0.雪融けを待つ(天恵7年2月下旬)
走るってのは、単純至極。しかし、オレの想像を超える、魂を揺らす勝負が待っている。身の内に煌々と灯る青銀の焔は、何処まで墜ちても、決して消えない、何物にも代え難い光明だ。
だからこそオレは、苦しくても、傷付いても、その刹那の永遠を、求めて止まない――。
*
オレの大学生活の思い出は、何時だってアイツ等と共に在った。気付いていなかっただけで、ずっと。
そして伝説は幕を開ける。只管に春を待った、あの雪の日から――。
*
はらはら。はらり。冬の光の中を、白い綿が舞う。
窓辺に頬杖をついた青年――篠崎久蓮は、見るともなしに、風に舞う白をその瞳に映していた。
「何ボサッとしてんだよ」
久蓮の背後から同輩――清野範昭がそんな声をかけてきた。その声を背中に聞きながら、久蓮は音もなく苦笑を零した。吐き捨てるように投げ掛けられたそれには、しかしながら、微かな心配の色が混じっていたことに、気付いていたから。
久蓮はちらりと声の出所に視線を投げ、そしてすぐにそれを窓の外へと戻した。
「やー」
いつものように軽い調子で、しかし、なんの温度も込められていない返事を投げる。いや、こんなものは返事とは呼べない、――か。
落ちた沈黙。特段、居心地の悪いものではないそれ。範昭は、この後ろ姿を呆れと共に見つめているのだろう。自らの目で確かめずとも、久蓮にはそれが察せられた。そう。だって彼は、知っているのだから。久蓮の抱えた事情を――。
「はー……」
そして落とされた、諦観を含んだ溜息一つ。一呼吸の後、そっと気配が近づいて来る。久蓮はそれを視界の外に置いたまま、ただ感じていた。
*
光の中を、初々しい顔がまばらに行き交っている。
今日は、極北大学の二次試験当日。この北海道 極北市にある国公立大学の敷地は、広い。先程ジョグをした際は、ちょうど試験終了と重なったのであろう、悲喜交々の顔を浮かべた高校生で賑わっていたものだ。
多くの人が行き交う風景を想起する。あの中の、幾人がここに通うことを赦されるのであろうか。――そして、あの中に、居るのだろうか。自分達と、自分と共に走りたいと。そう、心から願ってくれる者が。……居るのだろうか。
「まーた、巻き込むつもりかねぇ……」
ふと我に返り、久蓮は独り言ちた。それでは、高校時代の二の舞ではないか。愛しい彼らの顔が、浮かんでは消えた。
けれども同時に、自分の求める自由は、決して独りでは掴めないことを久蓮は知っていたから。だからこそ、久蓮はこうしてこの極北の地で、三年間も機会を待っているのだ。自由の空に翔び立てる、その時を――。
――――そんな時が来るって? ……本当に?
弱気が過った。もうじきここもバレるだろう。今まで隠し通せていたこと、それ自体が奇跡に近いのだから。タイムリミットが迫っている。覚悟なんて、これっぽっちも出来ていないけれど。動き出した時の先、自分の手には果たして、輝く未来が残っているのだろうか?
じわり、じわりと、熱が体を巡る。それは、しつこく居座る膝の痛みだけではない。もっと奥深く、深く――。昔からずっと、求めてやまぬ、それ。どんなに痛め付けられようとも、消えない、それ。
ちらり。久蓮は再び彼に視線をやる。途端に、ぱちり、と視線が絡み合った。久蓮は、そこで初めて、彼――範昭が久蓮を見ていたことに気がついた。
「もうすぐ、止むぞ」
――――ああ、オレは、こんなにも、切望しているのだ。もう一度、あの舞台に立つことを。そして――。
「はやく、融けないかなぁ」
絡んだままの視線そのままに、久蓮はぽつりと呟く。範昭は軽く目を見開くと……次の瞬間笑みを浮かべた。
「春になったら、な」




