行き届いた廊下はそれだけで使用人としての厳格さが伺える。


漆喰の壁には無知蒙昧で学がない私にとっては名も知らない名画家の美術品が飾られ、大理石でできたタイルの床には縁に金の刺繍があしらわれた深紅の絨毯が敷かれている。


しかし私は、それら気品と上品の象徴とも呼べる景観をただ一縷いちるの感慨すら抱かずに眺めていた。

否、むしろその光景に薄ら寒い忌避感すら抱いていた。

朝方であるにも関わらずあたりは奇妙なほどに仄暗い。

光源としてあるのは白亜の壁に等間隔に設置されたランタンの灯火のみ。


それもそのはず、ふと隣の窓から外に視線を送ると天候が先刻よりも悪化していた。

陰鬱とした石灰色の雲で一面覆われた空から幾筋もの雨が降り注いだことで中庭には水たまりができ、湿った風によって敷地内に伸びる木々が揺れている。


今や全くの他人となってしまったウォロウスは私を勘当する際、着ている服を金銭に変えるといいと言った。


俯き、自身の恰好をチェックする。

深紅を基調とした上等なシルクに、黄金の刺繍レリーフの施された絢爛で豪奢なドレス。

胸元にはルビーの嵌め込まれたブローチが装飾され、左の耳朶にも同様のルビーのシンプルなデザインのピアスが飾られている。

右手の人差し指には輪っかに精緻な紋様の描かれた翡翠色の輝くエメラルドの指輪が通されている。

これら全てを商人に買い取ってもらった場合、はたして何日ほど衣食住を手にすることができるだろうか。

そんな近い未来を思い浮かべ人知れずため息をつく。

そんな思索に耽ながら、階下の広間に続く階段を降りようとしたその時——


「むんっ!?」


背後から何者かに布で口元を覆われる。

なに!?まさか侵入者が!?

