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旅路の果て  作者: 灰猫
【第1章】春雷来たりて
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2.焔は灯された(天恵7年4月上旬)

 極北大学――通称・極大(きょくだい)。北海道極北市に敷地を置く、旧帝国大学の一つだ。北の大地に広大な敷地。学びの場としては、これ以上ないほどに快適とも言える極北大学だが、陸上競技となると、話は別だった。学生陸上――特に、久蓮の専門とする長距離という分野においては、極北は殊更()()の部類に入る。

 そもそも、皆がご存じ『箱根駅伝』は、関東の大学しか出場権を持たない。この時点で、箱根を夢見る実力者たちは、関東の大学に入学するのだ。好き好んでこんな北の果てにやってくるのは、余程の物好きか、それとも――。


   *


「――お?」


 昨日に引き続き、泣きそうな曇り空。

 いつも通りグラウンドに足を踏み入れようとした久蓮は、はたと動きを止めた。そこに、昨日の青年――桃谷翔太が立っていたから。


「や、来たね、翔太。ようこそ、極北大学陸上部へ」

「久蓮さん!」

「いいタイミングだね、集合しよっか」


 久蓮は背後から声をかけた。

 希望と期待を胸に、一歩を進みだそうとした彼の、ほんの一瞬の逡巡を、見てしまったから。その背中を後押しするように、己の声に振り返った翔太へと笑顔を向け、久蓮は集合を告げた。


――――大丈夫。後悔はさせないさ。……絶対に。


「さて。まずは新入部員を紹介しよっか。実は昨日、見学()に来てくれてたんだけど」

「えー! 行けば良かったなぁ」

「馬鹿か。お前、それどころじゃなかったろ」


 久蓮の言葉にわいわいと言い合う後輩たちは、歓待のムードだ。良い雰囲気に柔らかく微笑んだ。落ち着いてきた空気に、久蓮は翔太へと目配せをした。翔太は一つ頷くとキラキラとした笑顔で口を開いた。


「はじめまして、桃谷翔太です! 星陵(せいりょう)高校から来ました。サッカー部だったので、陸上は初めてです。頑張ります!!」


 一瞬の沈黙、そして――。


「え、星陵サッカー部って……! 名門じゃん!」

「俺でも知ってるよ!」


 元気よく告げられた"星陵"、"サッカー"、"桃谷翔太"。この三つのワードに、面々がざわつくのを見守る。


――――無理もないよね~。


 嬉しそうに笑んでいる翔太を眺めながら、久蓮はにやにやと笑った。

 桃谷翔太――U-18の日本代表FWだった選手――皆はそこまでは知らないようだけれど、星陵のサッカー部出身、というだけで、驚きが有り余るようだ。星陵高校サッカー部の名前は、それほどに有名だから。


「何で極北(うち)?! てか、何で陸部?!」

「うーん……。()()です!」

「?!」

「……!」


 自信満々に答えた翔太に、皆が騒然としている。

 久蓮は必死に吹き出しそうな笑いを我慢した。もう少し皆の遣り取りを見ていたかった――の、だが。皆の反応に、きょとりとした顔で首を傾げる翔太を見てしまえば、もうダメだった。


「ぷ。あは、はははっ」


 久蓮一人吹き出した。周りを置き去りにしている自覚はあるが、まあ、良いだろう。いつものことだ。


――――ま、皆の反応も無理もないケド。


 翔太は、自分の嗅覚(カン)に従って、自身をより成長させてくれる方へと進んでいるだけだ。それでも人間、今まで積み上げてきたものをそうあっさりと置いてこれないものだから。

 久蓮としては、別に翔太は()()()()()()()()()()()()()、とは思っていないけれど。


「こいつが見つけてきたんだよ」

「や、翔太がオレ(陸上)を見つけたのさ」


 範昭の説明を、久蓮はきっぱりと訂正した。自分は、ただ走っていただけだ。

 嬉しそうに笑んでいる翔太を見詰めて、久蓮は決意を新たにした。翔太は、大学四年間をサッカーではなく陸上に懸ける、と示してくれたのだ。


――――そんなの、オレも全力で応えなきゃね。この選択(それ)が間違ってなどいなかった、と。翔太が心からそう思えるだけの景色を――。


 久蓮がそんなことを考えていると、翔太がふと顔を曇らせた。


「蒼……来るかな……?」


――――ホント、鋭いやね。


 内心、苦笑を零す。あの短時間で、この青年は如月蒼の胸中に葛藤があることを見抜いている。でも、だから。久蓮は、確信と共に言い切った。


「来るさ。もう少し、待ってみ」


――――だからさ。一歩リード、しとこうぜ?


