【短編】お師匠様は渡しません。
「言っておくが……リンコ様の弟子は私一人で充分だ。シオン・オリバー、お前などいらない!」
真珠のように輝く白銀の髪に、皇位継承権の絶対条件である紫の瞳。
まるで絵画で描かれた天使がそのまま外に出て来たような秀麗な容貌をした十歳の皇子は不貞腐れた表情でこちらを睨みつける。
(第二皇子フェルゼン・アインシュタット……これは面倒な皇子に目をつけられてしまったな……)
騎士の訓練場に入るなり、フェルゼン皇子に絡まれたシオン・オリバーはこれは困った事になったと表情を曇らせた。
色々と訳ありなこの皇子は自分と同じタイプの人間で周りに感心が無く、心を決して開かないタイプなのかと思っていたが、どうやらそうでも無かったらしい。
先日の武道大会で優勝した有名な冒険者リンコ・ロイエンザールに夢中になり、弟子にして欲しいと頼み込んだという話はどうやら本当のようだ。
彼のような人間が普段は現さない本性を剥き出しにしながら、こうして自分を牽制して来るという事は……
余程、リンコの弟子になってしまった自分の事が気に食わなかったのだろう。
「もう一度言う。さっきはリンコ様がお前を弟子にすると言い出して、驚いて何も言えなかったが、私はまだお前を認めていない」
「……フェルゼン皇子、申し訳ありませんが……私にはとある深い事情がありまして、リンコ・ロイエンザール様から、どうしても学ばなければいけない事があるのです。……命にも関わる事ですので、ご容赦下さい」
「何だ……訳ありか」
フェルゼン皇子はそう言うと少し黙り込む。
そう……シオンにはある深刻な秘密があった。
生まれた時から、左目に五芒星の印がうっすらと浮かぶ薄気味の悪い瞳に、人が放つ様々な負の感情のオーラを無意識に感じ取ってしまうという厄介な能力。
そして、いくら死のうとしても呪いのように死ねないこの体だ。
もしも、欲深い父親にこの秘密を知られようものならば、永遠に道具として扱われ今よりもずっと悲惨な扱いを受ける事だろう。
そんな深刻な悩みだが、先日悩みの一つを解決する手立てが見つかった。
そう、先日の武道大会で決勝を戦ったリンコ・ロイエンザールという伝説的な冒険者だ。
彼は、一目で自分が人の負の思考などを感じ取る人間だと気付いてくれた。
そして、大会の翌日に不快な人の雑念を軽減させる魔道具級の腕輪を無期限で貸してくれたのだ。
話によると、彼の修行でこの厄介な体質を改善する方法があるらしく彼の弟子になる事を決めた。
「私と剣で勝負してみろ。私に負けるようならリンコ様の弟子を降りろ。幸いここは騎士の訓練場だ」
フェルゼン皇子の意外な提案にシオンは目を丸くする。
この皇子は少し前まで何者かに呪いをかけられ【灰皇子】と呼ばれていた。
呪いが解けてアインシュタット帝国の皇位継承権を持つ紫瞳になるまで誰にも見向きもされなかった……ある意味、自分と似たような境遇の存在だった者だ。
(――皇子の境遇を考えると、恐らく剣術の稽古もまともにつけて貰えなかった筈だ。皇子は年下な上に俺は臣下だ……どうする? 負けてやった方がいいのか? 駄目だ。俺はあの人から学ばなければいけない)
ヒュゥゥゥゥ…… ドスッ! ドスッ!
そう思い悩んでいると、空から訓練用の剣が飛んできて勢いよく二人の目の前の地面に鈍い音を立てながら突き刺さった。
訓練用の剣を地面にめり込ませるなんて尋常ではない。
シオンは溜息をつきながら、尋常では無い怪力で剣を投げ飛ばして来た豪快な人物に目をやる。
漆黒の艶やかな髪に七色の光を宿す黒水晶の様な瞳の女神のような容貌
……リンコ・ロイエンザールだ。
「――ちょうどお前達二人の実力を見ようとしていた所だ。見ていてやるから気が済むまでやり合ってみろ。因みに手加減などという下らない真似事をしたら、お前達には剣術は教えてやらんからな!」
リンコ・ロイエンザールは艶やかな漆黒の流れる髪を少し鬱陶し気にかき上げて、瞳孔の奥が七色に光る何とも神秘的な虹色瞳を細めた。
覇気の篭ったリンコの魔気は訓練場に入って来ただけで、その場の空気を一変させ、彼は皆の注目を集める。
「――だ、そうだ。」
その隙にフェルゼンは地面に突き刺さった訓練用の剣を難なく抜き、シオンに飛び掛かる。シオンはそれを体術で間一髪で躱した。
(――これが、今まで剣術をまともに受けた事の無い者の動きだと?!)
