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恋情無想 三

「正太、仕事はいいのか?」


 右京が尋ねると、正太はにやりと笑った。


「ああ、大丈夫大丈夫。どうせ客なんか来やしねえよ」


「大丈夫ではないだろう。そんないい加減なことで、商売がやっていけるのか?」


「まあ、なるようになるさ」




 ふたりは、商店の立ち並ぶ大通りを歩いていた。見回りをしている右京と、たまたま町をぶらついていた正太がばったり出くわし、そのまま歩いているのだ。

 真昼間、見回り同心と怪しげな若者が連れだって江戸の大通りを歩いている。しかも、若者の方は楽しそうに笑っているのだ。ちょっとおかしな道行きではあった。

 そんな中、さらに状況を掻き乱す者が現れる。


「西村殿、この男は何者だ?」


 彼らに近づき、険しい表情で尋ねたのは……南町奉行所の見回り同心・須藤左分之介である。右京は、仕方なく一礼した。

 

「あっ、これは須藤さん。見回りですか?」


 適当に挨拶したが、須藤の表情は変わらない。鋭い目で睨みつけてきた。


「西村殿、この男は何者だ? 貴殿とどういう関係だ?」


 低い声で同じ質問を繰り返し、ぐいと顔を近づけてきた。どうも、普段とは違う雰囲気だ。今日は機嫌が悪いのだろうか。右京は狼狽しながらも、どう答えるべきか素早く考えを廻らせる。

 一瞬の間が空いたものの、言葉はすらすら出てきた。


「実は、この男が引ったくりを目撃したと申しておりましてな。ちょっと話を聞こうかと思っています」


 あまり上手いとは言えないだろうが、この急な状況では仕方ない。

 一方、正太はへらへらした態度で頭を下げる。


「へへへ、どもども。その通りでございます」


「そうか。貴様、本当にそれだけか?」


 言いながら、正太を睨む須藤。彼の目には、ある感情が浮かんでいる。

 その目を見た瞬間、正太は全てを察した。この男は、あっちこっちで惚れた腫れたを繰り返している。しかも、男に言い寄られたこともあるのだ。色恋に関しては、右京より経験豊富である。


「もちろんでさあ。ところで西村の旦那、そろそろ行きましょうよ。早く終わらせて、吉原に繰り出したいんでさあ。何たって、あっしは女が大好き。男は大嫌いですからね。あーあ、早く女を抱きたいなあ」


 わけのわからないことを言いながら、強引に右京を引っ張っていく。

 そんなふたりを、須藤は凄まじい形相で見送る。


「西村殿、俺は諦めんからな。いつか、貴殿を振り向かせてみせる」




 人気(ひとけ)のない路地裏に入り込むと、正太はその場に座り込んだ。顔をしかめ、右京を見上げ口を開いた。


「あの人、えらく怖いよ。しかし、右京ちゃんも困った奴に目を付けられたね」


「そうなのだ。あの男は半年ほど前より、南町に配属になった見回り同心の須藤左分之介なのだが……最近、事あるごとに私に絡んでくる。どうしたものかな」


 その言葉に不安を感じた正太は、恐る恐る聞いてみる。


「あんた、もしかしてその理由わかってないとか?」


「全くわからん。ひょっとしたら、私に何らかの疑いを持っているのかも知れん。だから、あまり近づけないようにはしている」


 真顔でそんなことを言った右京を、正太はまじまじと見つめた。

 ややあって、ふうと溜息を吐く。


「あんたは、筋金入りの堅物で朴念仁なんだな。いや、そこまでいくと逆に凄いわ。尊敬しちゃうね」


「えっ、何が凄いのだ?」


 きょとんとしている右京を、呆れた顔で見つつ正太は立ち上がった。


「やっぱり、あんたにゃ俺が付いてないと駄目だな。見てると、危なっかしくて仕方ないよ」


 ・・・


 子の刻を過ぎ、暗闇が江戸を覆いつくす頃。

 町外れで、大勢の男たちが睨み合っていた。一言も発してはいないが、殺気に満ちた雰囲気が漂っている。周囲には草木が生い茂り、人の住んでいる気配はない。

 そんな中、口を開いたのは……ひときわ貫禄があり、頬に刀傷のある中年男であった。


「俺はな、龍牙会の壱郎太(いちろうた)だ。あんた、誰に断って俺たちの縄張り(し ま)で商売してんだ?」


「誰にって……大幹部である藤堂さんの許可はもらっている。あんたに、とやかく言われる筋合いはないと思うがね」


 言い返したのは良玄だ。彼の後ろには、三人の男が控えている。うちふたりは、背丈は六尺(約百八十センチ)を超えている。横幅も広く、二十五貫(約九十三キロ)はあるだろうか。頭は綺麗に剃られており、袖のない胴着を着ている。

