6.そうしてまた一つ、××を重ねる(天恵7年4月下旬)
面々が満足そうに自身の作ったカレーを完食する様を微笑みと共に眺めていた久蓮は、そろそろ頃合いかと、資料を配る。
細く細く息を吐き、強く吸い込んだ。自信―――それだけだ。彼らに悟られてよい感情は。
――――さあ。全て、飲み込んで笑え。
「さて。そろそろ反省会を始めようか。――まあ、まずこれを見てくれ」
各々が配られた資料に目を落とすのを確認し、久蓮は話し始めた。
*
順位表 男子5000M決勝 1組
1着 東城皇 (4)帝北大 14'09
2着 那須伊織(1)帝北大 14'19
3着 北市陞 (3)帝北大 14'25
4着 岩本真平(2)極北大 14'25
5着 永嶺歩夢(2)帝北大 14'28
6着 塩原健翔(1)帝北大 14'29
7着 柳沢於莵(4)帝北大 14'31
8着 榎本薫 (3)帝北大 14'35
9着 柘植直人(2)帝北大 14'37
10着 新庄徹 (1)帝北大 14'37
11着 長都俊平(3)帝北大 14'37
12着 宮田晃 (1)極教大 14'39
13着 唐崎琢磨(3)極教大 14'42
14着 清野範昭(4)極北大 14'59
15着 小隈健太(4)極教大 15'10
16着 植田耕平(2)極教大 15'11
17着 夜神真矢(3)極北大 15'15
18着 新屋源太(1)極教大 15'16
19着 森田皓大(3)極教大 15'17
20着 御影大介(2)極北大 15'17
21着 仲木戸洋(2)極教大 15'18
22着 飽田信次郎(1)極教大 15'22
23着 富樫裕也(2)極北大 15'38
24着 八重樫功(2)酪農大 15'50
25着 相津竜太(3)極学大 15'56
26着 新渡戸一毅(1)極学大 16'02
※Ave.帝14'29(10人), 教15'07(8人), 北15'07(5人)
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「言わずもがな、昨日の結果だ。下には、単純な五千メートルのチーム平均を出してある」
小さな紙片に記されているのは、帝北の圧倒的優位が窺える、そんな結果だ。そこまで説明すると、久蓮は彼らへと視線を向けた。
「で、だ。君たちの言いたいことは分かる。"何故、このタイミングで全日出場なのか" 、そして、"本当に勝てるのか" だろ?」
皆が無言で首肯していた。
――――そりゃ、そうだよねぇ。
この中で、久蓮が全日を目標に掲げる理由に少なからず勘付いているのは、それこそ真平と範昭のみだろう。皆には伝えていないのだから、それも当然だ。
「ひとつずついこう。まず、"何故、このタイミングで全日出場なのか?" ……それは、オレが全国の舞台へ行きたいからだ。――君たちと」
嘘じゃない。本心だ――これも。今まで皆に設定してきた目標は、皆と全国で走るため――その時、彼らが通用するためにあった。まだ、足りてはいないけれど。
「オレたちは、それぞれの事情を抱えてこの極北大にやって来た訳だ。"何か"から逃げ出した奴。闘うことを辞めた奴。闘いの舞台を敬遠した奴……。だが、君たちはここにいる。オレの提示するキツい目標に真摯に取り組んでまで。――君たちは、多かれ少なかれ、走ることの魅力から"逃れられなかった"人間だ。どうだ? このまま終わりたいか?」
――――終われないよね、このままでなんて。
ふてぶてしく言い放って、久蓮は相対する一人ひとりをその視界に映していった。
終われないだろう。ただ走るだけならば、ランニングサークルだってあるのだ、極北大学には。けれども、彼らは、"競技"から離れられなかったのだから。どんなに、その願いを、心の奥底にしまい込もうとも。
――――だから、伝われ。オレの求める最高の一瞬。
「少しオレの昔話を聞いてくれ。オレは昔、テレビの向こうのあるランナーに憧れて、陸上の世界に飛び込んだ。燻っていた当時のオレは、ライバル達との駆け引きを心の底から楽しんでいる彼を見て、こうありたいと願ったんだ。それからは……色々あったが。今も、オレは求めて止まない――」
昔から、他人とは違っていることに気づいていた。久蓮の飛び抜けた頭脳が織りなす世界は、全てが予想の範疇を超えない、単彩のつまらない日々。淡々と死んだように日々を浪費する中学時代の久蓮の目に、眩いまでの激しい色彩を投げ込んだのは、実業団・ムーンベルクの現エース――当時高卒ルーキーだった深松誠司その人だ。
あの瞳に宿る焦熱を感じたくて、その景色を見てみたくて、久蓮は、それまで興味もなかった陸上の世界に足を踏み入れた。
そして、その焦熱を、自身も体感することとなる。久蓮高校一年の夏、灼熱の太陽ギラつく真夏のインハイ五千メートル。当時の銘華大二年生エース――六連昴との激闘。
目を伏せて、噛み締めるように情景を思い浮かべた。
――――これこそが、今尚オレを縛る枷であり、オレを支える光明なんだ。
