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旅路の果て  作者: 灰猫
【第2章】描く景色の先に
29/29

26.土曜日、予定どない?(天恵7年6月上旬)

 じりじりと差し込む陽射しに眉を寄せて、久蓮は小さく寝返りを打った。今は何時だろうか? 裸眼のぼやけた視界では、壁にかかっている時計の位置すらも判然としない。


「やー……サイアク……」


 ズキズキと痛む頭を振りながら、久蓮はゆっくりと身を起こした。ぼんやりと、昨晩のことを思い出す。


   *


「潮時だな、久蓮……」

「え?」


 日付けを越えて暫く。唐突にそんな声をかけられた久蓮は、反射的に顔を上げて声の主を見た。そしてすぐに視界が揺れ、そのまま突っ伏した。


「あ、れ……?」

「大丈夫か? ……、――お前、不調に慣れすぎだ」

「はは……」


 駆け寄って額に手のひらを当てた昴は、呆れたように溜息を吐いた。

 おっしゃる通りだ――いつの間に悪化していたのだろうか? 全然、気付かなかった。ぼんやりとしている久蓮を余所に、昴はてきぱきとアイシングを取り替え、解熱剤を手渡した。


「全く……身体が資本だろうに……。暮井さんも向こうも、待ってくれない訳ではないだろう」

「うーん」


 その言葉には心の片隅でどうかな? と思いつつ、久蓮は曖昧に頷いた。

 まあ確かに、久蓮の状態が伝われば、無理に急かされたりはしないかもしれない。けれど、そうなれば、そのしわ寄せは珠希に行くだろう。久蓮と一つしか年が変わらないのに、実業団と研究者――そんな二足の草鞋を履く彼女に、あまり迷惑をかけたくはなかった。


「まあいい。とりあえず、平日は部活は出るな」

「え、どうせ走らないから行けるケド」

「大人しくしておけ。昨日ポイントを入れたのだから、次のメインは土日だろう」

「んー……」


 淡々と告げる昴に、けれども久蓮は煮え切らない。皆の練習を見ておきたい、そんな気持ちも確かにあるのだけれど、それならば昴の言う通り、土日だけでも差し支えないだろう。ただ――。


「真平、か」

「うん……」

「練習は軽いんだ。この二日、三日で大きく変わる筈がないだろう。――さあ、もう寝ろ」


 昴は、久蓮の懸念をぴたりと当ててきた。そう。早く真平の練習を止めて、病院に行かせなければ。昴は一瞬顔を曇らせると、久蓮の目蓋の上に手を置いた。ひやりとした冷たさに、久蓮は自分の意識が眠りへと沈んでいくのを感じた。


   *


 時刻は九時ぴったりだ。野々口研はコアタイムがないので、別に遅刻ではない。研究室に脚を運ぶか否かを考えて、今日一日は欠席することにした。解析ならば、家でもできる。ふらふらと酷い顔で二人に会えば、どうせ即座に強制送還コースだ。

 唯に連絡を入れて一息。朝食にしなければいけないが、どうにも動きたくはなかった。そんなとき。――ピロン♪


「ん? 、……!」


 突如、通知音とともに震えた携帯。視線を落とすと――。


――――"机の上。ちゃんと食べてくださいよ" 。


「あー……、もう。敵わね~」


 文字の通りに机の上を見ると、しっかりと軽食が用意されているではないか。メッセージの主――昴が用意してくれたのだろう。久蓮が()()()考えに至ることなど、お見通しというワケだ。久蓮は、白旗を上げてその場に突っ伏した。

 気合いを入れて立ち上がり、席に着く。カフェのモーニングのような朝食は、未だ温かかった。一体昴は、いつまでここにいたのだろうか? 合鍵を渡すほどに頼っているのはこちらだけれど、こんなにも世話をかけてしまって、昴自身のことは大丈夫なのだろうか。昴とて、環境が変わったうえに、久蓮と同じように部活に研究室にと多忙なのに――。


 溜息を吐いて、久蓮は朝食に集中することにした。


   *


 プログラムを書き終わった久蓮は、解析の完了を待ちながら、ふと窓の外を眺めた。何度かこの作業を繰り返しているうちに、外はすっかり日が傾いてきていた。体調は大分よくなった。明日は、研究室には出られるだろう。


「真平……」


 久蓮はぽつりと呟いた。

 真平の怪我は、実際のところどの程度なのだろうか。周りがどれだけ気付いているかは判らないが――恐らく、いま本人以外で気付いているのは昴と久蓮くらいのものだろう――あの足はちょっとマズい。きっと、直ぐにでも練習を休まなければならない程だろう。


