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旅路の果て  作者: 灰猫
【第1章】春雷来たりて
13/29

11.塞翁が馬、とは言うけれど(天恵7年5月中旬)

 六連昴(この青年)との付き合いは、遠く六年前に遡る。

 当時の久蓮は、ムーンベルク期待のルーキー――深松誠司に憧れて飛び込んだ陸上競技の世界で、突きつけられた()()以外にはさしたる目標もなく、揺蕩っていた。憧れた色彩(いろ)への辿り着きかたには、皆目見当がつかなかったから。


 涼太郎や(しゅん)、そしてチームの皆を焚きつけながら、漠然と()()を追っていた、あの頃。けれど、そんな面白味の薄い日常を、切り裂くようにして、()は現れた。

 小さな画面に映し出された、一年前の彼――六連昴の勇姿に、久蓮はただ息を呑んで魅入られた。その衝撃は、さながら深松誠司を見た時のそれだ。走りを、心の底から楽しんでいるその姿が、とても――。


 そして、邂逅の時はあっさりと訪れた。忘れもしないその年のインターハイ、五千メートル。それは今も尚、自身の最高のレースと胸を張れる。

 その後、久蓮が高校を卒業するまで、なんだかんだと続いた関係は、ずっと久蓮の支えだった。久蓮を救った枷――()()()()も、全て――。


   *


 視界に映るその姿は、数ヵ月前とは変わり果てていた。テレビ中継で、大学に上がってからも幾度となく目にした、その姿とは――。

 黒かった髪は染め上げられ、明るいミルクティーのような色をしている。眼光鋭かったはずの灰緑色の瞳(モルダバイト)は細められてその姿を隠し、眼鏡の奥で揺れているのみだ。


――――大学院デビュー……ってか?


 ここに居る誰一人として、あんなにも有名なこの青年に気付かないとは、情けない。


――――って言いたいとこだけど、気付け、っていうのは無茶かね、これは。


 まるで、別人である。何かありますと公言しているかのようなその姿に、久蓮は目を細めた。


「ホー。やはり君にはバレますか、篠崎久蓮、さん」

「なにその口調キモチワルイ」

「酷いな」


 良く分からない丁寧な口調に、久蓮は反射的に突っ込んだ。作ったような柔らかさに、ぞわぞわと鳥肌が立つ。両腕を擦って目を細めている久蓮に、昴は目を開き、苦笑ひとつ。途端に昔の雰囲気を覗かせる彼に、久蓮は内心嘆息した。


――――やっぱり、演技か。カンタンに昔の口調()出してくれちゃって。


 しかし、この時期にこうして、こんなところに現れるとは。どうして、等と問いを投げたものの、久蓮はその理由に簡単に思い至ってしまった。ふるり、と震える身体をいなして、目の前の青年を見つめる。

 状況の理解に苦しんでいる部員達を見回し、笑みを浮かべた昴は、ゆっくりと息を吸って言い放った。


「はじめまして、極北大学大学院生命科学院一年。六連昴、です」


 よろしく。今日から、皆さんの仲間に加えてほしいのです。

にっこりと、昴が口にした、そんな言葉。唐突なその展開が、もたらしたのは暫しの沈黙。


――――いやいやいや。


 久蓮が吐いた呆れ混じりの溜息だけが、しんとした場の空気を揺らした。それを皮切りに、漸く事の次第に気付いた面々は騒ぎ出す。この時ばかりは、久蓮は、皆の心情に心底同意した。

 誰が思うだろうか。名実ともに、箱根の王者の座に、四年もの間君臨し続けていたこの青年が、こんなところに現れるなど。


「六連昴?!」

「って、あの?!」


――――人間万事塞翁が馬、なんて言うけどさ。


 この展開は、望んでいなかった。

 騒然とする面々――新入生(ルーキー)二名を除く――の反応に、僅かに眉を下げた昴を見遣って、久蓮は再度嘆息した。


   *


「どういうつもりです?」

「何がですか?」


 あの騒動の後、解散の挨拶もそこそこに、久蓮は昴の襟首を掴んで競技場に程近いファミレスに入っていた。

 昴の真意を聞き出すこと、それが目的だ。飄々とした態度で逃げさせはしない。皆の居る場で問われなかっただけ、親切だと思って欲しいところだ。そんな久蓮の意図を理解しているだろうに、構わず惚けてくる昴に、ジト目を向ける。


