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家族無想 三

 昼過ぎ、町外れの古びた剣術道場から、男たちがぞろぞろと出ていく。

 年齢や背格好や服装はまちまちだが、共通しているのは……まだ日の高い時刻から、剣術の稽古に励もうなどという雰囲気とは無縁の雰囲気を漂わせていることだ。

 そう、ここで行われていたのは剣術の稽古ではなく『龍牙会』の定例会議である。これは公然の秘密であり、裏社会の住人でこの事実を知らぬ者はいないだろう。



 今、道場内に残っているのは大幹部の藤堂と、『仕掛屋』の鉄だけだ。

 鉄は周りを見回し、誰もいないことを確かめると、おもむろに口を開いた。


「藤堂さんよう、ひとつ聞きてえことがあるんだがな」


「なんだい?」


「ちょいと妙な噂を耳にしてな。沼木藩の大目付から依頼された仕事を、東野(ひがしの)正太郎(しょうたろう)とかいう若造に回したそうだな。しかも、仕事料は八両とも聞いた」


「はあ? 何を言ってるんだ。そんなことはない」


「とぼけんじゃねえ」


 鉄の目が、すっと細くなった。藤堂を、じっと睨みつける。藤堂も、負けじと睨み返す。

 ふたりは、そのまま対峙していた。両者の間には、言葉にならないやり取りがあったはずだ。しかし、先に目を逸らしたのは藤堂だった。


「敵わねえなあ。その通りだよ」


「仮にも、藩の大物から受けた仕事だ。払う銭は、百両はくだらねえよなあ。そんな仕事を八両でやらせるってのは、あこぎじゃねえのかい?」


「鉄さん、あんたにゃわからねえだろうがな……組織ってのは、いろいろ金がかかるんだよ。龍牙会みたいな大組織ともなれば、維持するだけでも大金がかかる。だがな、それだけの金をかけるからこそ、みんな安全に商売が出来るんだよ」


「なるほど。だがな、呪道が大幹部の座にいた時は違ってたぜ」


「はあ? あのな、あいつがいた頃と今とじゃ、何もかも違うんだよ」


「そうかい。ま、俺の知ったことじゃねえけどよ。ただな、はっきり言っておくぞ。あの東山ってのは、医者くずれの若造だ。尻の青い餓鬼に、この仕事は無理だぜ。なんたって、相手は三人を斬り殺した侍に、凄腕の拳法使いだからな」


「なんだと……本当か?」


「確かな筋からの情報だ。ま、東山じゃ確実に仕損じるだろうよ。そん時はどうする気だ?」


「そ、そん時はそん時だ」


 うろたえつつも言い返す藤堂を、鉄は鼻で笑った。


「もうひとつ言っておく。俺たちゃ、その仕事はやらねえぞ。泣きついてこられても困るぜ」




 鉄は、店へと帰っていく。彼が店主を務める蕎麦屋だ。彼が中に入ると、ひとりの女が奥から現れた。


「客は来たか?」


 鉄の問いに、女はかぶりを振る。


「いえ、来てません」


 この女、名はお夏という。先日より、この『坊主蕎麦』に勤めることとなった。もっとも、業務内容はといえば単なる店番である。

 本当のところは、鉄の愛人として雇われた……の方が正確だろう。

 

「そうかい。そいつは困ったなあ」


 言いながら、鉄はお夏の腕を掴んだ。そのまま引き寄せる。

 抱きしめ、唇を奪った──


「ちょっと! お客さん来たらどうするんです!」


 言いながら、お夏はどうにか体を離そうとする。だが、鉄の腕力は強い。


「どうせ来やしねえよ。なあ、いいだろ。くだらねえ定例会なんてのに出てたら、いやあな気分になっちまった。慰めてくれよう」


 勝手なことを言いながら、お夏の体をまさぐる。と、そこに入ってきた者がいた。死事屋の正太だ。


「鉄さぁん、呪道の兄貴が……あ」


 入った瞬間、口をあんぐり開けてその場に固まる。一方、お夏は頬を赤く染めてぱっと離れる。鉄はといえば、修羅のごとき表情で正太をじろりと睨んだ。

 一瞬の沈黙の後、正太がぺこぺこ頭を下げる。


「お取り込み中のようで……こりゃまた失礼しました」


 言いながら、店を出ていこうとした時だった。その場を、さらなる混沌へと誘う者が現れる。


「正太、何をしているのだ」


 言いながら、入って来たのは西村右京である。正太の表情が、またしても変わった。


「こ、これは西村の旦那! どうかしましたか!?」


 慌てた様子で、揉み手をしながら彼に近づいていく。普段とは違い、かしこまった口調である。

 一方、右京の方は困惑したような表情を浮かべていた。何せ、蕎麦屋かと思い入ってみれば、六尺(約百八十センチ)はありそうな厳つい坊主の大男と、妙に色気のある年増女とが店内にて突っ立っているのだ。しかも、妙な空気が漂っている。

