episode4 勘当
王都から西方に位置するエリアにラズフォンド侯爵領は存在していた。
侯爵領の管轄内にある領地の人民は領主であるウォロウス・ラズフォンド侯爵に税金を納める義務がある。
その万民の血税の賜物である侯爵邸の外観はまさに威容な屋敷であった。
城のような豪邸、領地の大半をしめているんじゃないかと思わせる大面積の中庭、襲撃者を徹底的に阻止する厳重なセキュリティを誇る堀。それら幾多の要素は持ち主の高潔さや尊大さを示唆していた。
普段なら給仕服を身に纏った侍女が如雨露で花壇に咲く花に水をやったり、庭の手入れをしている頃だが、生憎と今朝は小雨がぽつぽつと振っているため、邸宅内で清掃をしている。
そんないつもとは少し暗めな伯爵邸のとある一室では陰惨とした空気が充溢していた。
かつて私が利用していた自室だ。
十六畳半という一人だけで利用するには広すぎる部屋で、寝室と併用しているため壁の真ん中から中央へ伸びるように気品を象徴する天蓋付きベッドが設置されている。
寝具以外にも華美な文机や椅子、箪笥といった家具、来賓者に品格をアピールするための精緻な金縁が嵌められた絵画などの調度品が設えられ、天井には部屋を明るく照らすシャンデリアが装飾されていた。
そんな瀟洒な部屋に似合わず眼前に立つ皺の目立ってきた白皙の壮年は沈鬱な表情を浮かべていた。
清潔感のあるショートヘアは私と同じ金色で異なる点と言えば虹彩の色がサファイア色といったところか。服装は純白のズボンとシャツに濃紺の刺繍の施された厚手のロングコートを羽織っている。スラッとした彼の体躯だからこそ似合う代物だ。
そう、この長身痩躯の美丈夫こそが、侯爵家第七代当主たるウォロウス・ラズフォンド、私の父親だ。
重苦しい沈黙があたりを支配する。
最初にこの静寂を切り裂いたのは父であるウォロウスからだった。
「……いつからこんなことをしていた」
質問の真意を測りかねたが、ここで黙秘を貫き通せば待っているのは地獄だと確信していたので正直に答える。
「三年前からよ」
吐露した言葉にウォロウスは苦虫を嚙み潰したように、あるいは今にも泣き出しそうに表情を歪めた。
「なぜこんな残酷で愚かなことをした。なぜ」
その声はひどく震えていて、今にも爆発してしまいそうな憤激を必死に堪えているのがひしひしと伝わる。
俯いて彼の表情が翳る。
「ごめんなさい」
その一言が琴線に触れたようにウォロウスは紺青色の双眸でキッと睨み、叫ぶ。
「ロナリア!おまえは自分がどれほどの人を傷つけたのかほんとに理解しているのか!おまえの軽佻浮薄の所業によってローゼッタ子爵家の人たちがどれだけ苦しめられたと思っている!謝って済む問題じゃないんだぞ?!」
それは慟哭とすら呼べる獣の咆哮であった。
理性の侯爵と謳われたウォロウスがここまで取り乱すのも無理はない。
私は今まで両親に対して猫を被っていたのだ。
裏では私領地民や爵位をもつ家柄の令嬢を虐げていても、ウォロウス、あるいはソフィアの前では気品で誠実な心優しい淑女を演じてきた。
憤然とした態度をとるラズフォンド領の領主は、さぞ裏切られたと嘆いているだろう。
そして騙した私に対して失望すらしているかもしれない。
しかし私は、そんな悲哀に嘆く彼に冷笑してみせた。
「……さい…」
「……は?」
小声で聞き取れなかったウォロウスが怪訝な表情で訊き返す。
その行動に対し苛立ちを覚えた私は、怒気を孕んだ金切り声をあげる。
「うるさいって言ったのよ!このクズ!」
私の正体がバレてしまったのなら、もう本性を隠し通す義理もない。
あらいざらい暴露して開き直ってやるわ!
「汚らわしいアバズレを虐めて何の問題があるっていうのよ。何も問題ないでしょう!」
突如豹変して支離滅裂な論理をたてる私を凝視して、自分との家庭生活が欺瞞だったことを悟るウォロウス。
侯爵という地位をもつラズフォンド家の跡取りとして、嫡女である私は優秀な継承者になるとウォロウスは期待していた。
しかし、それは大きなミスであることをたった今気づいてしまった。
掌が食い込むほど握りしめていた拳を、力なく緩める。
ウォロウスは今、自身がひどく冷静でいることに違和感を覚えたが、それは私に落胆したからだと一人で納得する。
流石の楽天家である彼も今回ばかりは私にこれ以上の希望を見出すことはできなかった。
そうなれば次期当主の座も考え直さねばならない。
ラズフォンド家の長女が候補者から除外されたとあらば、自ずと次の後継者は決まってくる。
次女であるリオ・ラズフォンドだ。
妹である彼女になら、この領地と臣民の管理を任せてもいいだろう。
僅かな沈思黙考の果てにそう結論付けたウォロウス。
しばらく虚空を彷徨ていた彼の視線が、据わった眸で私を見定める。
「ロナリア、悲しいよ私は」
「………」
「何も答えてくれないんだね……詫びもしない、反省もしない、そんな自己中心的で傍若無人な女は私の娘じゃない——君とは勘当だ。もう二度と私の敷地を跨がないでくれ」
ウォロウスは傲岸不遜で厚顔無恥な赤の他人を侮蔑でもするように、私を見つめていた。
刹那、私は息を鋭く吸い込んだものの、勢いのままに捲し立てた。
「ええ、こっちこそ絶交よ。もう二度とあんたらの顔なんか見たくないわ!」
勘当ということは親子の縁を切るということだ。
それ即ち、私はもうこの貴族という身分を捨てたということ。
我ながら愚かなことをした。
「どうした。早く出ていきなさい」
醜悪な魔物でも見るように眉を顰め、絶対零度の冷たさで言い放つウォロウス。
そんな彼に対し私は語気を強めて、
「言われなくてもそうするわよ!」
地団太を踏むように足音をたててドアまで向かう私。
ノブに手をかけ開いたところでウォロウスが最後に一言呟いた。
「君が着ているドレスはあげるよ。最低限の路銀だと思ってさっさと売却することだ」
しかし私は振り返りもせず、返事すらせず、部屋から退室した。