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善意無想(二)

 剣呑横町には、様々な人種がいる。

 ここは、町方も滅多に足を踏み入れない無法地帯であり、当然ながら訳ありの人間も多い。さらには、良からぬ目的で訪れる者もいる。酒を密造する者や、麻薬の阿片を造る者もいる。さらには、その阿片を吸わせるための場所……いわゆる阿片窟まである始末だ。

 そんな剣呑横町にて、この中年男の姿はひときわ目立つものだった。




「みんな、おじさんが美味しいお菓子をあげるよ」


 にこにこしながら子供たちにお菓子を配っているのは、五十を過ぎていると思われる中年男である。やや小太りで、顔は丸い。白髪頭にまげを結い、背中には袋を背負っている。その様は、七福神の大黒天のように見える。

 中年男の後ろには、二人の男が控えていた。まるで腹心の部下であるかのように、ぴたりと寄り添っている。

 この菓子を配っている中年男は、名を立木たちき藤兵衛とうべえという。江戸で雑貨屋を営む商人である。店は大きく、江戸でもちょっとした有名人なのである。

 そんな立場ある身にもかかわらず、江戸の魔窟である剣呑横町に平気で足を踏み入れているのだ。

 今日もまた、昼間から剣呑横町に現れ、十字路の真ん中で子供たちに菓子を配っている。当然、彼の周囲には子供たちが群がっている。


「おっちゃん! 菓子ちょうだい!」


「俺にもくれ!」


「あたしにもちょうだい!」


 口々に言いながら、手のひらを突き出していく子供たち。その周囲に住む者たちは、呆れ顔で立木らの行動を眺めている。が、中には子供に紛れて菓子をもらいに行く者までいる始末だ。

 そんな状況に、立木は笑いながら両手を挙げる。


「まあ待て。そう慌てるでない。まず、一列に並びなさい。滝田たきたさん、子供たちを並ばせてください」


 彼の言葉に、二十歳くらいの青年が頷く。滝田と呼ばれた青年も、身なりはきちんとしている。優しそうな顔つきで、落ち着いた物腰や態度は高い教養を受けた者であることを感じさせる。これまた、剣呑横町には似つかわしくない若者だ。今も子供たちに向かい、にこやかな表情でひとりひとり並ばせていった。もちろん、紛れている大人は追い払っていたが。

 その時だった。突然、罵声が聞こえてきた。 


「おうおう! お前ら、誰に断って商売してんだよ!」


 喚きながら現れたのは、数人の若者である。全員、十代の後半から二十代の前半といった感じか。派手な刺繍をした着物をまとっているが、胸元をわざとはだけさせている格好だ。うちひとりは、腕に二本線の入れ墨がある。無論、島帰りの印だ。

 男たちを見て、子供たちはさっと離れていった。ただし、完全に逃げ去ったわけではない。遠巻きにして、事の成り行きを見守っている。

 一方、立木はすました表情で首を傾げる。


「はい? あなたたちは、どこのどなたですか?」


「俺はな、剣呑横町を仕切ってる黒波一家くろなみいっか茂吉もきちだ! この辺りはな、黒波一家の縄張り(し ま)なんだよ! 商売してえなら、場所代しょばだい払え!」


 島帰りの男は、立木を睨みながら怒鳴った。

 言うまでもなく、この黒波一家なる集団には何の力もない。危険人物ぞろいの剣呑横町でも、底辺の悪党連中である。本当に危険な強者たちとの接触を避け、ひっそりと生きている根性なしの集まりなのだ。自分たちよりも弱い、最底辺に位置する弱者たちから金をせびることで、どうにか生きている。

 そんな黒波一家にとって、いきなり現れた立木藤兵衛は……まさに、鴨が葱を背負って来たようなものだ。尻の毛までむしり取ってやる……その気持ちを胸に秘め、彼らはここに集結したのだ。

