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旅路の果て  作者: 灰猫
【第1章】春雷来たりて
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4.ただ望むことすらも(天恵7年4月下旬)

 今日も変わらず。努めて締まりのない笑みを浮かべて、久蓮は部員達を振り返った。

 ここは、極北市にある陸上競技場――角山競技場だ。気持ち良い程に快晴でありながら、肌寒さを感じさせるこの時期の空気は、北海道ならではだろう。


「と、いう訳で。やってきましたよ、記録会」


 第一回月例記録会――毎年、四月最終週に行われるこの記録会は、雪解けの遅い極北市では、シーズン初めのレースとなる。冬季練から本格的なシーズンインへと、切り替える大事なレースだ。


「おい、ボケっとしてねぇでベンチ取るぞ」


 相変わらず(しか)めっ面の範昭が、一年生二人の襟首を掴んで引き摺って行く後を、笑いながら久蓮は付いていく。ベンチを定め、荷物を置いた後輩たちは、レースに向けアップへと散っていった。

 居心地悪そうに眼下のトラックから顔を背ける蒼と、これから始まる新しい世界への期待に顔を輝かせる翔太。なんとも対照的な二人は、今回は見学である。そんな彼等の様子を、面白そうに久蓮は眺める。


「すっげーーー」

「お前……自分が走るわけでもないのに……」

「だって! 大会だよ! ワクワクするじゃん」

「大会じゃねぇよ、記録会だろ」

「えー?」

「練習試合だ、練習試合」

「練習試合もワクワクするじゃん!」

「……」


 翔太の明るさや前向きさは、少しずつ蒼へといい影響を与えてくれるだろう。現に今、蒼は思い悩むのが馬鹿らしいと感じているのであろう――呆れたようなその表情には、ある種清々しささえ浮かんでいる。


「いいねぇその意気だよ」

「……あんたはアップしなくていいんすか?」

「まあまあ」


 声を掛ければ、蒼がこちらを向いた。ニコニコと笑みを崩さない久蓮に、蒼は半目を投げて寄越した。


――――なんだか、ノリちゃんに似てきてね?


 それが自分の普段の行いのせいだと自覚していながらも、久蓮に辞める気は毛頭ないわけだが。


「今日のオレは、解説要員だから」

「……」


 黙り込む蒼の表情に、僅かな落胆の色を見て取った久蓮は、僅かに目を瞠った。小さなその久蓮の変化は、恐らく範昭か真平くらいでないと見分けられないだろうが。


――――ここで、その表情……? 少しはオレの走りを見られないコト、残念がってくれてんのかね。


   *


「おぉー、帝王サンやん」


 かつて散々耳にした、それでいてあまり好きではない、自身を示す呼称――その一部。

 皆が出場する五千メートル、そのスタート時間が間もなくに迫ったそのとき、その言葉が耳に飛び込んできた。声の先には、茶髪に糸目の狐のような青年――極教大の主将、宮田(みやた)(ゆう)が立っていた。彼の視線はこちらに固定されている。


()()?」


 空気を読めない――いや、読まない翔太が不思議そうに鸚鵡返す。これには、ちょっと苦笑せざるを得ない。


「それはちょっと……みゃーちゃん、おひさ」

「嘘ゆーてないやん」


 初対面で見せられたら、胡散臭いの一言に尽きるその笑顔。一年二人も、ニヤニヤと笑うその姿にそんなことを考えているのだろう。ちらりそちらを見た悠が笑みを深めた。


――――コラコラ。威圧してくれるなよ。


()()()()()()?」


 もう一つ、引っかかったワードを鸚鵡返すのは、翔太だ。


「どーも、初めましてやな、わいは極教の主将やっとります、宮田悠言いますねん。よろしゅう」


 いや、胡散臭い。久蓮は表情を崩さずに思う。僅かでも反応を示したら、悠に悟られるので、表には出さない。久蓮としては、別に悟られても全く問題ないのだが。蒼は悠の自己紹介で、久蓮の使っている渾名の理由を察したようだった。