 まごつきながらも口を開いた。


「いや、お前がこの店に入るのが見えたのでな。一緒に蕎麦でも食おうかと、ちょっと寄って見たのだが……」


「それがですね、まだ準備中みたいなんですよ。ささ、行きましょうか。よそで食いましょう」


 そんなことを言いながら、正太はすぐに右京の腕を掴んだ。店から連れ出そうとするが、鉄が声をかける。


「まあまあ、せっかく来てくださったんだ。今から作りますよ。ちょいと時間はかかりますが、待っててくだせえ」


「えっ……」


 正太の顔が引きつる。しかし、鉄はお構い無しだ。半ば力ずくで、ふたりを席に着かせてしまった。


「さあ、何にします?」


「だったら、かけそば二杯もらおうか」


 右京が答えると、鉄はにっこり笑った。もっとも、厳つい顔なので笑顔にも迫力がある。


「かけ二杯ですね、今から作りますからね。ちょいと待っていてください。お夏、頼んだぞ」


 鉄は、奥にいるお夏に言った。だが、正太は渋い表情だ。

 この三人、実のところ異様な間柄なのである。まず、三人とも裏稼業の人間だ。しかし、右京と鉄はお互いの裏の顔を知らない。鉄から見れば、右京は案山子同心なる不名誉なあだ名を持つ無能な見回り同心である。もっとも、相手は腐っても役人だ。決して馬鹿にしているわけではない。

 右京から見れば、鉄は人相の悪い蕎麦屋の主人でしかない。正太が訪れるのを見て、寄ってみよう……という気になっただけだ。鉄の裏の顔など、知るはずがない。

 もっとも面倒な立場にいるのが正太だ。彼は、鉄が仕掛屋の頭目格であり龍牙会の客分格であることを知っている。また、右京は同じ死事屋の仲間である。さらに、右京と鉄がお互いの裏の顔を知らないという事実もわかっている。

 なんともいえない空気が。その場にいる三者の周囲を漂っていた。


「あんたは、強そうだな」


 まず口を開いたのは右京だ。あんた、とは言うまでもなく鉄のことである。


「あっしのことですかい?」


 とぼけた顔で言葉を返す鉄に、右京は真顔で頷いた。


「ああ。その体なら、町のごろつきくらい簡単に叩きのめせるだろう」


「いえいえ、そんな大したもんじゃありませんや」


 そんなことを言いながら、鉄はさりげなく右京に近づく。自然な動きで背後に回った。


「あっしはね、蕎麦屋を始める前は按摩をやってたんです。蕎麦が出来るまでの間、ちょいと試してみませんか?」


 言うと同時に、鉄の手が伸びる。右京の肩を揉み始めた。唖然となる正太だったが、右京は平然としている。


「おお、上手いもんだな。いっそのこと、按摩と蕎麦屋を合体させて、ここで営業したらとうかね」


「いやいや、何をおっしゃってるんですか。それにしても旦那、いい肉の付き方してますね。これまで、大勢の悪党を捕らえなさったんでしょうなあ|


 口調ほ砕けているが、鉄の目は鋭い。この男とて、伊達に按摩をやってきたわけではない。肉の付き方や筋の張り方で、ある程度は腕前のほどがわかるのだ。

 鉄の手のひらは告げていた。この同心は案山子などというあだ名を付けられ無能者呼ばわりをされているが、それは完全に間違いだ。少なくとも、腕の方は確かである。肉の付き方といい、目配りといい、そこらの見回り同心とは格が違う。


「何を言っているのだ。あんたこそ、いい腕をしている。このまま、私の首をへし折ることなど造作もないだろう」


 右京もまた、この大男がただの蕎麦屋でないことに気づいていた。何気ない口調で探りを入れる。


「物騒なことを言わないでくださいよ。あっしは図体だけですから。旦那の方こそ、あっちこっちで人を斬ってなさるんじゃないですか?」


「ほう。なぜ、そう思うんだい?」


「旦那からは、血の匂いがしますぜ」


 そう言って、にやりと笑う鉄。だが、目は笑っていない。


「奇遇だな。私も、同じ匂いをあんたから嗅ぎ取っていたよ。この手で、大勢を絞め殺して来たんじゃないのかね?」


「はっはっは、何をおっしゃるかと思えば……あっしが絞めるのは、蕎麦に入れる鴨くらいでさあ」


 にこやかな顔で、物騒なことを語り合うふたりを、正太は呆れた顔で見ているばかりだった。







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