フェルゼンの剣を擦れ擦れでかわしつつ、地面に突き刺さった剣を引き抜く。
シオンはフェルゼンの剣を受け止め、お返しとばかりに弾き返すとずっと今まで不満気だったフェルゼンの表情がやや変わった。
気が付くと訓練生たちは手を止めて、フェルゼンと自分の手合わせに釘付けになっていた。
「ふむ……この後に来る攻撃のパターンは多分、左足に力を篭めて剣を叩きつけた後に左に持っている剣を右に持ち替える。そして、相手の気を反らした後に回し切りだな。――さて、と……二人の実力が大体分かった所で訓練用の剣がそろそろ壊れそうだから休憩するとするか。――そこまで」
気が付くと、リンコの大剣で二人の動きは強制的に封じ込められ、剣の打ち合いは強制的に辞めさせられた。
「ハァッ……ハァッ……結構、やるじゃないか」
「お前こそ……」
武道大会の決勝進出者が十歳の皇子と対等に剣を打ち合ったなど騎士の矜持が許さない。
ましてや、先日の武道大会ではリンコにまるで歯が立たず、完膚無きまでにやられたばかりだ。
息が少し乱れている事を悟られないように、なるべく短く答えたシオンは今まで生きて来て初めての感覚に戸惑っていた。
訓練で相手と剣を打ち合ってこれ程の充実感を感じたのは始めて……というよりも、何処か遠い日を思い出させる懐かしさを覚えた。
フェルゼンは大きく肩で息を吸いながらとても奇妙な表情をしてこちらを見ている。
「――で、どうだった? フェルゼン。シオンを私の弟子として認める気になったか?」
リンコにそう聞かれたフェルゼンは、猫を被り天使の様な笑顔で頬を染めた。そして
「……はい、リンコ様が選んで来ただけあって、とても強い騎士ですね。二番目の弟弟子に負けない様に一番弟子の私も精進しないと」
――と、さり気なく自分が兄弟子だと主張しながら爽やかに笑う。
(この腹黒皇子……)
一瞬、別人が体に憑依したのではないかと思うような皇子の豹変ぶりだが、どうやら、ようやく目の前の厄介な皇子からリンコの弟子と認めて貰えたようだ。
「よしよし、本当にお前はいい子だな。フェルゼン……ついでにお前を守るこの国の騎士団の連中も少々鍛えてやろう。光栄に思えよ」
「いえ、それは必要ありません(もうこれ以上はいりません)」
「何だ? 私に負担を掛けさせまいと遠慮しているのか? 相変わらず慎み深くていい子だなフェルゼンは――安心しろ、心配はいらないぞ」
(――いや、リンコ様はフェルゼン皇子の猫被りに気付いていない……明らかにそれは違うと思うぞ……腕輪をしてても分かる。何よりも顔に書いてある)
と、そう思った時……
「貴方様のような名高い冒険者から指導して戴けるとは恐悦至極で御座います」
と、一人の優男がリンコの前に現れた。この男は騎士団長のデュークだ。
「(チッ)……余計な事を」
(今の恐ろしい表情は……悪魔か?!)