――――メンドクサいなー。……解ってるクセに。


「……。アンタ今頃ムーンかキヨタででも走ってんのかと思ってましたよ」


 久蓮は溜息混じりに言葉を付け加える。このままでは話が進まない。久蓮はこの男と今、心理戦をしたい訳ではないのだ。今日はもう、いろいろと疲れた。

 久蓮が挙げたのは、いずれも強豪実業団チーム。"王者"青谷学院大で主将、そしてエースを張っていた昴ならば、少なくとも、極北大で院生なんぞやっているよりかは、よっぽど想像に難くない姿だろう。


「研究、したかったんですよ」

「――嘘ではない、か」


 ぽつりと、久蓮から視線を離さずに落とされた、言葉。絡ませる視線に鋭さが混じる。昴の答えに、暫しの後、断定の形で加え吐き出した久蓮の台詞は、きっと間違いなく、正解だ。


「でも、真実でもない。――だよね」

「……」

「まあ、いいや。……走りはウソをつけないですから」

「怖いな」


 強く、強く、静かに。久蓮の瞳が、昴を射る。誤魔化すことは、赦さない。適当な言葉を並べられるくらいならば、こうして沈黙を守られた方が、いくらかましだった。

 視線を切って、久蓮は言う。昴が極北にいる――そんな()()()()の答えは、きっとすぐに見えてくる。久蓮に隠し通せるほどに些細な事情ならば、きっとこの青年はここにはいない。真顔で告げたその言葉に、ぽつりと素の呟きを返して苦笑を浮かべる昴。君が言うか、と、声にこそ出されていないが、そう詰られているように久蓮は感じた。


――――こんな展開は、望んでなかった。


 なぜならば、昴はもう、()()()()()ではないのだから。昴は、久蓮が極北(ここ)に居ることを()()()()()()。知っていたら、とっくにコンタクトを取っているハズだ。つまり、彼が極北(ここ)に居ることは、陸上(久蓮)とは()()()()


 あれだけの成績を残しておきながら、実業団に進まず極北大(こんなところ)に来た昴が、入部するには些か中途半端な五月中旬(こんな時期)にこうして、かつての彼とは変わり果てた姿で現れた。何か事情がありますと公言しているのと変わらない。

 つまり、何らかの不調で陸上を諦めるために、戻れない(レベルの低い)道を選んだものの、久蓮を見つけてしまった昴は、こうしてここに立っているのだろう。一度は反故にしかけた、()()を果たすために。


――――オレが追い付く、ハズだったのに、なあ。


 久蓮が大学三年間、走っていない間に追い付き、追い越した昴の記録を、自由を手にして塗り替える。そして、また、最高の勝負を――そう、願っていたのだが。

 久蓮を見かけたから、こうしてここに立っているのだとすれば。極北の地(ここ)での久蓮の走りは、昴の目にはどう写っただろうか。

彼の記憶に残るそれとは変わり果てた走りに――変わらざるを得なかった理由に、彼は何を思ったのだろうか。


――――傷の舐め合いだけは勘弁。


「――それで。どうすんのさ、アンタ」

「ん?」


 それでも頼もしいということは、確かなのだ。昴がチームに加わってくれるというのは。そんな本音を隠して、投げ掛けた端的な言葉は、昴のこれからの事を問うている。


「あんな登場しちゃってさ」

「……」

「期待しちゃうよ? ウチの奴等は」


――――"六連昴" を求められて。今のアンタは、期待に応えられるの?


 否が応でも、"青谷主将の六連昴" ――そのイメージは付いて回る。けれども、陸上を辞め極北にやってきた昴は、今も尚走れるのか、と。

どの程度、戦力に数えて良いのか、と。


「――お前は?」

「さあ。どうだろうね」


 敢えて除外した、久蓮自身の意思。今の言葉に含まれた思いを、昴は目敏く見つけて問うてきた。久蓮は曖昧に笑う。


――――だって、期待しちゃうじゃん。ココから、掬い上げてくれるんじゃないかって。


「――しろよ」

「……」


――――やだ。


「俺に期待しろよ、久蓮」


 かつての、六連昴がそこに居た。高校時代幾度となく共に走った、あの時の、昴が。無言のままに浮かべられた笑みが、久蓮に語りかけてくる。瞠目する久蓮を見て、昴は満足気に微笑んでいた。


――――"解るか? 久蓮。俺には、()()()()()()()。お前と走るなら尚更な"。

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