「桃谷翔太です」

「如月蒼です」


 しおらしく挨拶をする二人に、久蓮は微笑む。完全に保護者気分だ。蒼の方を見てその糸目を見開く悠に、彼が蒼の正体を察したことを悟る。


――――やっぱ、気付かないワケない、よね。


「ほぉ……。久蓮クン、またごっつエラいの引っ張ってきよったなぁ」

「オレじゃないよ。偶然さ」


 蒼とのこの出会いは、本当のホントに偶然だ。決して久蓮が仕組んだことではない。なんなら蒼は、久蓮の過去を全く知らないのだから。


「今年は走るんか?」

「……」


――――うん、走るよ。待たせてごめん。


 悠は、久蓮の高校時代からの知り合いだ。関西弁を操る悠だが、高校は極北北高校。インハイはもちろん、全国高校駅伝(都大路)、都道府県対抗駅伝など、多くの大会で顔を合わせた実力者。その頭の回転の速さから、久蓮とはとても馬が合った。そんな悠は、久蓮が一年の時から、その存在に気付いていた。久蓮と走りたいと言ってくれながらも、事情を察したか、復帰を急かさずこうして今まで待ってくれているのだ。


――――でも、走れるのか? オレは。


 自分自身、三年間以上待った、求めてやまない()()への期待は、二人の()()の登場でもはやはち切れんばかりに膨れ上がっている。

 けれど、()()()()()しっかりと走ることが出来るのか、そして、"勝つ"ことが出来るのか。期待と不安と、申し訳なさと。胸の内に複雑に絡んだ感情は、苦笑に似た何かとして表に現れてしまった。


「みゃーちゃんは今日は?」

「あー、今日はなぁ。まあ、解説要員やな」

「ははっ」


――――怪我か。


 苦笑しながら同じ言い訳を告げる悠に、思わず苦笑を返してしまった。この青年が昨年の晩秋からレースに姿を現さなくなったことは、もはや周知の事実だ。その原因が、怪我だということも。


「インカレはちゃーんと出るで? 待っとるよ」

「……」

「一緒に道選抜チームもアリちゃうか? ホンマ、楽しみやわぁ」


――――インカレ、は。間に合わないかなぁ。


 最早、脚が良くなることは期待していないが、今まで質の高い練習をしていなかったため、流石にブランクは大きい。今後しっかりレースできる数は多くないだろうから、効果的に使いたい。せっかく待ってくれている悠を待ちぼうけさせてしまうのは、忍びないけれど。

 パン、と。そんなやり取りをしていると、スターターピストルの乾いた音が鳴り響いた。久蓮は反射的に手元のウォッチを動かした。


   *


――――ふむ。


岩本(いわもと)クンも中々仕上がってるやん」

「そうね」


 一キロ二分五十五秒ペースで既に三千メートルまで走った先頭集団には、最後尾に範昭、先頭付近に真平(しんぺい)がついている。先頭集団のペースは範昭にとってほぼベスト。そろそろ厳しそうな表情を浮かべている。

 真平こと、岩本(いわもと)真平(しんぺい)は、極大陸上部の二年生。二年生ながらにチームのエースであり、久蓮の高校時代の後輩でもある。


――――粘れよ、ノリちゃん。


 心の中でエールを送りつつ、視線を前へとずらす。問題は、その先頭集団だ。


「みゃーちゃんのとこも、良いのが入ったね」

「せやねん。ごっつ生意気やけどな」


 先頭集団は十二人。そのうち極教の選手は二人だ。いずれも真平と同じ位のポジションにつけている。今、久蓮が言及したのはそのうちの一年生――あれが悠の弟、(あきら)なのだろう。