「余裕、無さすぎでしょ……」


 久蓮は自分の不甲斐なさに溜息を吐いた。昨日のうちに、怪我を指摘できればよかったのだが、自分の調子が悪すぎて――あまりにも余裕が無さすぎて、後回しになってしまった。

 けれど、これ以上後回しには出来ない。多分真平の怪我は重く、戦線離脱を余儀なくされるだろう。そして、下手をすると駅伝には間に合わないかもしれない。だから、少しでも早く――。


――――♪、~~♪ー、♪―~♪


「ん、誰……」


 全く予想もしないタイミングで、久蓮の携帯が高らかに着信を告げた。マイナスに沈んでいた久蓮の思考に割り込むように、軽快な音が室内に響く。


「みゃーちゃん……?」


 ディスプレイを確認すると、相手はなんと極教大の宮田悠だった。相手を見ても、その用件は全く予想がつかない。一年生のとき競技場でばったりと邂逅した際には、連絡先を交換していたけれど、ついぞ連絡を取り合ったことなどなかったのに。


「やー、久蓮クン! 突然すまんな」

「ん。珍しいね、どしたの」

「あれ、……キミ、体調悪いやろ?」

「……」


 鼓膜を揺らした明るい声に、久蓮は普通に答えた――つもりだったのだが。たった二言程度で、久蓮の不調を見抜いたというのだから、驚きだ。相変わらずの悠。


「……ちょっと、オレの周りエスパー多すぎね?」

「皆キミに言われたないやろ」

「ははっ」


 自分のことは棚に上げて唇を尖らせた。悠からは、当然のようにそんな突っ込みが入ったけれど。


「どないしたん」

「ん。ちょっと張り切り過ぎただけ」

「そ、か。キミがやることやから、"必要" なんやろけど……大事にせぇや」

「うん」

「ま、そう言うわいも、怪我してもーてるから説得力ないわな」


 本当に大事そうに――心配そうに告げる悠に、素直な返事が出た。苦笑と共に付け足された言葉には、静かに首を振った。言葉はない。けれど、ふ、と切り替わった雰囲気に、久蓮は自分の仕草が悠に伝わったことを覚った。


――――ああ、走りたいな。


 ずっと待たせているこの青年と、心往くまで。


「わいもやで、久蓮クン」


 そんな無言の想いも、悠にはしっかりと伝わってしまったらしい。

 八月……駅伝の展開次第では、もしかしたら――いや、()()()()()その余裕はないだろう。そもそも、この先がどうなるか。それは、久蓮にも判らないのだから――。


「大分逸れてまったんやけど……」

「ん」


 そういえば。すっかり忘れていたけれど、そもそもなにか用事がかったからこそ、珍しくも電話をかけてきたのだ。そうして言葉を待った久蓮の耳に届いたのは、


「土曜日、予定どない?」


 そんな声だった。


「来るの?」

「おん。航空部が使いたいとかでなー、ウチOFFなんよ。キミ等が良ければ、晃と一緒に練習参加させてもらわれへんかな」


 なるほど。そういうことか。


「オレは走れんけど、それでも良ければおいでよ。蒼の練習相手になってくれ」

「ええん? 喜んで~! ……実はなぁ、晃のヤツ蒼クンに興味津々でなぁ」

「ふうん?」


 昴もできるだけ部活に参加してはくれているが、研究室が忙しいときもある。これで真平まで離脱となれば、蒼の練習はひとりで……ということも出てくるだろう。こんなありがたい機会はない。そんな思いで悠にお願いをすると、悠は弾んだ声で言葉を続けた。

 なるほど。高校時代、蒼は同世代では頭1つ抜けた実力を見せつけていたであろうから、その気持ちも納得だ。それに、晃が気付いていたかどうかはさておき、あんな淋しい瞳をして高記録を叩き出し、そして国体予選の失速――姿を見せなくなった彼が、こうしてここにいるのだから。


「ま、そんなとこや。仲良ぅなれると思うねん、あの二人」

「ナニソレ、大歓迎♡」

「やろ?」


 別に言葉にはしていない思考だったのだが、電話越しでも粗方覚られている。別にお互い様だし、今更驚きもなにもないけれど。


「仲良く……か」


 高校時代、チームでも冷たい視線を受け続け、ずっと独りで走ってきた蒼にそんな()()()()ができるなら。そんなに嬉しいことはない。

 それに、悠としても、晃には自分()だけでなく、もっと広い世界を見てもらいたいだろうから。本州の強豪校にチャレンジするポテンシャルもセンスもあったのに、悠と同じチームで走ることを選んだ晃には。


「利害も一致――ってな」

「ははっ、そんな打算じゃないクセに」

「なんや、バレとるわ」


 結局――お互い、皆のことが大切で、楽しみたいだけなのだ。そこにある想いは、大して変わらない。

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