出会無想(五)
村野俊介、田村芳太郎、神島源之丞、森田源吾……この四人は、青鞘組の構成員である。もっとも、青鞘組そのものは友人同士の集まりと大差ない。組織などと呼べるようなものではなかった。
空には、既に星が出ている。辺りは暗く、人っ子ひとり見かけない。そんな中、彼らはひどく苛立った態度で歩いていた。
「的場に恋文とは、よほど物好きな女もいると見える」
「ああ、世も末だな」
「だいたい、奴は態度が横柄だ。家の力を、己の力と勘違いしている」
「納得いかんな」
彼らが口々に罵っているのは、同じ人物のことである。青鞘組の大将格・的場慎之介だ。
二時(約四時間)ほど前、彼らがつるんで街中を歩いていた時のことだった。辺りには通行人が多く、青鞘組は周囲に睨みを利かせて、周囲に人を寄せつけぬよう進んでいた。
その時だった。突然、妙な男がこちらに近づいてきた。二十歳くらいの、とぼけた雰囲気の若者だ。青鞘組を目の前にしながら、怯みもせず的場に近づき、軽く会釈する。
「すみません、的場慎之介さんですね。こいつを頼まれました」
言いながら、無造作に書状を手渡してきた。かなり失礼な態度ではある。が、いきなりのことに面食らっていた的場は、何も言わぬまま書状を受け取っていた。すると、若者はぺこりと頭を下げる。
「じゃあ、あっしはこれで」
直後、人混みの中へ消えていった。
的場は首を捻りつつも、とりあえず中を読んでみる。と、その表情が一変した。何かいいことでも書いてあったのか、頬が緩み鼻の下が伸びている。
「おい、どうしたんだ。果たし状でも来たのか?」
冗談めいた口調で村野が尋ねると、的場はだらしない表情を彼の方に向ける。
「恋文だ」
その言葉に、一同はひっくり返りそうな衝撃を受ける。はっきり言えば、的場は青鞘組で一番女にもてない風貌だ。背は高く体格はいいが、目つきは悪く顔の形は歪んでいた。人格の歪みが、顔にまで影響を及ぼした……そんな印象を受ける。雰囲気も暗く話もつまらない自慢話ばかりで、さらに粗暴かつ傲慢な性格ときている。こんな男を好きになれという方が難しい。
「お前、本当か? 見栄を張っているのではないか?」
田村が聞くと、的場の目が吊り上がる。
「見栄とはなんだ! 疑うなら読んでみろ!」
怒鳴りつけ、書状を田村に渡す。的場以外の者たちの視線が、書状に集中する。
的場の言うことに間違いはなかった。これは恋文だ。差し出し人は高村りつ、と書かれており的場に対する切ない思いが綴られている。最後に、是非とも一度お話がしたい。丑の刻に冗林寺で待つ……という文で締めくくられていた。
一同が驚愕する中、的場は勝ち誇った表情になる。
「わかったか。これが、俺とお前らとの格の違いだ」
そのやり取りから、かなりの時間が経過している。だが、男たちの気持ちは収まっていない。
「あの態度はなんだ! 本当に腹が立つ!」
先頭を歩いていた村野が、虚空に向かい怒鳴りつける。
彼らは今まで、あちこち周り乱暴狼藉の限りを尽くしていたのだ。不愉快なことがあった場合、町に出て目に付いた町人を殴る蹴る。あるいは、目に付いた物を壊す……これが、青鞘組の主な日課である。
そんな彼らの活動も、本日をもって終わりとなる。前方の横道から、何ががすっと現れたのだ──
彼らの前に、奇妙な男が立っている。背丈は六尺(約百八十センチ)はあり、肩幅も広い。胸板も分厚く、袖無しの着物から見える腕は、鋼のごとき筋肉に覆われている。手から肘にかけて、黒い布のような物が巻かれている。頭には黒い頭巾を被っており、顔は判別できない。
一番の問題は、その怪人物が彼ら四人に視線を向けている……ように見えることだ。
さすがの青鞘組も、その異様さには立ち止まらざるを得なかった。
「おい、あれはなんだ? 誰かの知り合いか?」
村野が、引き攣った表情で皆に尋ねた。しかし、返事をする者はいない。
「田村、行って聞いてきたらどうだ? お前なら無敵だ。大丈夫だろう」
神島の言葉を聞いた田村は、前に出る。
「よし、俺が聞いて来よう」
へらへらした態度で言うと、恐れる様子もなく進んでいく。
この田村、喧嘩は弱いし切り合いになれば逃げる男だ。そんな男が、いきなり現れた怪人物に怯まず向かっていった……その理由はというと、田村は恐ろしいくらいのお調子者だったからだ。おだてられたら、とんでもないことを平気でやらかす性格である。今回も「お前なら無敵」という冗談を真に受け、舞い上がってしまったのだ。
こうした人物の存在が、歴史を変えることも稀にある。だが、早死にした人数の方が圧倒的に多い。
