【短編】腹黒皇帝陛下の昼下がり
あとがき 挿絵入りです。
時系列的には、主人公が攫われてちょうど数日経ったあたり
本編ep8あたりのサブエピソードになります。
――世界を破壊龍の脅威から救った勇者リンコ・ロイエンザール。
大魔導師シェリルス・リートと共に地球へと消えてしまった彼の事を追いかけて……
城に封印されていた禁断の魔道具を使い、地球へと赴き。
半ば強制的に此方の世界に連れ攫い……いや、連れ戻す事に成功したフェルゼン・アインシュタットは足取り軽やかに一人の少女の元へと向かっていた。
※ ※ ※
「何を読んでいるんだい? 凛子」
「ひゃぁぁぁぁ!(出たぁぁ―――!)
転移魔法に驚き、ソファで跳びあがるほど慌てるこの十七歳の少女は、柳生凛子。
転生し、前世の記憶を持たないリンコ・ロイエンザールだ。
悪戯を成功させたフェルゼンは、今日も皇宮庭園内の温室の中で転生したリンコ……いや、凛子の背後をとり、彼女の白くて柔らかい耳元にわざと挑発的な声色で囁きながら反応を楽しんでいた。
(ふふ……この様子だと、どうやら前世の記憶はまだ戻っていないようだな。それにしても女性に転生したリンコ様は本当に新鮮だな……)
彼女の白いうなじから目を反らし、些か禁断の衝動を押さえながらフェルゼンは理性を保つ為に少し距離を取る。
耳を抑えて涙目で赤くなりながら、小動物のように頬っぺたを膨らませて怒っているの凛子の姿は愛らしすぎて、もはや前世のリンコとは別の生き物だ。
(うっ……何だろう……この愛くるしい生き物は、この子は本当にあのリンコ様の生まれ変わりなのだろうか? ん……この雑誌は見覚えがないが)
彼女が読んでいる本はアインシュタット城下で最近発刊されている大衆紙と周辺国の本だ。
だが、彼女が今手にしている本は、こちらが用意したものとは別に、侍女長のミザリー達から貰った本のようだ。
(ふむ……後で、無暗に本の差し入れはするなと言っておかねば)
前世とは似ても似つかない新鮮な姿を色々と見せてくれる、柳生凛子というこの少女はリンコの生まれ変わりだけあって、こちらの世界の言葉が話せる上に文字も読める。
恐らくこの世界の情報を収集している最中なのだろう。
「この世界の事なら、私に何でも聞きなさい。凛子」
フェルゼンは凛子にそう念を押しながら微笑みかける。
そして、彼女が城の外への好奇心を掻き立てられると厄介なので、読んでいる本に触れて内容を少々過激に魔法で書き換えておく。
「えぇぇ?(あれぇ、さっき読んでいた帝国穴場グルメスポット特集のページはどこに? あれぇ……この世界って、こんなに物騒だっけ?……と、言うかどうやってこの世界の人達はここで生きてるの?!)」
(少し過激に書きすぎたかな?)
書き換えられた本を読んで顔を真っ青にした凛子は、愛らしい大きな目を丸くしながら、絶句し少し思い詰めたような困った表情をしている。
どうやら、効果は絶大だったようだ。
(万が一にも私の元を離れ、城の外に出ないように……目を光らせないと……貴方は余計な外の事は考えずに私の傍にずっといて下さいね。だって、今世の貴方はどこからどうみても普通の少女だ)
前世の彼と彼の双子の妹は【預言の子】として壮絶な人生を歩んだ。
だから今度は記憶を戻さず、誰かの為に尽くして死ぬのではなく自分の傍で普通の人生を歩めばいいのでは無いだろうか。
(先ずは、彼女の中にいる龍を出産させる事が先決ではあるが……それにしてもドレスが良く似合うな)
今日の凛子は自分をイメージした薄い紫に繊細な魔法刺繍が施されたドレスを着用している。
漆黒の長い髪と象牙色の肌……そして虹色瞳が調和していて素晴らしく彼女に似合っている。
(後で、また凛子に着せたいドレスを選ぶ事としよう。さて、次は何を着せようか……)
正直、服装になど今まで関心など持った事など無かった。
しかし、愛しい人の服装を自分で選んで着せる事が出来る権限を与えられると、何でも着せて飾りたくなってしまうものらしい。
前世のリンコは着るものに無頓着だったが故に、凛子にドレスを着せるのは本当に楽しい。
今日だけでも“異世界の文化だ”と理由をつけて三度も凛子を着飾らせてしまった。
着替えさせられている彼女はうんざりした顔をしており、少し可哀想な気もして申し訳無いが……これは当分止められなさそうだ。
――初めて凛子にドレスを着せた時は本当に感動的だった。
あの時は、執事長のカインスと侍女長のミザリーが、密かにアインシュタットの【皇章】が縫われたウェディングドレスを用意していて、それを凛子に着飾らせた。
彼女の姿を見た時、フェルゼンは前世のリンコの双子の妹の面影を重ね合わせ、切ない気持ちになった。
あのまま二人の計略に乗せられて、理性を失い本能のままに神殿に駆け込み色々な手続きを飛ばして結婚の【契約】を結んで彼女を強引に花嫁にしてしまいそうだったが、何とか思いとどまった。
「ふふ……あの時は本当に危なかった。理性を繋ぎとめたあの時の自分を褒めたいな」