突然発生した事柄に階段上だったこともあり、バランスを崩して尻落ちを突く。


「んんんっ!」


大声で助けを呼ぼうとするが、布が邪魔をして上手く声が出ない。

動きづらいドレスだったこともあり、立ち上がることもできず、素性の知らぬ襲撃者によってすぐ傍らのドアの奥へと入れられる。

その部屋は電気もなく非常に薄暗く、私を悪寒で戦慄させる。


「ふーっ!ふーっ!」


半ばパニック状態になった私は息を荒げながら自らの身体を拘束する素顔も知らない闖入者ちんにゅうしゃの腕を掴み必死に暴れた。

流石に父に勘当されて爵位を剥奪されたとはいえ、無様で無残な死に方はしたくなかったので、我武者羅に抵抗するのも仕方がない。

しかし、直後放たれた不審者の一言によって足りない膂力で掴んでいた腕を力なく放り出した。


「そんなに暴れないでよ——お姉ちゃん」


耳元で囁かれた吐息の入り混じった甘い声色。

まるで朦朧とした微睡みから意識が覚醒するように頭が冷える。


悪戯心を含んだ声音に私は安堵で項垂れると同時に、何とも言えない憤怒を覚えた。


「照明をつけて」


私の怒気で張り詰めた声での命令に従うように、声の主は立ち上がり、小さな足音をたてて傍らのランプを付けた。

暖かみのある光芒が辺りを照らす。

どうやらここは寝室のようだ。

私たちの豪華な寝室とは違い、二台あるベッドは質素であったので、侍女たちの部屋だということが伺えられる。

そして復活した視界の中に一人の少女がいた。


上質な絹のような金の髪は外はねのショートヘアで左のサイドが編み込まれ、蝶を象った群青色のヘアピンで固定されている。

右耳には刺々しい青と銀の悪趣味なピアスがびっしりと並び、見る者に妙な威圧感を与える。

彼女の虹彩は私と違い、父の遺伝子を受け継いでいるため紺青色だ。

少女は私と目が合うと、その濃紺色の双眸を細め、悪戯ッ子のように口の端を吊り上げる。



「こんなことしてどういうつもり?——リオ」


そう。彼女こそが私の妹にしてラズフォンド侯爵家の次女、リオ・ラズフォンドだ。


「別に。お姉ちゃんの恐怖で引きつった顔が見たかっただけ」


リオは不適な笑みを真顔に戻すと窓のカーテンを開き、私の質問に素っ気ない返答をよこして、私より頭一個分小柄な体躯をベッドに腰掛けさせた。


今日は外出する予定がないのか、いつも着ている青いドレスではなく、ラフな寝巻き姿の恰好をしている。


リオは端麗な容姿を持っているが、私とはまた系統の違う美貌を持つ。

狸顔と言ったらいいのだろうか。少し膨らみのある輪郭で眸はたれ目気味。

そういった顔立ちの要素は彼女の短躯とも相まってか弱い小動物のような印象をうける。

だがその実、私と共犯して幾多の事件などで暗躍した凶暴で凶悪な悪女だ。

その童女のような外見を逆手にとって数多の男たちを上目遣いで誘惑して欺いていたのだろう。


そんな悪逆非道たるリオは現在も小悪魔的魅力をアピールするため寝巻きは萌え袖にしている。

別に私をドキドキさせようとしているわけではない。

ただ彼女は自己の可愛さに自分自身で陶酔しているだけなのだ。

それが彼女の性格の特徴ともいえるだろう。


私は寡黙なままジト目でリオを熟視し続けるが、彼女はこの沈黙すらも興趣の一つだと言わんばかりにショートパンツから伸びた陶磁器のように美しい二つの生足を、振り子のように左右に揺らしていた。


しばしそうした後に、不意に口を開く。


「そういえばお姉ちゃんって」

「え?」

「パパに絶縁されたんでしょ?」

「っ!」


さっきの疲労でドアに預けていた身体をがばっと起き上がらせる。


「だ、誰からそんな話をっ?!……まさか、お父上から事前に」

「そんなんじゃないよ。たださっきお姉ちゃんとパパの他愛もなぁい会話をちょこっと小耳に挟んだだけだよ」


片目を閉じて親指と人差し指でことの小ささを表現する。


「……盗み聞き?」

「ちょっ!人聞きの悪いこと言わないでよ。私はただあの部屋の近くに立ってただけだよ。二人の声とか外に漏れてたし。あそこを通った人とかには会話の内容とか筒抜けだと思うよ?」

「あの場にいたって言うの?」

「そうだよ。お姉ちゃんが部屋から出てから廊下を歩く時だってずっと背後にいたし。でも気づかなかったでしょ」


気づかなかった。

というより、今報告されたことで若干全身が粟立った気がした。

そんな怯懦は心の中で噛み殺しながら首を縦に振って首肯する。


「あはっ!やっぱり!流石は私、隠密行動には慣れてるんだよね~」


うんうんと頷きながら自画自賛するリオ。

そんな態度をとる彼女に苛立ちを覚え、軽く睨みつける。

すると突然、リオはスッと目を細め冷然とした口調で一言呟いた。


「お姉ちゃんってさ……まだパパのことお父上って呼んでるの?」


短刀で胸を刺突されたような気がした。

リオのそのたった一言に息をのむ。

その私の僅かな動向を見逃さなかったリオは、心底愉快げに破顔した。


「あれ~?お姉ちゃんってパパに絶交されたんでしょ?じゃあなんで未だに父親のように読んでるの?もう貴女はただの庶民なんだから、パパのことを呼ぶときはウォロウス・ラズフォンド侯爵閣下か、あるいは領主様と敬称するべきでしょう?」


私の憤慨する表情を覗き込むように見つめるリオ。

その苛立ちを覚える仕草に対し、私は震える声で彼女の名を呼んだ。


「リオォ……」

「ひぃい、呼び捨てで呼ばないでよ。ちゃんと私のことはリオ様って呼んで。平民がうつっちゃうから」


言いながらリオは両手で左右別々の腕を擦って寒がる動作をする。

私の一挙手一投足を観察するリオはクスクスと喉を擦るように耳障りな笑声をあげる。


「まあそうかっかしないで。ベッドに座ってよ。うーんと……ロナリア」


リオはあろうことか姉であるはずの私を呼び捨てで呼んだ。

そのままリオは、妹の無礼に憤懣ふんまんが募り、奥歯をギリギリと噛みしめる私をベッドに座らせる。

その際、私の嫌悪感を露にした表情を見て、彼女は露骨に液体窒素の視線で見咎める。


「なーにその眼?たかだか下賤な愚民如きがこの侯爵家の跡取りである私に口答えする気なの?随分と生意気な態度だね」


私より年下の妹であるにも関わらず、蜜のように甘い響きを帯びた艶美えんびな声音。

リオはしばし侮蔑の眼差しでベッドに座る私を見下すように眺めると、何か閃いたというように「そうだ!」と手を打ち、いきなり顔を近づけてきた。

不意の接近に思わず身を引くが、彼女はそんな私の動向を気にする素振りも見せずにさらに唇を耳元に近づけた。


「もうロナリアとは会わないだろうし、いい機会だから教えるね。ロナリアの悪事を審問官に暴露したのって——私なんだ」



ピシャーン!ゴロゴロ!