 彼らは、完全な見込み違いをしていた。立木は用心深く、またこの辺りに住む者の生態も知っている。何の備えもせずに、剣呑横町にのこのこ現れるはずがないのだ。


「いえ、我々は商売などしていませんよ。貧しい子供たちに、お菓子をあげているだけです。いけませんか?」


 立木の表情は、穏やかなものだった。彼らを恐れているような素振りはない。

 だが、その態度が火に油を注ぐ結果となった。


「いけねえに決まってるだろうが! まずは、俺たちに断ってからやれや!」


 怒鳴りちらすのは、島帰りの男だ。どうやら、この男が黒波一家の頭目らしい。


「なぜです? 子供たちにお菓子をあげるだけのことに、何故あなたたちに断らなくてはならないのでしょうか?」


 静か口調で聞き返す立木。剣呑横町の住人たちは、この騒ぎを遠巻きに見ている。どちらにも加勢する気はなさそうだ。ここの住人たちは、どんな騒ぎが起きようが、己の損にならぬ限りは知らぬ顔の半兵衛を決め込むことにしている。


「お前も、頭の悪い奴だな。いいか、この剣呑横町を仕切ってるのは俺たち黒波一家なんだよ。ここでは、何をするにも俺たちの許可が必要なんだ。覚えておけ」


 その時、立木はため息を吐いた。話が通じないことを理解したのだ。


「仕方ないな。先生、お願いします」


 その言葉と同時に、前に出て来たのは逞しい体つきの中年男であった。冷静な表情で、目の前にいる破落戸ごろつきたちを見回す。


「私は極限流柔術師範、本庄武四郎だ。こちらの御老公に何か文句があるなら、この本庄が相手になるぞ」


「はあ? 本庄ぁ? 知らねえな! すっこんでろじじい!」


 ひとりの若者が、本庄を威嚇するように近づいていく。黒波一家の中でも、ひときわ体が大きい。喧嘩にも、相当の自信がありそうだ。

 本庄は、ちらりと若者を見た。面倒くさそうな、冷めきった表情である。その顔には、何の感情もない。

 直後、正拳中段突きを放つ。

 正拳は、男の鳩尾みぞおちに命中した。直後、息がつまるような衝撃を受ける。

 次の瞬間、男は腹を押さえ地面に倒れた──


「さあ、どうする? まだ、やるのか?」


 本庄の冷めた迫力を前に、黒波一家はじりじり後ずさっていく。もとより彼らは、江戸でまともな仕事にも就けず、やくざからも相手にされていない半端者の集まりなのだ。本庄のような強者を相手に、立ち向かっていけるような度胸のある男などひとりもいない。

 一方の本庄はといえば、面倒くさそうな顔つきは変わっていない。道端の石ころが邪魔だから、蹴飛ばしてどかした……そんな風情である。


「どうした? 来ないのか? ならば、さっさと消えろ」


 言うと同時に、本庄が動いた。素早く間合いを詰め、手近にいた男に左の三日月蹴りを放つ。

 鞭のような蹴りが、男の鳩尾に炸裂する。直後、男は腹を押さえてうずくまる。抵抗しようのない苦しみだ。たった一撃の蹴りで、男は戦闘不能になった──

 その様を見た途端、男たちは一斉に逃げ出していった。倒れている仲間は放置したまま、振り向きもせず走っていく。


「救いようのない愚か者どもだな」


 本庄は、ふんと鼻を鳴らした。直後、倒れている者の首根っこを掴み、強引に立ち上がらせた。そのまま、どんと押す。 


「道端で寝るな、阿呆者が」


 ・・・


 その一部始終を、離れた場所からじっと見ている者がいた。呪道とお清である。

 お清は右目に遠眼鏡とおめがねを当てて、皆の顔や動きなどを事細かに見ていた。呪道は肉眼で見ているため、顔や細かい動きまではわからない。それでも、何事が起きたのかは把握できていた。


「お清、あいつらをどう思う?」


 不意に尋ねた呪道に、お清は首を傾げる。


「あの菓子配ってた親父おやじのこと? 別に何とも思わないけどね。もしかして、子供集めていたずらでもしてんの?」


「どうだろうな。いたずらどころじゃないかもしれねえんだよ。もしかしたら、あの爺はとんでもねえ極悪人かもしれねえんだ」


 その途端、お清の片目が吊り上がる。


「どういうこと? いったい何をやってんの?」


「そいつを、これから調べるのさ。今回は、右京の奴にもきっちり動いてもらうよ」









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