隣でそう舌打ちし、悪魔の様な顔をするフェルゼン皇子を見てしまったシオンは自分の目を疑い固まる。
デュークは少々女好きではあるが、最年少で騎士団に入団したシオンの事を何かと気に掛けてくれる面倒見の良い男だ。
今にも邪悪なオーラで暴走しそうな……何をしでかすか分からないこの天使の皮を被った悪魔皇子から守ってやらねばならない。
そう思った矢先に……
「しかし、貴方の様な儚い女神のように美しい方が肩に掛けているこんな大剣を振り回すなんて、この目で何度見ても俄かに信じられませんね。……手も女性の様に美しくて繊細な手をしている」
チュッ……
デュークは陶酔した表情でまるで女性を口説き落とす様にリンコの手を取り手の甲にキスを落とした。
「「……」」
「キュッキューーーウ!」
――その瞬間、デュークは気絶してしまった。
どうやら物凄く腹が立ち、自分の持つ霊獣で目の前のデュークを熨してしまったらしい。
――すると咄嗟にフェルゼンからの念話が飛んできた。
『……それは、お前の霊獣か?』
『……そう……です。(しまった……苛々してつい、使ってしまった)』
『フン、騎士団長のデュークと言ったか? あいつ(今は)命拾いしたな。シオン・オリバー……恩人であるお前の事だけは認めよう――お前がいなければ、私はきっとここには居ない……だろうからな』
フェルゼンはそう伝え、シオンに丁寧に頭を下げると――
「(汚された)手を清めに行きましょうか。リンコ様」
と、言いデュークをギロリと睨んで嫉妬に狂った瞳でリンコを連れ去って行ってしまった。
「まさか、あんな昔の事を覚えていたのか――もしそうだとすると、あいつも、もしかしたら転生者……なのかもしれないな……」
シオンはフェルゼンの小さな背中を見ながら言葉にならない声でそう呟く。
言葉は悪いが、少し恥ずかしそうな表情で丁寧に頭を下げたフェルゼン皇子の姿は、どこか酷く懐かしく胸の奥が何故か暖かくなった。
――――数年後。
リンコ・ロイエンザールの外見に惑わされて、女の様に口説いた者達は一人の大魔導師と、一人の皇子と、一人の霊獣を使役する騎士の嫌がらせによって――
『生きていてすみませんでしたぁぁ』と、夢に魘される程の仕打ちを受ける。
という噂が、語り継がれるようになるのであった。
※
――
――――
さてさて、更に数年後……
大魔導師シェリルス・リートから師匠のリンコを連れ攫われた二人の弟子達はある計画を立てながら剣を交えていた。
「――何の考え事をしているんだ? 随分余裕だなシオン」
「ふふ……ああ、フェルゼン。見た目だけ天使だった頃のお前が、猫を被って弱い皇子を演じながらデューク団長に嫌がらせしてた時の事を思い出していた」
「なっ……うるさいな! 昔の話をするのは狡いぞ。お前も同罪だろう……が」
「サボっていた割にはいい剣筋だな」
城の中に作られた誰もいない騎士訓練場で、フェルゼンの剣とシオンの剣が軽やかに交わる音がこだまする。
「――ここまでだな、もう剣が折れそうだ。……それで勇者派の大神官達のみで、リンコ師匠様を取り戻す為に明日あの胡散臭い魔道具を本当にこっそり使うつもりなのか?」
「ああ……私があの魔道具を使って地球へ行き、破壊龍を宿したお師匠様を連れ戻すと言えば猛烈な反対に遭うからな……大丈夫だ。失敗はしない」
シェリルス・リートと共に地球へと消えてしまったリンコを取り戻す。と、計画を打ち明けてくれたフェルゼンにシオンは黙って相槌を打つ。
封印されていた怪しい魔道具を使う事には、一切の迷いが無いようだ。
「周りの者達に気取られないように、お前は神殿の儀式には立ち会わず普通にしていてくれ。それと……リンコ師匠を向こうの世界から取り戻す事に成功したら、私からの指示があるまでリンコ師匠には逢わないで欲しい」
「ああ……分かったが、なるべく早く俺にもリンコ師匠様に逢わせてくれよ……成功を祈っている。必ず戻って来いよ……フェルゼン」
「お師匠様をこのまま、あのシェリルス・リートに奪われたままでは、いられないからな一泡吹かせて来てやる」
「ああ……頼んだぞ。あんなどこぞの魔導師にお師匠様は渡せないからな。どうした?フェルゼン」
「……リンコ様を取り戻したら、少し込み入った話がある。私の前世の事について話したい」
――シオンは「分かった」と、短く答えて少し緊張した面持ちの掛け替えのない親友でもあり、主君のフェルゼン・アインシュタットを優しく見送った。
ショートショート(と、いうらしい?)のお話書いてみました|ω・)