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恋情無想 五

 剣呑横町には、慈愛庵なる看板を掲げた奇妙な場所がある。死事屋の元締・拝み屋呪道の寝ぐらだ。

 板の間には、三人の男女が座っている。鉄とお夏、家主の呪道であった。裏の仕事の依頼に来たのである。




 そして今は、鉄が事情の説明をしている。どういった成り行きでここに来たのか、身振り手振りを交え語っていた。


「というわけだ。そこで、良玄たちを始末して欲しい……と、こちらのお姉さんが依頼してきた。ところがだ、俺たち仕掛屋は、この件に絡むこたぁ出来ねえ。ただでさえ、大幹部の藤堂たちに睨まれてるからな。これ以上、奴らを刺激すると、下手すりゃ全面戦争になりかねねえ」


「おいおい、何じゃそりゃあ。龍牙会も、相当がたがきてるみたいなあ」


 呆れた表情の呪道に、鉄は渋い顔で頷く。


「いやいや、そんなもんじゃねえんだよ。遅かれ早かれ、龍牙会はあの北王会とかいうのに乗っ取られるだろうな。だが、今はその話をしに来たわけじゃねえんだ」


 そういうと、鉄はお夏を手で指し示す。


「そんなわけでだ、このお夏さんの腫らせぬ恨みを、お前ら死事屋に晴らしてもらいてえんだよ」


 鉄の説明が終わると、呪道は訳知り顔でうんうん頷いた、


「なるほどな。よくわかったよ。その良玄とかいう阿呆が、あんたの旦那を殺したんだな。良玄のうわさは、俺の耳にも入っている。まあ、あいつならやるだろうな」


 言いながら、凝った首をほぐすかのようにぐるりと回した。そのたびに、鳥の巣のような癖の強い髪がゆさゆさと揺れた。骸骨のごとき首飾りといい、耳たぶを貫く耳飾りといい、異相という表現すら生温い風貌である。くせ者揃いの剣呑横町でも、この男の異様さは格が違う。

 まなじりを決して訪れたお夏だったが、こんな怪人が相手とは想像もしていなかったのだろう。さすがに圧倒されていた。


「話はわかった。だがな、はいそうですか、じゃあ殺りましょう……ってわけにもいかないんだよ。まずは、そいつのことをきっちり調べさせてもらうぜ。引き受けるかどうかは、それからだ」


「わかりました」


 ・・・


 夕暮れ時、江戸の町は家路を急ぐ人々で溢れている。

 そんな町中を、ひときわ異様な一団が歩いていた。坊主頭で筋骨たくましい体格の大男が三人、のしのし歩いているのだ。そでなしの胴着から覗く二の腕は丸太のように太く、肩の筋肉も盛り上がっている。相撲取りも顔負けの体格だ。

 そんな三人を率いて歩くは、ざんぎり頭の良玄である。その顔には肉が付いておらず、目つきは鋭い。肌の色も不健康そうだ。

 事実、この男は日の光を浴びるような生活をしていない。基本的には、昼間から室内にこもり阿片を吸っている毎日だ。

 初めのうちは、買い付けた阿片の質を確かめるつもりで吸っていた。自分の体で確認せねば、本物かどうかわからない……そんな思いから、阿片を吸っていた。味見役のつもりだったのである。

 それが今では、足の先から頭のてっぺんまで、どっぷりと阿片にはまっている。売手が買手に変わるというのも、この業界ではよくある話だ。質のいいものなら、なおさらである。

