無念夢想 六
西村右京は、商店の立ち並ぶ大通りを歩いていた。
日は空高く上っており、もうすぐ昼飯時だ。周囲は人が行き交い、あちこちから人の声が聞こえてくる。にぎやかな雰囲気である。いつもと変わらぬ風景だ。
もっとも、右京はいつもと違う部分を感じ取っていた。先ほどから、誰かがつけて来ているのだ。
お鞠が、自分について来ていることは知っている。だが、それ以外にも来ている者がいるらしい。それも、ふたりだ。
どうやら、先日聞いた話は嘘ではなかったらしい。
(お前の命を狙っている奴がいる)
あの男は、はっきりと言っていた。
では、今のうちに決着をつけるとしよう。屋敷の周りをうろうろされ、挙げ句に千代に害が及ぶような事態だけは避けたい。
右京は、歩く速度を上げた。早足で歩き、裏道を進んでいく。つけて来ている何者かも、一定の距離を保ちつつ、しっかりとついて来ている。
裏道を進み、人気のない路地裏へと入っていく。確か、この付近には廃屋があったはずだ。かつて米倉として使われていたが、持ち主の商人が病で亡くなってしまい、今は朽ちるに任せているらしい。
そこで仕留める。
右京は、目当ての廃屋に入っていった。天井は穴が空いており、あちこから日の光が射しているため外と変わらぬ明るさである。壁も穴だらけだ。ただ、中は広い。
中に進んでいった右京だったが、不意に立ち止まる。
振り返ると同時に声を発する。
「そこにいるのは何者だ?」
すると、ひとりの男が壁から顔を出した。ゆっくりと姿を現す。大柄な体格で、顔もいかつい。右京を見る目には、はっきりとした憎しみがあった。
「お前は誰だ? 何が目的だ?」
もう一度尋ねてみたが、答えは返って来ない。相手は無言のまま、懐から短刀を抜いた。
その途端、右京は短筒を抜く。銃口を、中年男へと向けた。
「言わぬなら、撃つぞ」
冷たい口調で言い放つ。もっとも、神経は背後に集中させていた。もうひとり、潜んでいる者がいるのだ。外から壁伝いに反対側に回り、少しずつ接近してきているらしい。
中年男の方は、何も言わず右京を睨みつけている。さすがに短筒を前にしては、襲いかかることも出来ない。
「どうしても言わぬのか?」
無駄とは思いつつも、再度尋ねてみた。だが答える気配はないし、抜いた短刀を収める気もないらしい。
こうなれば、殺すしかなかった。後ろからは、もうひとりが迫って来ている。ならば、ぎりぎりまで引き付ける。振り返ると同時に殺す。返す刀で、中年男を片付ける。上手くいくかはわからないが、これしかない。
その時だった。中年男の表情が変わる。
「お菊! 後ろだ!」
いきなり叫んだ。ほぼ同時に、うっという呻き声。いったい何が起きたのか。右京は半身の姿勢になり、目だけを動かし後ろで何が起きているかを確かめる。
何者かが、地面に倒れているのが見えた。さらに、もうひとりの姿が視界の端に映る。
しかし、もうひとりが誰であるか確かめている暇はなかった。中年男が、何やら喚きながら襲いかかって来たのだ。
考えるより先に、手が動いていた。短筒が火を吹き、銃声が轟く。
直後、中年男はばたりと倒れる──
放たれた銃弾は、男の胸に炸裂していた。弾丸は胸骨を砕き、内臓を傷つける。砕かれた胸骨の破片も、体内で内臓に突き刺さる。もう助からないだろう。
それでも、中年男は立ち上がる。よろよろと、右京に向かい進んでいく。その目には、決して消えぬであろう憎しみがあった。
だが、すぐに膝を着く。もはや、歩く力も尽きたらしい。
右京は、ちらりと後ろを見た。見覚えのない中年の女が倒れている。その横では、お鞠が立ち上がり短刀を抜いた。急所をひと突きされ、女は死んでいるらしい。
これなら、もう大丈夫だろう。右京は、男を睨みつける。
「お前は誰だ? なぜ私を狙った?」
「お前に斬られた章吉の恨み……地獄へ逝っても忘れねえ……呪うぞ……七代先まで呪ってやる」
その言葉に、右京は顔をしかめた。何ということだ。この男は、間違った噂を真に受けて自分を狙ったのか。
ならば、完全な犬死にだ。
「お前は誤解している。確かに、章吉を捕らえたのは私だ。しかし、斬ったのは違う男だ。私が通り掛かった時には、既に死にかけていた」
死に逝く男に真実を告げるのは、無駄なことかもしれない。そんなことを思いつつも、言わずにはいられなかった。
すると、男の表情が変わる。
「嘘をつくな……」
「嘘ではない。死に逝かんとするお前に、嘘をついてどうなる。章吉を背中から斬ったのは、三崎屋の用心棒である川田小十郎だ。章吉は、店に押し入ったところを川田に出くわしたらしい。逃げられそうになり、後ろから斬った。川田が自慢げに語っているのを、この耳で聞いた」
「何だと? 本当か?」
「本当だ。誓っていい。もし幽霊になった後、私の言ったことが嘘だと判明したなら、七代といわず好きなだけ祟れ。しかしだ、私は章吉を斬ってはいない。むしろ、もっと早く捕縛しておけばよかったとさえ思っている。あれだけ血を流す前に医師のところに連れて行けば、奴は助かったかもしれんのだ」
それは、偽らざる本音であった。斬られた後、章吉はあちこち逃げ回った。挙げ句、大量の血を流したのだ。
右京は医師ではないが、これまで大勢の人間の死を見てきた。血を大量に流せば、人は死ぬことを肌身で知っている。章吉は、大量の血を流して体が弱っていた。
「そんな……くそ、俺は何のために……」
それが、最後の言葉だったらしい。直後、男の首ががくっと落ちる。ここまでだったらしい。
ひょっとしたら、自分の言葉が死期を早めたのかも知れない……などと思いつつも、右京はお鞠の方を向いた。
「お鞠さん、あなたはここを離れるんだ。私は役人だから、何とでも言い逃れが出来る。しかし、君はそうはいかない。早く逃げるんだ」
その言葉に、お鞠は顔をしかめつつも頷いた。すぐに走っていく。
彼女が去ったのを確かめ、右京は死体となった者たちをもう一度見る。大柄な中年男と、恰幅のいい中年女。夫婦なのだろうか。
この夫婦は、自分を息子の仇だと思っていたのだ。挙げ句、襲いかかって来たが返り討ちにあってしまった。
何と哀れな話なのだろうか。仮に、首尾よく自分を殺せていたとしても、息子の仇を討ったことにはならない。一文にもならない無駄な殺しをしただけだ。
仇でもなんでもない自分を襲い、挙げ句の果てに自らの命を落とすとは。
「すまなかったな。だが、私も今ここで殺されるわけにはいかないのだ」
八郎の死体に向かい、そっと呟いた。
この件は、あっさりと片付いた。銃声が聞こえ、たまたま付近を見回っていた見回り同心の西村右京が駆けつけた。すると、ふたりの死体を見つけた……それで終わりである。奉行所の中には、殺された八郎がかつて裏の世界にいたことを知る者もいた。昔、恨みを買った者に殺されたのではないか……という結論に落ち着いた。




