7.原石は未だ原石のまま眠る(天恵7年5月上旬)
土煙を巻き上げ競う集団を、フィールドからの声援が追う。白樺の黄緑が映える、快晴だ。雪解け水の湿度を含んだ風から、乾燥した春風に変わる季節。
あの反省会から一週間が経過した。インカレに向けて追い込みをかけるための本格的な練習が続いている。久蓮は、今日も今日とて、Cチームのペースメーカーに徹していた。そんな自分に、早くも蒼が痺れを切らしつつあるのを感じ、久蓮はひっそりと口角を上げた。
――――悪いね。
まだもう少し、このままだ。急なペースアップをすれば、壊れたままの久蓮の脚がもたない。その心がいくらあの競り合いを渇望しようとも、まだ――。
それに、蒼も、まだ。昔のようには走れないだろう。入部してから今まで、緩やかに、徐々に、歯車がずれ始めているのを、久蓮は見てとっていた。
全日本大学駅伝。
箱根駅伝の陰に隠れてはいるものの、関東の大学にしか出場権のない箱根とは異なり、全日は全国各地のトップ校が集う。コースとしては、区間ごとの距離の差が大きい。最短九.五キロメートル、最長十九.七キロメートルで行われる。つまり――スピード、スタミナ……各々の持ち味を活かした区間配置が必要となる。全国各地で行われる、全日出場校を決める選考は、他の地区はどこも一万メートルの合計タイムで勝敗を決めるなか、ここ北海道では本戦さながらに一つの襷を繋ぐ。
正直、一万メートルの合計タイムでは帝北に勝つビジョンは浮かばない。けれども駅伝ならば。個性的なメンバーの集まった極北大は、それぞれを上手くハメれば、帝北ともある程度勝負出来るだろう、と、久蓮は見ている。新入生二人の加入で、更に希望が見えてきた。その為にも――。
――――上がってこい。
未だその輝きを秘したままで眠る才能たちに、久蓮は内心で呼びかけた。彼等が輝きを放つ日を、久蓮は待っている。
*
さらに翌日。
今日はインカレの選手選考と、冬季練習の成果確認も兼ねて、インカレの希望種目がロングの者が五千メートル、ミドルの者が千五百メートルを走ることになっている。
「五千メートルが四人、千五百メートルも四人……か。りょーかい了解。じゃあアップ後に五千メートルからいくよー」
いつもの如く、練習前の集合を行う。
「五千メートルはオレが二分五十五秒-三分-三分十秒-三分-二分五十五秒のトータル十五分ジャストでペースメイクするよ」
「ダメだけど」
――――まぁ、だよねー……。
ちゃっかりある程度の質で走ろうとした久蓮の言葉を、範昭は即座に否定してくれた。正直、予想通りの展開だったが、集合の場が軽く凍りつくのを感じ、久蓮は内心苦笑した。空気を溶かす必要がある、と、久蓮は敢えて明るい調子を作った。
「え?」
「え?」
何故止めるのかとの意味を込めてきょとんと聞き返せば、何故許可すると思ったのかと、これまたキョトンとした範昭の返し。そのまま暫し無言で見つめ合い――。
「ちょっとノリちゃん集合」
範昭を引き摺って、久蓮は若干後ろに下がる。皆が少し聞こえるくらいが、ミソだ。
「何だ。レースは六月からって言ったろ」
「え~、これは練習だしさ~」
――――どっちかっていうと、キミ等の。
正味、久蓮にとって、このタイミングでこのレースを走る旨味はあまりない。質の高い練習をする分には、別に独りでもいいからだ。
「インカレ出る気か?」
「いんや?」
「なら、見てろ」
「……はーい」
三分を切るようなペースは、正直まだ皆の前では怖い。痛みに負けてフォームを乱せば、怪我が完治していないのを気取られる。それは避けたい。こうして範昭に止められるとも予想していたので、あっさり引き下がる。
皆のもとに戻ると、落胆を僅かに乗せて告げる。
「えー、コホン。タイム計測は任せてね~」
「正選一枠空いたぞ、気張れお前等」
「じゃあ、一時間後に五千メートル、その更に三十分後に千五百メートルスタートでいくよ。解散~」
自身の声に、バラバラと散っていく面々を見ながら、範昭と連れ立ってジョグをする。
「今日、色々普通じゃないと思うからヨロシク」
「あ?」
「取り敢えず、レースに集中、してくれればいいよ」
――――中々驚きの展開になると思うよ、ノリちゃん。
唐突な台詞に疑問符を浮かべる範昭をにこにこと見つめる。それ以上答える気の無い久蓮に、範昭は溜息を吐いている。そんな彼に、久蓮はからりと笑った。
やがて範昭がアップを終え、久蓮はひとりジョグをして開始時刻を待つ。状態は、良くも悪くも、ない。それでも、フォームを崩さずに走ることのできるペースは、確実に速くなっている。
「……情けねー」
誰の耳にも届かない呟きを落とし、久蓮は自嘲の笑みを零した。
*
「それじゃあ、位置について~」
パァン! 、と乾いた音が、晴れた空に響いた。いつも通り緩い久蓮の合図と、スターターピストルの合図で始まったタイムトライアル。
飛び出す真平、着いていく蒼。二分五十秒ペース。抑え気味の真矢と最後尾から着いていく範昭。三分ペース。いつも通り、それぞれの得意とする展開で、レースは進んでいる。
「もー、ノリちゃん、抑えすぎ」
慎重な入りを見せている範昭に小さく唇を尖らせながら、久蓮はレースを見守った。
それにしても、と。久蓮は、思わず目を細めた。蒼の動きが悪い。入部以降、練習の質が上がる度に、徐々にその傾向はあった。けれど、今日はそれが顕著だ。
――――んー……。まさか、ここまでとはね。
やはり、勝負の世界に近付く程に、高校時代を思い出すのだろう、――が。
「……けどさ、その先が楽しいんじゃん?」
トップの真平から徐々に遅れる蒼を見ながら、久蓮は独り言ちた。結局、自分で気付けなければ意味はないのだ。極北の選手達が、昔のチームメイトとは違うと。
*
びゅん。
五千メートル組のゴールから二十分後。千五百メートルのスタート合図を出した久蓮は、目の前を通り過ぎた突風に、思わず瞠目した。
――――あちゃ~。やりやがった……。
号砲と共に、短距離走と言っても過言ではないトップスピードで駆け出した翔太に、久蓮は苦笑した。この展開……予想はしていたが、まさかここまで突っ込むとは。皆、一様に唖然としている。範昭など、自身も走っているというのに、思わずこちらを窺った程だ。
――――オレじゃないよ。
久蓮の暗躍を疑っている範昭には、肩を竦めて首を振った。今回は、なんの画策も細工もしていないのだから、とんだ濡れ衣だ。
翔太には、特に走り方は指示していない。純粋な考え方を見たかったということもある。初心者こそ、自分で納得してスタイルを作っていくべきだと、久蓮は思う。自分で考えられなければ、レース中の駆け引きに対応できるハズもないのだから。
スピードがあり、自分も皆のように走りたいと意気込んでいた翔太が、千五百メートルという中距離で、突っ込んでいくのは自然な流れだ。
レースは、翔太を除いて一周目から案外落ち着いた展開を見せている。あそこまで突っ込まれると、存外ペースは引っ張られにくいものだ。
「大介、いいじゃん?」
皆が久蓮の予想通りのレースをする中、大介が予想を越えてきた。裕也に食らい付く大介に、久蓮は口角を上げた。




