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旅路の果て  作者: 灰猫
【第2章】描く景色の先に
22/29

19.事態は動き出した(天恵7年5月下旬)

――♪、~~♪ー、♪―~♪


「――!」


 突然、部屋に鳴り響いた、携帯の着信音。予想だにしないタイミングでのそれに、久蓮はびくりと身体を揺らした。


「ん、誰……蒼?」


 ディスプレイに表示されていたのは、先日、無事復調を果たしたばかりの後輩の名前だった。久蓮は首を傾げた。にわかには、用件に思い至れなかったからだ。蒼の悩みは、昨日のレースで一応の解決をみた筈だったから。


「どうした?」

「……っ」


 何か、あったのだろうか。悪い予感が脳裏を過った久蓮は慌てて水を含み、喉の調子を戻す。そうして通話に応じるが、その声は、普段よりかなり低く掠れてしまった。

 しまった。蒼が違和感を覚えていないと良いのだけれど――そんな懸念を余所に、受話器の向こうから帰ってきたのは、詰まった吐息だけだった。その音に、安堵の色が乗っていて、久蓮は今日の部活で何かが起こったのだと悟った。思い付くのは、二択だが――。


「っ、あの、……」


 用意していた言葉が飛んだのだろうか? 蒼は告げるべき内容を探して視線を泳がせているようだった。必死に間を繋ごうとするその様子が面白くて、久蓮は思わずくすりと笑みを零した。


「ねぇ蒼。今日は楽しく走れた?」

「っはい!」

「ははっ。それなら、一肌脱いだ甲斐があったかな」


 助け船のつもりでそう問えば、食い気味の答えが返ってきた。間違いなく、これは心からそう思ってくれているのだ、と伝わってくる。――よかった。

 ともかく、これで一つ、蒼の用件の選択肢は消えたわけだ。つまり――。


「それなら、アイツら喧嘩でもしてた?」

「!!」


 久蓮がそう言った瞬間、蒼が驚きに息を呑んだのが聞こえた。やっぱりか。そんなことをぼんやりと考えた久蓮に、蒼は今日の出来事を話し出した。


「実は――」


   *


「アイツら……遂にやりやがった……」


 蒼が話してくれた事の顛末に、久蓮は自身の顔を片手で覆い、大きく溜息を吐いた。いつか範昭が我慢の限界を超えるだろう、というのは、想像の範疇だった。だけれども――。


「最上級生二人がガチの喧嘩とか、誰が止められんの、バカじゃん」


 久蓮は思わず悪態を吐いた。

 蒼曰く。今日の練習後、範昭と昴が掴み合いの喧嘩をしたのだ、と。理由は、昴の()()に範昭が腹を立てたというもの。状況は正しくは、怒る範昭を、昴が煽った――といったところだろう。そろそろ、()()()()()()()と考えていたであろう昴は、嬉々として範昭の怒りに乗っかったのだ。

 まあ、それは良いとして。かわいそうなのは、巻き込まれた後輩たちだ。そのとき流れたであろう凍てついた雰囲気を想像し、久蓮は頭を抱えた。


 不用意に皆を不安にさせた彼らには、責任を取ってもらう。――といいつつ、久蓮は昴の思惑に乗っかることにした。久蓮としては少し早いタイミングだが、いずれにせよ、皆の前で事は起こってしまった。今後にわだかまりを残さないためには、なかったことには出来ない。

 にやりと笑んで、久蓮は口を開いた。


「さんきゅね、助かったよ蒼。アイツらオシオキな」

「あれ。()()って、久蓮さん()()なるって判ってたんですか」

「んー。アイツ、そうでもしないと吐き出さないからな」


――――まさか、皆の前でやるとは思わなかったケド。


 首を傾げた蒼に、久蓮はあっさりと、そんな答えを返した。

 範昭が、昴に不満を持っていたことを、久蓮は知っていた。まあ、気持ちは解らなくもない。あんな才能(箱根の王者)が目の前に現れて、期待するなと言うほうが無理だろう。


「オレがただ口で言っても、納得しないし、ね。――まあ、そうさせちゃってんのはオレだけど」


 電波の先、蒼が首を傾げる気配がした。自嘲と共に落としてしまった言葉だ、深く説明する気はない。


「火曜日、楽しみにしといて」


 とにかく、今後の方針は決まった。久蓮は告げる言葉に楽しみの色を乗せて蒼へと笑った。返ってくる反応から不安の色が抜けたのを確認して、久蓮は今度こそゆるりと笑みを浮かべた。


――――よく見ていてくれ。皆の血が沸騰しそうな程に、熱い景色を見せるから。


   *


「ごめん……ノリちゃん。オレ、知ってたんだよ、解ってた。でも後回しにしてた」


 通話を切ると、久蓮は身を起こしていた布団に突っ伏した。届きもしないのに、範昭への謝罪を零す。言い訳染みた響きに、久蓮は自嘲する。

 今日の事態は、久蓮のせいだ。久蓮が、範昭に心配をかけ続けたから。頼りきりだったから。だから、範昭がそんな懸念を吐き出すタイミングを見失ってしまったのだ。そうして膨れた不満は、今日、爆発することになったのだろう。