直後の怪人物の動きが、完璧に把握できた者はいない。それくらい速く自然で、無駄のない動きだった。
田村が近づいた時、分厚い筋肉に覆われた巨体が音もなく動く。同時に、何かが破裂するような小さな音が響く。二回、いや二発というべきか。
皆が気づいた時、田村が仰向けに倒れていた──
「田村!」
叫んだ直後、村野が走る。彼は怪人物に向かって行こうとしたのではなく、田村の生死を確認しようとしたのだ。
それは、完璧に間違った行動だった。
「馬鹿! 下手に近づくな」
神島が怒鳴り、刀を抜く。だが、既に遅かった。村野が田村に接近したとたん、怪人物が動いた。またしても、破裂音が響く。
直後、村野も一瞬にして倒された。どうやら、拳で殴られたらしい。
これではっきりした。あの怪人物は、自分たちを殺しに来たのだ。ならば、返り討ちにするまで。
「俺は桐原一刀流免許皆伝、神島源之丞だ! 死ぬ覚悟があるなら、かかって来い!」
刀を構え、吠える。何者かは知らないが、身のほど知らずにも程がある。腕力はたいしたものだ。が、どんなに腕が立とうと、素手と刀では勝負にならない。刀が圧倒的に有利である。
奴を斬り、村野と田村の仇を取る──
怪人物は、両拳を顔の位置に上げ構える。
次の瞬間、上体を小刻みに振り始める。その動きは、恐ろしく速い。同時に、横方向へ滑るように動く。いや、斜め方向にじぐざぐに進んでいるのだ──
なんだこれは?
神島は愕然となった。こんな動きは、どの剣術や武術にもないはずだ。左右に動きつつ、滑るように接近してくる……有り得ない。しかも、岩石のような巨体の持ち主が、こんなに速く動けるはずがないのだ。
ここまでの思考、神島の中では、ほんの瞬きする間に湧いた一瞬のものだった。しかし本物の強者の戦いでは、その僅かな隙で勝負が決する。
気がついた時には、手の届く距離に怪人物が来ていた。有り得ない速さだ。神島は、慌てて刀で切り付けようとする。しかし、全ては遅すぎた。
手袋を嵌めた拳が放たれる。避けることなど不可能な速さだ──
拳は、神島の鼻に炸裂する。鼻骨が折れたが、その痛みを感じる暇はなかった。ほぼ同時に、もう一発の拳が飛んで来る。
馬の蹴りのような一撃は、頭蓋骨を砕き脳を破壊する。それゆえ、痛みを感じる前に死んでいた。
残るひとり・森田はというと、既に逃げ出していた。
彼は、この青鞘組でも最弱だろう。しかも、その事実をちゃんと知ってる。それゆえ、逃げることにためらいはない。
今回も彼は、田村が殺された時点で、さっさと逃げていた。その判断は間違いではない。
ただ、正解でもなかった。
突然、近くの塀の上から何かが落ちて来る。何かは、森田の背中に飛びついた。
短刀を振り上げ、首筋の急所に突き刺す──
森田は絶命した。痛みを感じる間もなく、一瞬で死ねたのが救いだろう。
森田を仕留めると、お鞠はすっと立ち上がる。そのまま、音もなく消えた。一瞬て三人を片付けた泰造は、お鞠の仕事完了を見届けると、闇の中に消えていった。
・・・
的場慎之介は、上機嫌で歩いていた。
聞けば、高村りつとは中々の上玉らしい。しかも、家もかなりの名門だ。上手くいけば、婿養子もあるかもしれない。そんな皮算用をしながら歩いているうち、目指す場所に到着した。
「おい、なんだここは?」
的場は、思わず呟いていた。恋文に書かれていた待ち合わせ場所は、冗林寺となっていた。
ところが、その冗林寺に到着してみれば、既に廃墟と化していたのだ。庭は雑草が伸び放題、寺の境内はぼろぼろだ。あちこちにがたがきており、壁も穴だらけである。今にも、幽霊や物の怪が出そうだ。
個人の好みはそれぞれあるだろうが、武家の娘が深夜の逢い引き場所に選ぶとは思えない。的場は、念のため境内にも入ってみることにした。
そっと、入口から入っていく。中は、さらにひどかった。いろいろな物が持ち去られ、寺らしき部分がほとんど残っていない。ただ、穴だらけの板の間があるだけだ。
呆然となる的場。その時、声が聞こえてきた。
「あんた、本当に頭が悪い人だな。まさか、こんな作戦に引っかかるとはね」
奥から現れたのは、みすぼらしい着物を着た若い男だった。腰に刀を下げているが、身なりや風貌から見るに、食い詰めた浪人者だろうか。
的場は提灯を高く上げ、まじまじと男の顔を見つめる。だが、心当たりはない。
「何を言っている? 俺は、ここで人と会うことになっているのだ。さっさと消えろ。でないと、痛い思いをすることになるぞ」
その時、男がため息を吐いた。
「私は、南町奉行所見回り同心・西村右京だ。覚えていないのかな?」