第6話 あれ?投げないの?
「いいんじゃない。数か月の期間限定だし」
あっけらかんと、夕飯の配膳をしながら母親は答えた。
「本当にいいの?野球部入ったら洗濯物増えるし。おまけに泥つき……」
「あんたは室内競技だったからね。今まで楽させてもらえてたし問題なし」
「食トレで、昼食はこのでかいタッパーに弁当用意しなきゃなんだけど」
「夕飯ちょい多めに作ればいいだけ。元々あんた大食いだから誤差よ誤差」
「野球部は父母会とかあって、試合にも応援や飲み物準備で駆り出されるよ」
「一心君のお母さんと仲良しだから、教えてもらいながらやればいいから気楽なもんよ」
「勉強の成績にうるさい父さんが何て言うか……」
「監督の川本先生から電話があってね。この大事な時期に息子さんを借りることに対して丁寧に謝りつつも、息子さんには才能がある云々って持ち上げられて、お父さんもすっかり乗り気よ。元々、お父さんは野球好きだしね」
こうして、俺的に最大のハードルと思っていた両親については、あっけなく話がついた。
わが父のちょろさと、わが母の肝の据わりっぷりに驚くしだいだった。
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「ヴえぇぇ」
ゴールデンウィークが明けた5月の第二週の月曜日の放課後
俺の本格的な野球部生活が幕開けした。
「お、えづくだけで吐かなかったか。さすがは運動部やってただけあるな」
一心が笑いながら話しかけてくる。
ダッシュやポール走、塁間サーキット。とにかく走らされた
「なぁ、俺ピッチャーなんだよな。なんでこんな走らされてんの?」
「ピッチャーは下半身が重要だからな。むしろ一番走りこむポジションだぞ」
「うぐ…また吐き気が」
バドミントンでもダッシュやフットワーク練習はしていたが、野球部の下半身を追い込むメニューは実に豊富である。
「今日はノースロー日だからな。あ、バッピはやっていいってさ」
「下半身トレの後だと、バッピでも輝いて見えるよ」
「あ、バッピの際に監督からの指示ありな。球速は120から130km/hまで落としてだってさ」
「球速抑えるのはわかるけど、それでバッティング練習にならないんじゃないか?」
「解らんけどそういう指示だからな」
バッピはもはや慣れたもの。
言われたとおり130km/hくらいで投げ込む。
今日も適当に散らしの指示だ。
あと、レギュラーメンバーは必ず俺のバッピの列に並ぶようにとの監督指示があったらしい。
何か意図があるのか?
「そういやタカシってバット持ってんの?俺のお古でも貸そうか?」
「とりあえず親父のお古を持ってきた」
一足先にバッピが終了した俺と幸太は、打撃練習に混ざるべく隣のゲージの列に並んでいた。
「木製バットかよ。渋いな」
「木製バットって案外重いのな」
「天才タカシ君のバッティングが楽しみだよ」
「期待しておけ~」
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「「期待しておけ~」だっておwwww」
翌日火曜日の昼休み
一心と幸太と俺で昼ごはん中に、一心がからかってきた
「うっさい!!一心。とっとと食え」
「そんなにタカシのバッティングひどかったのか?」
「フォームだけは無駄に綺麗なのに一つもかすらなかったんだよ。逆にすげぇわ」
「ほら、バドミントンってラケット両手で持つことって無いだろ。違和感がすごいのよ」
「確かにバドには無いな。両手で打つとか窮屈そう。
例の体の力抜くルーティーンはやってるのか?」
「やってる。そのせいか、力みはないきれいなフォームだって褒められたけど、当たらなければどうということはない。」
「その名言使い方まちがってるだろ」
「ピッチャーに打を期待しすぎるなよ」
「期待しておけって言ったのはタカシだろ」
「それは忘れろ……」
自分はてっきり野球の神に愛されて困っちゃう系なのかと思ってました。
調子こいてスンマセンでした。
昼飯の特大タッパーの弁当をたいらげて野球の神様に心の中で懺悔した。
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さて、放課後。今日は火曜日なので図書室へ向かう。
自習用の長机を見ると、すでに可南子が来ていた。
対面の席に座って勉強道具をカバンから出そうとすると、
「んっ」
可南子が出口を指さす。