「ゴメン。でもオレは、ただ話だけで事を収めるワケにはいかない。キミには、また心配をかけるだけ……。でも、それでも――」


 久蓮が、自身の全力を利用できる機会は、多くない。そして、この件は、その貴重な機会だ。昴の思惑に乗っかるということは、範昭に心配をかけるということ――。

 久蓮は、暫しの間、布団の隙間で息を潜めていた。


   *


 夜も更けてきた頃。久蓮は携帯を操作して、()へと電話をかけた。そろそろ、夜中に隠れて行っている練習も終わり、自室でゆっくりと、研究データを弄り始めようとでもしている頃合いだろう。


「――流石、だな」

「……大丈夫?」

「俺の台詞だろう」


 用件を告げるよりも先に、久蓮はそんな言葉をかけていた。途切れたコールの先、応えた昴の声が、一声で判るほどに掠れていたから。これは、夜の練習で、喘息の発作が起きたに違いない。それもかなり酷いものだ。

 けれど、昴は呆れたようにそんな言葉を返しただけだった。久蓮は苦笑を零す。まあ確かに、レース後に高熱を出してぶっ倒れた奴には言われたくないだろうけど。


「……ごめん」


 唐突に本題に移っても、昴は動じない。それが解っているから、久蓮は不親切に言葉を紡いでいく。


「気、遣わせたでしょ。アンタに()()()選択をさせたのは、オレだ」

「それを望んでいた。――そう言ったら?」

「……ズルいでしょ、ソレ」


 久蓮の言葉に、昴はくすりと笑って、ただあっさりとそう告げた。あまりに優しいその謂いに、久蓮は泣きそうになって、慌てて笑う。

 そもそも、昴が範昭の喧嘩を買ったのは、久蓮が不甲斐ないからだ。昴は、久蓮との勝負の機会を得るために、範昭の怒りを利用した。もう一度久蓮の実力を――そして、ダメ押しで昴の実力を皆に見せつけることで、部員たちに勝利のビジョンを見せるために。

 昴としては、本当は、もっと後のタイミングのほうがよかった筈だ。その身体はまだ、本来の状態からは程遠い。それでも久蓮への負担を考え、少しでも駅伝(ほんばん)から遠い今を選んだのだろう。だからこそ、普段より焦った練習で、酷い発作を起こしたのだろうから。


――――でも、事態はもう、動き出してしまった。


「もう、後戻り出来ないよ。配慮だってしてやれない」

「ああ。――望むところだ」


 そう告げた久蓮に、昴はあっさりと言ってのけた。久蓮は息を呑んだ。昴はとっくに、覚悟を決めている。蒼には"楽しみにしといて" なんて言っておきながら、未だ迷いのある自分とは大違いだ。


「楽しめよ、久蓮。俺はそうするぞ」

「……ホント、アンタさ~。ズルいよね」

「褒め言葉だな」


 昴は、そんな久蓮の弱気などお見通しということなのだろう。罪悪感など抱かず、楽しもう、と。そういうことなのだろう。――あの頃のように。

 もう、なんか、どうでもよくなった。昴がこう言っている。皆に安心して、駅伝まで練習を積んで欲しい。そして――。


――――オレは、昴サンと一緒に思いっきり走りたい。


「っはー。もう、ワカリマシタよ! じゃあ、オレも遠慮なく楽しませてもらいマス。……ありがとうございます、昴サン……」

「気にするな。俺が走りたいだけだ」

「……。じゃあ、その明後日のコトですが」


 あっけらかんと言ってのける昴に、久蓮は諦めて勝負の方針を話し始めた。明後日は元々、翔太への特別メニュー(どギツいの)を用意している。だから、昴との勝負はその後だ。


「大丈夫なのか?」

「とーぜん。誰に言ってます、昴サン」


 心配をはね除けて笑ってみせれば、溜息が聞こえてきた。大丈夫だ。外すものか――絶対に、だ。


「それで、なんだケド。皆にバラしていいです? ――喘息のコト」

「構わないさ。どうせいつまでもは隠しておけない。それに――範昭にはさっきバレたぞ」

「え? 見つかったの」


 思いもよらない返事に、久蓮は目を瞠った。夜間の練習後の発作だ。まさか範昭が居合わせるとは思わなかった。


「あいつに救われた。今回は本気で危なかった」

「……っ……」


 けれど、続けられた言葉は、更に衝撃だった。なんと、酷い発作が起きた昴は、薬まで辿り着くことができずに倒れ込んだのだそうだ。酸欠でどうすることもできずに気絶しかけたとき、たまたま範昭が現れたのだ、と。

 そんな状態の昴に、走りを強いている。そんな事実に、久蓮は息を呑んだ。身体を震えが駆け抜ける。


「悪い。気にするな」

「ムリでしょそんなの」

「わかった。これからはもっと気を付ける」

「……イチバン強い薬必須で。絶対ですよ」

「……了解」


 昴はこれ以上退いてくれない。久蓮のできるのはそんな()()()だけだ。久蓮は細く細く息を吐き、気持ちを切り替えた。


「最後に、これからのことですケド。オレ、八月の駅伝までアンタを公式レースに出す気はないです」

「構わないさ。演出は少しでも劇的な方が良いだろう。それに、あまり俺が出張っては、()()が煩そうだしな」

「……流石、ご明察」


 話が早い。わざわざ言うまでもなかったか。久蓮は苦笑して、挑戦状を叩きつけた。


「んじゃ、取り敢えず明後日。お手並み拝見――ってコトで」

「ああ。受けて立つ」

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