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旅路の果て  作者: 灰猫
【第2章】描く景色の先に
24/29

21."どギツいの"(天恵7年6月上旬)

「モモ、ブッ飛ばすぞ。短距離走るつもりで着いてこい」


 蒼がスタートの合図を出す少し前。翔太と二人きり、スタートラインに並んだ久蓮は、そんな言葉をぽつりと小さく呟いた。疑問符を浮かべていた翔太の頭に、徐々にその言葉の意味が染み込んでいく。それをしっかりと確認して、久蓮は蒼に目配せを寄越した。


「それでは、よーい……スタート!」

「――え?」


 蒼の合図に背中を押されて、久蓮は地面を強く蹴り飛ばした。瞬間、観戦している皆の驚愕の声が後方に流れた。

 そう。()()()()()()、ではない。これはもう、()()()そのものだ。それほど――久蓮としても、ほぼ全力のスピードだった。けれど、()()が大事なのだ。スタート。その飛び出しの一瞬で、翔太の気配は後方に消えた。でも、容赦なんてしてやらない。だって、翔太はきっと追いついてくる。


 ぴりり、と背筋を走る痺れに、久蓮は口角を上げた。その気配は、間違いない――翔太だ。ちらりと流し見たその瞳には、ギラギラと熱い焔が激しく揺らめいていた。


「さっすがモモ。おいで」


 大きく目を見開いた翔太が、熱に浮かされるように久蓮に並んだ。同時に久蓮の身体を駆け巡る、ぞくぞくそした痺れは、間違いなく、興奮だ。翔太を鍛えるためのこのメニュー。けれど、久蓮は――久蓮自身が、この瞬間を楽しんでいる。昴とでさえも、体感できないであろう、この恐ろしいまでのスピード勝負を。


「――っ」


 みし、と、早くも膝が軋んだ。

 仕方がない。覚悟の上だ。今、久蓮は負荷の高い、()()()()()()で走っている。このフォームでなければ、ここまでのスピードは出せないからだ。今のフォームは、負荷こそ少ないものの、パワーには欠けるのだ。

 懐かしいこの感覚。やはり気持ちはいい――が、脚はもってくれないようだ。久蓮は奥歯を噛み締めて、ペースを維持した。


「四十二、四十三、四十四、四十五、四十六、四十七――」


 スタート地点に差し掛かり、蒼が読み流しているタイムが聞こえた。一周目は、四十六秒といったところだ。狙い通りに、狂ったタイムで突っ込むことが出来た。一安心だ。

 それにしても、やはり翔太のスピードは一級品だ。ここに居る他の誰も、この一周目についてくることはできなかっただろう。――久蓮とて、かなりギリギリだ。けれど――ここからだ。


   *


 二周目も後半に差し掛かり、なんとか喰らい付いていた翔太の気配が、突然消えた。ちらりと後ろを確認すると、酷い動きの翔太が、必死に此方を見据えていた。神経が断線したかのようなその動きは、先のインカレ選考T.T.の時よりも酷い。――つまりは、狙い通りだ。


――――っていっても。オレも……っ相当キツいけど……っ!!


 この突っ込みは、いくら何でも無茶苦茶だ。だからこそ、翔太に体験させる意味があるのだけれど。久蓮がここで潰れたら意味はない。久蓮は必死に身体を動かした。かつてない程の負荷に、酸欠に喘いでいる頭をフルに回転させて、正しいフォームに手足を動かす。


「っモモ!! ……走れ!!」


 必死に息を吸い込んで、久蓮は大きな声で翔太に檄を飛ばした。その声が届いたのかは判らないが、翔太は必死に藻掻きながら、先を目指している。その瞳は死んではいないけれど、ペースの低下は止まらない。

 これは、限界だろう。久蓮がこれ以上このペースで走る意味はない。久蓮はペースを緩めると、最近のいつものフォームへと戻して、残りの距離を走り切った。


「六十六、六十七、六十八、六十九、七十、七十一――二分……三十一秒……!」

「馬鹿か、てめぇ」


 そんな蒼の告げたタイムを聞きながら、久蓮はゴールから数歩歩いて俯いた。半ば叫ぶように噛みついて、範昭がこちらに駆け寄ってくる気配を、どこか遠くに感じた。そのまま更に言い募ろうとする彼を、久蓮は慌てて静止した。


「ストップ。――今日は止めさせない」

「チッ。――今日()、だろうが」


 いつもより強力な痛み止めも虚しく、既にこの膝が酷い状態であることは、オレが一番解っている。酷い頭痛だ。けれど――それでも。今日のこの二つのレースだけは、()()()止めさせるわけにはいかないのだ。

 範昭と、鋭い視線で睨み合う。膝に手をついて、荒い呼吸。止めどなく額を流れ落ちるのは、油汗だろう。そんな情けない状態だが――退くワケにはいかない。


「三分四秒!」


 そうしているうちに、翔太がゴールした。ゴールと共に倒れ込んだ翔太は、完全に目を回しているようだ。久蓮は、重い身体を動かすことが出来ずに、ちらりと視線を投げ、蒼と昴と頼ることにした。


「蒼、昴サン、乳酸抜いてやって。復活したら、二本目な」

「はい」

「任せろ」

「てめぇはこっち来い」


 快諾してくれた二人を余所に、久蓮は動くことが出来ない。一歩でも足を踏み出したら、身体を駆け抜ける激痛に、悲鳴を上げて蹲ってしまいそうだ。そんな姿を、皆に晒すわけにはいかない。