――――いいね、あれは、まだまだ伸びる。


 晃の粗削りの才能を前に口角が上がるのを抑えきれない。軒並み極教大のメンバーが先行しているこの現状。このままいけば、今年の極教もかなりの強敵となるのだろう。いいのだ。いつだって、久蓮は追われるより追うほうがよっぽど性に合っている。

 けれど、そんなことは些末事だ。先頭集団の残り八名。それは、黒紫色の集団――帝北学園大学に染め上げられていた。帝北大駅伝部発足の(しら)せを聞いたとき、そしてその監督が()だと知ったとき。それが一筋縄ではいかないメンバーになると、予想はしていた。しかし――。

 先頭がゴールし、どよめきが会場を包んだ。十四分九秒。堂々の風格。次いでゴールした二着は十四分十九秒。


「エッグいわあ」


 思わずといった様子で、悠が眉を顰めた。


「……」

東城(とうじょう)(すめら)に、那須(なす)伊織(いおり)か~。ようこんなん集めてくるなぁ……箱根常連校とも引けとらんで」


――――そんなに、あの人の下が魅力的かよ。


 胸の内で発したそのぼやきは、奇しくも六年前、自分の前に現れた同期――鏑木(かぶらぎ)涼太郞(りょうたろう)へ向けたものと同じだった。

 まさか、皇まで帝北大のメンバーに名を連ねているとは。三年間共に戦った銘華大のチームメイトを捨ててまで、皇が()に賛同するとは、正直、思えなかったのだが――事実、こうして帝北の主力選手だ。


「……」


 久蓮は無言のまま、その瞳にレースを映した。


――――ちがう。皇が北海道(ここ)にいるのは、もしかして。


 無駄に回るこの頭は、気付きたくもなかった可能性を弾き出した。もし、それが、真相ならば。


――――オレは、皇の競技人生をも捻じ曲げた……のか……?


 恐ろしさに、身体が震え出すのを、久蓮は必死に抑えた。勝負とは、誰かの権利を、力尽くで奪い取るものだ。そんなことは、百も承知だ。けれど、これは違う。


――――ねぇ、皇。オレの、せい……なの?


 自分自身のために、自由に走りたいと、ただそう望む事すらも、"罪" だというのなら――。


「……オレは一体、……どうすればいいのさ」


 久蓮はただ運命()に逆らわず、心を殺していくしかないのか。酷く軋んだ心の悲鳴は、久蓮の口から小さく零れ落ちて――誰にも届かずに、ただ虚空へ溶け消えた。


「那須……伊織……」


 ぽつり、と。久蓮の耳に、蒼の震える声が届いた。その口から零されたそれは、彼のかつてのチームメイトの名前だった。フォローしてやらなければ。そう思いながらも、久蓮の身体は動かなかった。酷い罪悪感で、蒼を見られない。

 せっかく、断腸の思いで競技を捨ててまで逃れたハズの脅威に、再び蒼を晒しているのは、自分なのだ。自分が居なければ、篠崎鉄人(あの人)は帝北の監督など眼中にもなかっただろう。となれば、那須伊織がこんなところに用など無い。つまり――。


――――弱気になるな、篠崎久蓮。それでも走りたいと。そう思ったから、この地に降り立ったのではなかったのか?


 この内に渦巻く葛藤は、横に立っている悠には、ある程度悟られているのだろう。まだ肌寒い四月の日差しが、冷たく肌を刺すのを感じて、久蓮は悠に向き直った。


   *


「これは、なんというか……。一悶着あったかね~」


 思ったよりも暗い雰囲気を纏ったチームの面々に、久蓮は片眉を上げた。帝北大との実力差に、愕然としている彼らを予想していたのだが。この雰囲気はそれより僅かに暗い。そんな空気を打開したくて、久蓮は努めて明るく声を張った。


「え~、皆、お疲れサマ! ――さて、明日はOFFだけど。いつも通り十九時からオレの家で()()()()()()())やるから、とりあえず都合付く人だけ集合ね」

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