「え、何ですか?(突然笑うなんて、怖いんですけど)」
「いいや、何でも無いよ。凛子」
前世ではなかなか顔を近づけて見る事が出来なかった見事に整った美しいかんばせを今は無遠慮にじっくりと眺める。
凛子は居心地悪そうに赤くなりながら困った顔をして、少々変わった響きの彼女の世界の言葉を繰り返し話す。
(“イケメンセクハラコウテイ”とは何の事だ? 向こうの言葉らしいが……まぁ、いいか)
基本的に成すが儘で素直で従順で可愛らしい……。
リンコをこの世界に連れ戻す前のフェルゼンは、前世の記憶を引きずりすぎていて気持ちの余裕が全く無かった。
恐らく体の中に刻まれた紋章も関係しているのかと思うが。些か狂気じみていたかも知れない。
今度はリンコをもう逃げられない様に拘束し、監禁して……
上手く行かなければ、共に死のうとさえ考えていた。
――今は、だいぶ頭を冷やして……考えが変わった。
どうやら、ようやく前世の自分の人格と今の人格が上手く融合して落ち着いて来たようだ。
リンコが女性に転生してくれた事も、かなり大きい。
「本ばかりでは疲れるだろう。此方の食べ物は苦手かな?」
南の大陸から取り寄せたシャップルの赤い実を一粒手に取り、試しに凛子の口元に持っていく。
彼女は驚いた表情をしながら、固まり……その行動の真意に戸惑いながらも、どうしたものかと困った表情をしている。
「……まだ、此方の文化には慣れていないみたいだね? 私の手からこの実を食べてみなさい」
本当はそんな文化など無い。
だが、彼女の仕草が面白すぎるので悪戯でどこまで信じるか試してみる事にした。
これも自分とシオンに何も告げず、地球へと消えたリンコへの当てつけに近い悪戯なのだが……。
「え?! 此方の世界では人にものを食べさせて貰う文化があるのですか? あ……あの、でもさっきは普通に食事をしていた様な気が……」
「ああ……“目上の者”から食べ物を差し出されて口に運ばれた時なんかはそうするんだよ(取り敢えず、そういう文化にしておくか)」
「……わ……分かりました? し……失礼します。あの、こ……こうでしょうか?」
パクッ……
「――っ!?(こ……これは)」
呆れたことに凛子は頬を赤らめながら何も疑わず、差し出したシャップルの実をフェルゼンの手から頬張ってきた。
――ッドクン……
(ああ……ヤギュリ)
その仕草にフェルゼンは直視仕切れず、思わず顔を背ける。胸の甘い動悸がいつまでも止まらない。
(こ……これはいくら何でも悪ふざけしすぎたか? ばれたらシオンから確実に怒られそうだな)
「あの……大丈夫ですか?」
彼女が心配する顔をすると、ふとフェルゼンの中の暗い部分が影を落とす。
自分は凛子の中に忘れられないあの人の面影を重ねているだけなのでは無いだろうかという罪悪感で頭がいっぱいになる。
「どうしたんですか? 具合が悪いんですか」
「何でもないよ……それよりも、凛子はあとどれ位で十八歳になるのかな? 誕生日を祝いたいから教えて貰いたいな……」
凛子が初めてこの世界に来た時。
何の説明も無く自分の事をすっかり忘れて勝手に転生してしまったリンコへの腹いせにベッドで馬乗りになった事があった。
だが、その夜
夢の中に黒狼と白狼が現れて……
《――― 十 八 禁 !!! ―――》
《おい小僧てめぇ! さっきのは何だ? ウチの凛子に十八歳までそう言う行為は禁止だ! そこのトコ分かっているよなぁぁ?! 変な事しようとしたらブチ殺すぞ》
《今度、変な真似をしたらアソコを一生使えなくしてやりますから覚えておいて下さい》
と、どこか聞いた事のある懐かしい響きで伝言を残して消えた。
どこか懐かしい匂いがする黒狼と白狼だったが……
(夢……? リンコ様の精霊でも私に警告してきたのか……ジュウハッキン? まさか向こうの言葉か?)
目を覚ました後に、ジュウハッキン……とは一体何だ? と考えてはみたが、凛子に間接的に訊ねてみると
地球では十八歳がそういう節目と考えていいらしい。
……とても良い事を聞いた。
「誕生日ですか? 此方の世界と月の数え方が同じだったらええと……あと四十五日くらいでしょうか?」
「――是非とも調べてみよう。数え方の勉強にもなる。私の隣へおいで、凛子……十八歳の誕生日には国をあげて盛大に祝おう(結婚式もしよう)」
「国をあげて?! いやいや、私は勇者じゃ無いのでそういうのは全力で遠慮致します!(何だろう。今、悪寒が走った)」
フェルゼンは凛子にこの世界の暦の読み方を説明する。
(こんなに平和で穏やかな気持ちになったのは、いつ振りだろうか?)
――困って戸惑う凛子の頭を撫でながら、久し振りに感じる心の安らぎに満足する。
大切な人達を失った前世では、もう二度とこんな気持ちになる事は無いと思っていた。
今日は本当に最高の昼下がりだ。
前世の記憶を持たない凛子にフェルゼンは聞こえないように
「……有難う」
と、呟いた。