 その場に立ち尽くしたままの久蓮へ、範昭が救いともいえる声をかけてきた。範昭はそのままこちらに近づいてくると、久蓮の手を掴んで囁いた。


「崩れそうになったら支えてやるから。取り敢えずこっち来い」

「……サンキュ……」


 ぶっきらぼうながらも頼もしいその言葉に素直に従った久蓮は、ただ引き摺られるように連れられて、サークル棟へと向かった。


   *


 ひんやりと、膝を覆う冷たさが心地よい。

 久蓮は、未だに回転の鈍い頭で、茫然とサークル棟の部室前に座っていた。ストレッチマット――用意してくれたのは範昭だ。氷も。


「……これが、いつか言ってたヤツか」

「そゆコト。ね、オレにしか出来ないでしょ」

「……ちっ」


 憮然とかけられた問いに、にやりと笑って答える。半分は、強がりだ。それに気付いているからだろうか、範昭の視線は鋭い。何も言わないのは、きっと、言っても無駄だと思っているのだろう。


「……あと二本。あと二本だけ、走らせて」

「……。大体お前、止めさせる気なんてねぇだろ。……やってこいよ――()()なんだろ?」


 いつもいつも、察しの良いこの同期に、久蓮は静かに笑みを浮かべた。助かった。強く止められていたら、折れていたかもわからない。脚も身体も、早くも限界だ。けれど、それでも――走りきるのだ。走り切らなければ、ならない。


   *


「それでは、位置について――スタート!」


 翔太の復活後、二本目の千メートルがスタートした。今度は、千メートルとしては普通の入り――静かな立ち上がりだ。久蓮は翔太の前に出て、ペースを作っている。背後から聞こえてくる息遣いは、先程のダメージが残る分辛そうに乱れてはいるものの、刻まれているリズムはしっかりとしたものだ。

 久蓮の膝も、先程のアイシングが効いている。相変わらず接地の度に痛みは走るものの、一本目よりはいくらもましだ。範昭のおかげだ。


「六十、六十一、六十二、六十三、六十四、六十五――」


 四百メートルとは、短いものだ。あっという間にホームストレートに差し掛かり、蒼の流し読みのタイムが聞こえだす。狙い通り、六十五秒での一周目。二人の実力からすると、そこそこゆっくりな入りだ。先程のスピードを体感した後では、翔太には酷くゆっくりに感じていることだろう。

 事実、二周目に差し掛かって尚、翔太のフォームに先程のような崩れは見当たらない。そんな姿に、久蓮はひっそりと笑みを浮かべた。そうだ。それで良いのだ、と。


 ホームストレートを通過して、残るはあと一周だ。

 とん。久蓮は、翔太の真横まで下がって、その背に触れた。反射的に振り返った翔太を、強い瞳で貫いた。


「いけ……!」

「――っ!」


 絞り出すようにして告げた言葉に、翔太は目を見開いて、弾かれるようにスパートをかけた。そんな翔太を追って、自らもペースを上げようとした、――その時。


「っ、ぅあ――」


 一際激しい痛みが、膝から脳天へと突き上げた。堪えきれずに漏れ出た悲鳴は、この一瞬で距離が開いてしまった翔太には届かないだろう。突然の衝撃にブレたフォームは、観戦している彼らに気づかれただろうか――?


――――ヤバい……!


 久蓮はそのまま、一瞬俯いた。この痛みは、ちょっと危なかった。疲労も相まって、足が鈍る。


――――っ、くそ。ざけんな! まだやれる。やりきるんだよ!!


 荒い言葉で自身を鼓舞すると、久蓮は視線を上げた。追い付くべき照準(翔太)を見据え、スピードを上げた。危なかった。あんなところで潰れたら、この後昴とレースをする意味がなくなってしまうところだった。


「――まだ、いけるっしょ」

「久蓮、さん……!」


 急いで翔太に追い付くと、久蓮は努めて楽しそうに――そして挑発的な声をかけた。アウトに膨らんで横に並び、翔太が少しでも走りやすいようにと、様子を見ながらペースを上げた。翔太が今持てる全てを、出し切れなければ意味はない。


「六十五、六十六、六十七、六十八、六十九、七十――」


 蒼の声を聞いて、あと半周。二周目は、六十八秒。少しペースが落ちてしまったか。久蓮がぐっと更にスピードを上げ、翔太がそれに続く。そうして競り合いながら、二人は同時にゴールした。


「――二分四十六秒」

「!?……?」

「な、モモ。結構、違うもんだろ? ――あとは、自分で作っていきな。納得できるスタイルを、ね」


 蒼の声に、まるで狐に摘ままれたような、不思議そうな顔をしている翔太に、久蓮はにやりと笑った。これはつまり、目論見は成功――というわけだ。今は疑問ばかりだろうけれど。翔太は、必ず答えに辿り着く。

 久蓮はただ笑んだ。そしてそのまま、動けなかった。これが、限界だ。頭痛が止まらない。酷い耳鳴りは、そのせいか。汗が止まらない。脚が――。


「大丈夫っすか?」

「ん?」


 周囲に聞かれないようにと囁かれた、それ。耳鳴りのせいか、言葉の意味が染み込んでくるのが遅れた。一瞬、ぽかんとしてしまった久蓮は、その表情をすぐに苦笑に変えた。

 バレてしまった。この後輩に。眉を下げ、人差し指を口許に当てた久蓮に、言葉を失っている。そんな蒼に申し訳なさを感じながら、久蓮は口を開いた。


「皆、お待たせ。集合、しましょ」

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