いや、勉強しようと来たばかりで何故……
「んっ!!」
図書室なので控えめな声だが、有無を言わせぬ眼力と声音で再度、出口を指差した後、可南子はこちらの返答も聞かずに席を立って出口へ向かって歩き出す。
俺はあきらめて席を立った。
「なんだよ可南子」
廊下に出て話しかけると、
「私たちの今後について話をしておきたいの」
「長年同棲した彼氏に結婚を迫るようなこと言うな」
同棲というワードに少し頬を赤らめたが、ハッとしてブンブンと頭を振ってから
俺に向きなおる。
「タカシ野球部に正式に入部したんでしょ」
「ああ」
「じゃあ、なんでここにいるの?練習があるんじゃ……」
「平日は週三日の助っ人参加ってのは入部しても変わらない」
「よく認めてもらえたわね」
「無理やり型にはめるようなら、そもそも助っ人参加ごと断っちゃうつもりだった。
俺には是非とも野球部に入って試合に出たいという動機があるわけでもない。
相手方には、実質俺の条件を飲むしか道はなかったのさ」
「なんだか腹黒い駆け引きね」
呆れたような表情をしたあと、モジモジとうつむき
「じゃあ…さ。火曜日は今まで通り?」
「ああ。今まで通り、可南子と勉強だ。何も変わらない」
俺はきっぱりと言う。
「今日は誰かさんに冒頭連行されたから開始が遅れてるがな」
「ごめんって」
「分かったなら戻るぞ」
「うん」
踵を返し図書室に戻るために歩きだしたタカシには、後ろでスキップする可南子は当然見えなかった。
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「えいしょーーー!!」
「あい!!」
水曜日。本日の朝練は守備練習。
そもそも素人の俺は当然、内野のボール回しとか無理。
ピッチングのコントロールとあれは別物だ。
というわけで、俺は個別練習だ。
俺はピッチャーなので主にゴロ捕球を特に重点的に練習する。
フライ補球はバドミントン部での空間把握能力のおかげか、割と最初からできた。
股関節の柔軟を念入りにやったあとに、なんでもないゴロを腰をしっかり落として体の正面で捕球する。
素人の俺に華麗な守備なんて無理なんだから、本当に最低限は出来るようにしておく。
守備についてはそれこそ経験値や積み上げがものを言うのだから、ここについては周りも最初から期待していないし。
けど、ピッチャー前に転がされたバント処理は俺がやらざるを得ないわけで、ここだけは何とかしておかないとな。俺の守備の課題だ。
しかし、いきなりそんな高度なこと出来んので、基本の基本のゴロの捕球からやっているわけだ。
「ナイス捕球ですよ先輩」
そう声をかけてくれるのは、この地味なゴロ捕球練習に付き合ってくれるのは、二年生のマネージャーの楓ちゃんだ。
「これ…地味だけどキツイ…内股がパンパン。そろそろ休憩を…」
「ちょっとテンポアップしますよ」
「鬼~~~!!!」
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「放課後の本練習前にすでに足がガクガクだ」
「下半身には自信があるんじゃなかったのか?」
「ド下ネタに聞こえるからやめろ」
俺と幸太、一心
三人での昼飯が定番化してきた。
「しっかし二人ともよく食うよな。一心は前からだけど」
我が南高の野球部では指定の大きさのドデカいタッパーに白米を敷き詰めて、その上に更に各種おかずを白米が見えなくなるくらい敷き詰めたものが昼食のノルマだった。
「義務だから仕方ない。(キリッ)」
「自分に都合のいいルールには従うとか、ほんとダブスタ野郎だなタカシは」
自分の菓子パンを頬張りながら、幸太があきれたように言う。
「俺、一年の頃はこの量食べきれなくて、それでも無理やり詰め込んで気持ち悪くなってたな。さすがタカシだわ」
「大食いなのを褒めてくれるのは、野球部の面々とお祖母ちゃんくらいだわ」
「とは言え食いすぎはやめとけよ。今日も下半身トレなんだから」
「またぁ!?俺、野球部に入部したあと、ろくにブルペンで投げたことないんだけど」
「フォームが固まってるから、無理に投げ込む必要はないし、欲張ってフォーム改善に手を出して崩れたら最悪だろ。」
「夏の大会が始まるまでの二ヶ月間って短い間で確実に成果が上がるのは筋肉だ。そして下半身は投手の要。ここを徹底的に苛めぬく。今日はバーベル担いだスクワットだ」
俺、野球部に入ったんじゃなくて筋トレ部に入ったのかな……?