 しかし、壱郎太に怯む気配はない。それどころか、威嚇するような顔つきになっている。


「許可? ふざけるのも、いい加減にしろ。お前、阿片を扱っているだろうが」


「だからどうした?」


「龍牙会では、阿片は御法度のはずだぜ。こうなった以上、元締に直談判するしかないな」


「いちいちうるさい男だな。面倒だ、ここで永遠に口を閉じていてもらおう。鬼丸(おにまる)法鬼(ほうき)、殺せ」


 同時に、良玄の背後にいた坊主頭のふたりが動いた。前に出て、壱郎太たちを睨みつける。ひとりは、良玄の隣に移動した。彼を守る気らしい。


「そうくるかい。先生方、お願いしますよ」


 壱郎太が言うと、彼の後ろに控えていた侍風の男が頷く。同時に、刀の柄を掴んだ。

 恐ろしい速さで抜き放ち、前に進み出る。抜き身の刃が、月の光を反射しきらりと光った。他の男たちも、めいめいの得物を手に前に出てくる。

 壱郎太は、得意げな表情で侍風の男を手で指し示す。

 

「こちらの先生はな、宮木左近次(みやき さこんじ)とおっしゃる剣術家だ。奧山新影流免許皆伝の後、自流派を興したほどの腕前だぞ。お前らなど、何人いようとも敵じゃねえ」


 その言葉に応えるように、宮木が動いた。刀を構えたまま、ゆっくりと進む。

 すると、鬼丸も動いた。拳を振り上げ、殴りかかる……仕草を見せる。宮木は、ぱっと反応しそちらを向く。

 だが、それは大きな過ちであった。一瞬の隙を突き、法鬼が間合いを詰める。同時に、高く飛び上がり拳を振り下ろしてきた──

 完全に予想外の攻撃だ。宮木は慌てて向きを変え、拳を刀で受け止める。金属と金属が擦れ合う音が響き渡った。

 次の瞬間、鬼丸が組み付く。巨体からは、想像もつかぬ速さだ。同時に、両腕を宮木の腰に巻き付けた。

 直後、背後へぶん投げる──

 投げられた宮木は、首をしたたかに打つ。脊椎がへし折れ、痛みを感じる間もなく死んだ。


「他愛もない。侍など、しよせんこんなものだ。時代遅れの、無用の長物だ」


 良玄は、吐き捨てるような口調で言った。鬼丸と法鬼は、残った者たちの方を向く。だが、彼らは唖然となっていた。自分たちの大将格である宮木が、こうもあっさり倒されるとは予想もしていなかったのだ。

 その時、壱郎太が怒鳴る。


「お、お前ら何やってる! さっさと殺せ!」


 その声にはっとなり、男たちは得物を構える。しかし遅かった。法鬼と鬼丸は、一瞬にして接近していく。

 最初の攻撃は、鬼丸であった。手近な男を捉えたかと思うと、頭上高く持ち上げたのだ。さほど大きくないとはいえ、それでも成人男性だ。かなりの重さがある。にもかかわらず、軽々と持ち上げてしまったのだ。

 他の者たちは、この超人的な腕力を目の当たりにし、完全に戦意を喪失していた。怯えた表情で後ずさる。

 ふたりの大男は、一気に襲いかかる。いくら数がいようとも、恐怖に支配されていては意味をなさない。次々と倒されていく──


 壱郎太は、もはや勝ちの目がないことを悟っていた。こうなれば逃げるしかない。そっと向きを変える。

 だが、そこには良玄がいた。しかも、残る大男が近づいて来る。

 すると、壱郎太は慌てて両手を前に突き出した。


「ま、待ってくれ。なあ、俺と組もう。な?」


 言った直後、大男が動く。無言のまま壱郎太の襟首を掴んだかと思うと、一本背負いで投げる──

 壱郎太は、頭から地面に落とされた。頭蓋骨が砕け即死する。

 その死に様を、良玄は涼しい表情で眺めていた。


「お前ごときと組んだところで、こちらには何の得もない」









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