久蓮は聞き入る部員達へと視線を向け、問うた。
「君たちは、何故陸上を始めた? そして……どんな夢を見た?」
――――思い出せ。
「他でもない、君たちと見たいんだ。誰もが一度は描いたであろう、夢の続きを」
――――オレと、見てくれ。
強気に笑めば、興奮が、確かに場を包んだのを、久蓮は感じた。
「えっ、あー、真平?」
ふと視界に入った光景に、久蓮は、努めて作っていた、無敗の帝王と呼ばれていた頃の表情を掻き消して、困惑と共に問うた。いつからか、はらはらと静かに涙を溢す、真平の姿を見とめたからだ。
久蓮の困惑が伝染したか、面々がそわそわと落ち着かない雰囲気を醸し出す。
「こらこら、どうしたよ?」
久蓮のは柔らかく問う。問いかけながらも、原因は確信している。どうやら、真平が久蓮と共に走った高校時代を、思い出させてしまったようだ。
「ごめっ……なさ、でも、だって、久蓮先輩がいるから……」
「あー……」
真平は声を詰まらせながら答える。
その反応で、真平が懐かしい久蓮の再来を、喜ばしく思っていることを察した久蓮は、困惑する。あの一年間、真平には随分と辛い思いをさせただろうに。
――――貴方に、二度とあんな顔はさせない。ボクはその為に、ここに居ます。
極大陸上部に入部したあの日、そんなことを言い放った彼は、もう無敗の帝王なんて見たくもないのだと、思っていたのだが。
「痛っ。……あー、うん。これからはちょくちょく見られるよ、多分。今までノリちゃんに甘えて楽してたけど、少しは頑張らないと、ね」
苦笑していると、顔を顰めた範昭に頭をはたかれた。結構いい音がしたのだが。範昭は容赦がない。皆が状況を察せず疑問符を浮かべている。
真平にそんな感情を向けられるのは、なんだか照れ臭い。誤魔化すようにガシガシと頭を掻いて、久蓮は目を反らす。闘志を強く示すのは、素が静寂の久蓮には、わりと重労働なのだ。飄々とした主将の方がいくらも楽なのだから、そんな態度の久蓮をフォローしてくれている範昭には本当に感謝だ。
咳払いひとつ、普段の調子に戻して、久蓮は続けた。
「と、いうわけで。これがオレの考えだから。皆、よく思い出して。それで、オレと、……夢の続きを目指してくれたら、オレは嬉しいよ」
ふにゃり、と、柔らかく笑む。誰もが皆、一様に興奮と迷いの入り混じった表情を浮かべている。それが、少しでも和らぐといい。そんなに、身構えなくたっていいのに、と久蓮は苦笑する。皆、精一杯レベルを上げているのは、久蓮も良く知っている。
――――だって、オレは入学当初から今年全日で走る為のメニューを皆に課してきたのだから。
「"本当に勝てるのか"という疑問についてだけど。皆の想像通り、現状はかなり厳しいのが正直なところだね。昨日の順位も平均タイムも物語ってるね」
目は、反らさない。笑みを浮かべながら言葉を並べていく。
厳しい。そう口にした途端、落胆の空気が部屋に漂う。皆、何処かで期待していたのだろう。久蓮が大丈夫だ、と笑うのを。
――――馬鹿だなあ、皆。オレは、ただ厳しいって言っただけだ。
「だけど、勝ち目もある。――オレはそう思うね」
続いた久蓮の言葉に、落胆が、困惑にとって代わる。表情には後ろ向きな気持ちは、一切、乗せてやらない。自信だけだ。確かに届くのだと。
――――そう感じてくれなきゃ、ね。
「考えてみなよ、お前たちには、伸び代がある。帝北の選手たちより、よっぽどな。それに、――白い新入生も入ったしね」
蒼と翔太を交互にみて、久蓮はニヤリと笑った。帝北大が監督を得て台頭してくるというシナリオは、無ければいいと願ってはいたものの、予想の範疇だった。集まったメンバーのレベルは、些か想像を超えていたけれど。
そのために極北大メンバーの強化を図っていたが、まさか。如月蒼に、桃谷翔太。去年のインカレ五千メートル覇者に、強豪星陵のエースFWだ。翔太のスプリントは、スピードランナーとも称された蒼でもちょっと敵わないだろう。
ぼんやりと二人を見ていた久蓮は、彼らからの視線を受け止め、笑いかける。励めよ、新人――と。
「……」
「と、いうことで、皆にはきっちりレベルアップしてもらうよ」
にやり。悪い顔、とよく範昭に言われるその表情で、面々を見渡す。ざわめき、引きつった顔を見せる彼らに向けて言う。
「まあ、まずは道インカレだ。きっちり練習して、壁を恐れずに果敢に挑んでほしい」
それでも不安を拭いきれていない面々に、こう続けた。
「大丈夫。――足りない分は、オレが走って埋めるから」
だから、皆が心配する必要なんてない。ゆっくりと、時間をかけて、不敵な笑みを形作る。極大の勝利を、彼らの主将は心から信じていると、彼らに伝えるために。
一切関係無い彼らを、あの人との確執に巻き込もうとしている。その責任は、久蓮がとるのだ。どんなに大差がついていようとも、追い越してみせる――高校時代のように。
みしり、と。不敵な笑みの下、心のどこかが、音を立てて軋んだ気がした――。