   *


「残念だったな」


 唐突ともいえるタイミングで、久蓮は範昭にそう声を掛けられた。その言葉の意味するところは、蒼の入部に関してのことだ。粗方、"僕は入らない"とでも言われたかね。

 範昭の謂いに、久蓮はニヤリと笑みを浮かべた。


「いやいや。来るよ、彼は。――必ず、ね」

「てめぇ、また、何を根拠に……」

「オレと()()()からね」

「……」


 ()()()()()()――というその選択肢は、久蓮には全く選べないものだけれど。久蓮とは似て非なる事情で、この極北にやってきたであろう、蒼――彼の、あの、翳った瞳。その奥に微かに(くゆ)る焔を、久蓮が見逃すハズもない。

 久蓮の確信めいたその様子に、溜息混じりの範昭は眉を(ひそ)めている。それだけ言えば、十分だ。詳しく説明するつもりは、ない――必要ないからだ。範昭は、そんな久蓮の様子にも慣れたもの。敢えて深く突っ込んでこようとはしない。


――――そんなノリちゃんに甘えてる自覚は、あるけどね。


「むしろ、入部(はい)ってからの方が問題――だろうな」

「……」


 ふ、と笑みを消して、ぽつりと呟く。尚も黙り込む範昭は、そんな久蓮にじっと視線をぶつけていた。ちらりとその様子を流し見て、久蓮は再びにっこりと口角を上げた。


「行こうよ、ノリちゃん」


 溜息を吐きつつ、自分に続いて走り出す己の同輩に、久蓮はひっそり微笑んだ。


   *


――――"むしろ、入部(はい)ってからの方が問題――だろうな"。


 自身の思考に沈みながら呟いた先の言葉は、予想の形を取ってはいるが、それでいて久蓮にとっては確信だった。

 練習を終えた久蓮は、自身の研究室に戻り、キーボードを叩きながら思考する。あの日、如月蒼と目が合ったあの瞬間、久蓮の身体には電流が走った。まさか、()()()()()にこの地で出会うことになるなど、予想だにしなかった。それも、この、久蓮の勝負の年(天恵七年)に――。

 そしてあのとき、久蓮は見た。――蒼の瞳にも、確かに情熱の焔が揺らめいていることを。


「何かいいことでもありましたか? 篠崎くん」


 ことり。

 久蓮の手元に、お気に入りのコーヒーが置かれた。爽やかな香りが、鼻をくすぐる。久蓮は礼を告げて、声の主――野々口(ののぐち)賢吾(けんご)を仰ぎ見た。にっこりと微笑まれ、毒気を抜かれる。


「如月蒼を、見つけたんです」

「それは……、楽しみ、ですねぇ」


 久蓮の台詞に、野々口は瞠目した。不親切な、名前だけでの説明は、それで分かると踏んでのものだ。そしてそれは、案の定――。

 久蓮の研究室の教授――野々口は大の陸上ファンなのだ。自身も四十年近く前に箱根を走っており、その当時、駒河(こまがわ)大学で花の二区・二年連続区間賞を獲得していた実力者である。久蓮は、二年生のとき学科の講義を受けた初回に声をかけられた。何でも、高校時代の久蓮の大ファンだったとかで、走らないのかと詰られたものだ。多くは語らずとも、その表情と矯正されたフォームからすぐにある程度の事情を察してくれたが。その後も紆余曲折あって、陸上競技部の顧問として名前を貸してくれている、という現在だ。

 そして、彼であれば、蒼ほどの人物が極北大(この地)に来るということの異質さも、理解しているハズだ。それもひっくるめての、()()()()()()()――なのだ。


――――プレッシャーだねぇ。


 久蓮は、心にも無いことを浮かべながら、僅かに口角を上げた。

 如月蒼が、極北大を選んだ理由――それは間違いなく、()()()()()()()()だろう。未練なく諦めるために、後戻りのできない――即ち、レベルの低い――北海道の地を踏んだのだろう。まさかこの地に、()()()()()()()()()()()――。


 蒼の出身高校は、銘華(めいか)大学付属高校という、長距離では名の知れた強豪校だ。久蓮自身、三年間都大路の覇権を争った、そんな関係の深い高校。在学期間は直接被ってはいないものの、そこでエースを張っていた青年――それが蒼だ。

 鮮烈な才能を煌めかせる、その姿が生むものは、プラスの感情だけではない。当時の彼は、どんな環境に置かれていたのか。想像に難くない。――そしてそれは、久蓮の単なる妄想ではない。国体本戦――その時の彼を、久蓮はよく覚えている。インハイの彼とは似ても似つかない彼の動きは、まさしく、蒼が当時、苦境にあった証だろう。


 "もう、あんな思いをしたくない"、と――きっとそんな思いだけで、蒼はこの北の大地にやってきた。恐らく複数あったであろう、関東の箱根常連校からのスカウトも全て断って――迷いを断ち切るために、やってきた。そして、それなのに、蒼は、見つけてしまった。蒼自身の中に燻る、()()を。

 久蓮は知っている。その焔は、灯ってしまったが最後。もう、逃れられない――。


――――そう、焔は、灯されたのだ。……ってね。


 コーヒーを一口流し込み、久蓮はこの先の未来に思いを馳せた。

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