 今の良玄は、完全なる阿片中毒者であった。




 そんな彼らの前に、すっと現れた者がいる。大男たちは、じろりと睨みつけた。対照的に、良玄の表情は和らぐ。

 現れた者は、くすりと笑う。


「また会ったねえ」


 声の主はお清である。いつもと同じく、作務衣を着て片目に眼帯を付けた格好であった。傍から見れば、怪しげな不審者でしかない。

 用心棒の大男たちは、肩をいからせ前に進み出る。しかし、良玄はそれを制した。


「大丈夫だ。俺の古い知り合いだよ」


 用心棒たちに言うと、良玄はお清の方を向いた。


「何が用か?」


「ちょいとここを通りかかったら、あんたらの姿を見かけてねえ。ずいぶん羽振りが良さそうじゃないか」


「ああ、景気はいいぞ。江戸に舞い戻って来てから、運はぐっと上り調子だ」


「ふーん。ねえ、前に言ってた話だけどさ、まだ有効なのかい?」


「前に言ってた話? 何のことだ?」


「仕事を手伝わないか、とか何とか言ってたじゃないか。忘れたのかい?」


「その話か。覚えているぞ。手伝う気になったのか?」


「まあね。詳しい話を聞かせて欲しいのさ」





 ふたりは、近くの小料理屋に入る。用心棒たちは、先に帰らせた。

 椅子に座ると同時に、お清が話を切り出す。


「仕事にかかる前に、ちょいと聞かせてもらいたいことがあるんだよ。あんたが、阿片を売ってるって噂を聞いた。本当なのかい?」

 

 途端に、良玄の表情が変わる。


「誰から聞いた?」


 声をひそめ聞き返してきた。対するお清は、にやりと笑う。


「そいつは言えないねえ。まあ、蛇の道は蛇って奴さ。あんたもわかるだろ。で、どうなんだい?」


 尋ねたお清の顔を、良玄はじっと見つめる。彼女の意図を計りなねている……そんな表情だ。

 少しの間を置き、口を開いた。


「ああ、そうだ。俺は、阿片を売って稼いでいる。だがな、それは江戸に夜明けをもたらすためだ」


「はあ? 何を言ってるんだい?」


 眉をひそめるお清に、良玄は静かな口調で語り出した。


「俺が阿片を売って得た金は、ほとんどが同志の活動資金に回されている。ひいては、それが日本の夜明けに繋がるのだ。何もおかしいことはあるまい」


「なるほどね。そういうことかい」


「考えてもみろ。今の幕府の圧政により、何人の人間が泣いている? 権力者の横暴により、何人の人間が死んでいる? それに比べれば、俺のやっていることなど高が知れている」


 良玄の声は小さいが、その言葉には熱が感じられる。顔にも、恍惚とした表情が浮かんでいた。

 お清は、既に彼が阿片中毒であることに気づいていた。恐らく、先ほどまで阿片を吸っていたのだろう。体から、微かな匂いが漂っている。

 この男が、国の明日のために活動してきた姿を間近で見てきた。挙げ句、役人に追われて裏の世界に身を落とし、阿片中毒者にまでなり下がり、それでもなお昔の夢を忘れられない。日本の夜明けを、という大義に未だ縋り付いているのだ。彼女は、良玄に微かな哀れみを感じた。 


「我らのしていることは、悪に見えるかもしれん。いや、紛れも無い悪なのだろう。だがな、日本に夜明けをもたらす手助けになる。ひいては、日本を救うことにもなるのだ。そうは思わんか?」


 異様な目で聞いてくる良玄に、お清は冷めた表情で頷いた。


「それが、あんたのやり方なんだね。わかったよ」


 返す言葉も冷えきったものだった。しかし、良玄は気づいていなかった。嬉しそうに語り続ける。


「お前が、俺に協力する気になってくれて嬉しいぞ。お前の能力、野に埋もれさせておくには惜しい。今一度、大儀のために身を捧げようとは思わんか?」


「今となっちゃあ、日本の夜明けなんてものに興味はないねえ。今のあたしが信用できるのは、金だけさ。だから、あたしもあんたの商売に一口乗らせてもらうよ」


「そうか。まあいい、お前なら大歓迎だ。で、いつから始める?」


「ちょいと今、頼まれた仕事があってね。そいつが終わったら、手伝わせてもらうよ」




 店を出た後。お清はすぐに慈愛庵へと向かった。

 到着するなり、板の間で寝そべっていた呪道に向かい真剣な表情で口を開く。


「今回の仕事、お膳立てはあたしに任せてくれないかな」


「いきなり何だよ。まず、わかるように説明してくれ」


 怪訝な顔つきの呪道に、お清は口元を歪め語る。


「良玄とは、昔ちょいとした因縁があってね。ついでに、あいつの始末はあたしにやらせてくれないかな」











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