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追放された悪役令嬢と孤児院の少女  作者: 影月命
第一章 辺境の孤児院
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episode2 地下牢の一時

コツコツという硬質な足音。

水を打つような静寂は、その物音をより室内に木霊させ私の不安と焦燥を駆り立てた。


煤けた襤褸ぼろ切れのような麻布の敷かれたベッドから腰を起こし、ひんやりと冷えた壁と天井と同じ黒一色の無味乾燥な床を踏み、一室の出入り口でもある鉄格子の隙間からその外側の世界を覗き込む。


そこでは先程の足音の正体である看守服を着崩した獄吏ごくりが丁度到着したところだった。

彼と目が合った瞬間、つい警戒して鉄格子から身を引いてしまったのは仕方のないことだろう。


なんせ彼の容姿は中々どうして普通ではない。

黒い蓬髪を看守帽に包み、無精髭を生やした口の端には煙草が咥えられ、その棒の先端からは身体に実害をもたらしそうな悪質な白い煙がもうもうと存在感を誇示するように舞っている。

端の吊り上がった双眸からは漆黒色の三白眼が覗き、目深に被った帽子のつばがその人相の悪さをさらに際立たせる。

この壮年の男の特徴はこれだけではない。

その証拠として目の下から顎にかけて古い刀傷の痕のようなものが刻まれている。

今でもくっきりその傷跡が残ってる様子から当時かなり深い損傷を負ったことが窺えた。

そして厚みの服からは隠しきれない偉丈夫な体躯。


それこそ現役を引退した百戦錬磨の猛者のような風格がそこにある。


精悍な顔立ちの壮年は露骨に畏怖と戦慄を露にする私を気にも留めずに呟いた。


「食事の時間だ。これでも食って大人しくしていろ」


その声音は突き放すように冷徹で冷酷だった。

乱暴に檻から私の足元に放り込まれたものは簡素なトレイだった。

その上にはカビてしまっていそうで虫が食べるような堅焼きパンと粗悪な木皿に盛られたヘドロのような汁物が載せられていた。


そろそろ夕食の時間か。

そういえば今日は昼から何も食べていなかった。

そう思うと突然、飢餓感と口渇感に襲われ、食欲が湧いてきた。


私がその今晩のメニューに目を向けているうちに、用事が済んだ獄吏は行ってしまったようで再び無人独特の沈黙が襲う。

ぼーっと立ち往生しても仕方がないのでトレイを手に取り、ベッドに再び腰掛ける。


堅焼きパンはいいとして、この汁物の具は……なんだろう。何かの穀物をすりつぶしたものかしら。

じーっと凝視したところで目が疲れるだけで何も欲求は満たされないので試しにパンの方をかじってみる。


「硬っ!」


その上非常に不味い!

時間の経って鮮度の落ちたパンを十回ほど洗って干されたような味だ。

とにかく言葉を失うほど筆舌に尽くしがたい美食家が卒倒してしまうほどの不味い味をしている。

あまりの不味さに口から戻しそうになるが寸でのところで踏みとどまり、着実に硬いパンを顎が痛くなりながらも一所懸命に咀嚼する。たった一口でこの疲労感、一体どれだけ硬いというのだろう。


次にスープだ。

パンの前科があるのであまり期待はできないが、おそるおそる木皿を唇につける。

そのまま傾けて汁を啜ってみる。


「んぐっ!」


思わず目を瞠る。

案の定不味かった。

何より食感だ。舌に汁が流れる瞬間、鳥肌の立つようなざらざら感とドロドロ感が襲ってくる。

だが口に含んだ以上吐くわけにはいかない。

室内が吐瀉物で汚れるのは本意ではないからだ。

開いて嗚咽しそうになる口を両手で押さえ、涙目になりながらもなんとか嚥下えんげする。


「エホッ!コホッ!」


なんとか喉に流しこむことができたが、思わずむせてしまう。


ちっ!なぜ高潔な私がこんな目に!

口には出さず内心で憎まれ口を叩くが、もちろん誰に返事をもらうわけでもない。

だがそう思わずにはいられなかった。



己許さない。この私にこんな屈辱を与えるとは…。

もし脱走できたら絶対にこの雪辱をはらしてやる!

などと復讐心を双眸に滾らせ、啖呵を切るが、ここから脱出するのは依然として希望的観測なのは変わりない。なにせここは国内でも屈指のセキュリティシステムを誇る堅牢だ。

それでは先程豪語したことが大言壮語なのは周知の事実だろう。

下手したらこの乞食が食べる残飯のような粗雑な食材が、最後の晩餐になるかもしれない。

そんなの絶対認められるはずがない。


でも、こんな私でも一応家柄の良い由緒正しい貴族の生まれ。

なので食べ物を粗末にしてはいけないという一般教養や貴族としての矜持きょうじは持ち合わせているため、最後の食事にしたくないからといってこの夕食を残す無理を道理にするつもりはない。


私は一侯爵令嬢である自らのプライドを掲げて、健啖の如く不味い料理を貪る。

堅焼きパンを犬歯を突きたてながら噛み千切り、それをスープを含んで口の中でふやかし、数回咀嚼したのち、嚥下する。

その繰り返しで、なんとか完食することができた。


冷気の漂う牢獄だというのに嫌な汗の珠が背中を伝った気がした。

私は潤んだ瞳を指先で拭い、胃が妙な異物感と違和感を訴える腹部を押さえながら食器の載ったお盆を格子の下の隙間から外側へとスライドさせる。


「にしても酷い味だったわ……」


思わずメニューの感想を独りごちてしまう。

そのままベッドに横になった私は相も変わらず殺風景で代わり映えしない天井を見上げながら今日起こった出来事を整理することにする。


あれから公開裁判が終了した後、私は審問官直々の勅命により私を押さえていた近衛騎士らにこの牢屋に投獄されてしまった。

その際も懲りずに私は蠱惑的な笑みを浮かべて色仕掛けをしてみたのだが、騎士は「反逆者に口を貸す義理はない」と一蹴されてしまった。


はぁと瞑目しながら深いため息をつく。

今まではこれで簡単にことが上手くいっていたのに。


格子の嵌められた窓からは漆黒の宵闇を切り裂く妖艶な月明かりの燐光が幾筋も差し込んでいる。

そんな幻想的な景観を眺めながら、ふと自分が一筋の涙を流していることに気づく。

これは先ほどの食料のものでも、審問官や騎士に対する憤激によるものでもない。

ひどく漠然としていて、それでいて心を締め付けるような、とても繊細で悲しい儚い涙だった。

私は自分自身を疑った。

まさか残虐非道を貫き通す自分にこんな感情が残ってたなんて。

まだ死にたくない……。

傍若無人な行動をとっておきながら身勝手な利己主義エゴイズムが心を支配する。

慣れない長考に脳が疲れたのか、私はそのまま深い眠りについてしまった。



それから何時間が経過しただろう。

微睡みの意識の中にいた私は、規則的になる硬質な足音に、一瞬で覚醒する。

がばっとベッドから上半身を起こし、杭を打たれたように鉄格子を凝視する。

死角から獄吏が姿を見せるまでそれほど時間が経っていないはずなのに、酷く長く感じられた。


窓からは目を細めたくなるような陽光が差し込み、その事実に早鐘のような動悸が私を襲う。

刑が執行される。

私は身体を強張らせながら不愛想で威圧的な凶相を向ける獄吏の次の言葉を待った。


「出ろ。釈放だ」

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