刹那、突如訪れたいかづちが部屋と室内にいる二人の少女を照らす。

一人の女は愉悦と狂喜を顔面に貼り付け、もう一人の少女は悲哀と驚愕を表情に浮かべていた。


直後轟いた雷鳴を、しかし私は一切の意識も向けることができなかった。

青天の霹靂へきれき

そう形容するほかないほどの悪辣な衝撃が私を襲う。


リオの言葉の意味を正確に理解するまで何度も反芻する。

その中で最初に浮かんだ言葉は、裏切られたという落胆よりも、どうしてこんなことをしたのかという疑問だった。


私たち姉妹は幼少期から運命共同体というほどに仲が良かった。

私は姉としてリオを慈愛の対象として見ていた。

リオの方も妹として私に恭敬の念を抱いていると思っていた。

何か悪事を働くときだって姉妹同士協力してきたっていうのに。


あの時見せた純朴な笑顔も、児戯のような愛の言葉も、全て虚偽と虚言で塗り固められた欺瞞ぎまんだったっていうのだろうか。


「リオ……」


その声色と表情から私の真意を汲み取ったのか、リオは滔々と話し出す。


「なんで密告したのか教えてほしそうな顔してるねロナリア」

「………」

「いいよ。教えてあげる。私はね、侯爵の座が欲しかったの。でも跡取りになるのは長子なのが相場でしょ。だから次女の烙印が押されてる私としてはロナリアが羨ましくてしょうがなかったの」


だから長女である私を陥れて次女のリオがラズフォンドの家系を受け継ぐ蓋然性を高めるようにしようとしたのか。


「リオ、どうして。私はリオのこと仲間だと思ってたのに!」


私の悲痛な叫びもリオの次の言葉で一蹴されてしまう。


「私、ロナリアのこと仲間だと思ったことないよ?むしろ邪魔だったっていうか~」


その台詞はどんな陰湿な悪罵よりも的確に私の心を抉った。

その言葉でリオに裏切られたという事実が如実に現れてくる。


「あはっ!もしかしてロナリア、自分が裏切られてショック受けてる?自分はあれだけたくさんの男や女を騙して貶めたりして愉快に高笑いしてたのに。ロナリア、君って本当に傲慢だね」


その一言で怒りが臨界点に達する。

その行動はリオに対してなんの反駁はんばくも異論も見いだせなかったことを実質肯定するようなものだが、焦慮で正常な思考ができない私は気づかない。

私は血眼になりながらリオを睥睨し、彼女に掴みかかろうとした。

だがリオはそんな私を軽々避けて間合いを取る。

そして飄々とした口調で呟く。


「あれ~?いいのかな?私を襲って」

「………何が言いたいの?」

「私、審問官と裏で繋がってるんだよ」

「っ!……」

「そ、れ、に!ロナリアの刑を軽くしたのも私なんだよ?」


こてんと小首を傾げながらリオは告げる。

さらなる衝撃が二倍で襲い掛かり、瞠目する。


「だからロナリアは命の恩人である私に感謝しないと」

「い、いつから」


震える声で問いかけると、彼女は人差し指を可愛く顎に当てあっけらかんと答えた。


「つい最近かな。あの人の生々しい不祥事を入手して脅したら簡単に言いなりになっちゃって。それにあの人、若い頃は色んな女性と遊んでたんだろうね。枯らしたら捨てようと思ってたんだけど、私自身もあの人のじゃなきゃ満足できない身体になっちゃった」


恍惚とした濃紺の双眸で惚気話をするリオ。

なんとも言えない悪寒が襲い、中途半端に起き上がらせた身体を身震いさせる。

リオは自分を呆然と凝視しつづける私を見て喜色の哄笑をあげた。

それはもう、この絶望を堪能するために私を助けたと言わんばかりに……。

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