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無念無想 五

 その日、呪道の根城である慈愛庵に、ひとりの男が訪れていた。

 板の間にて、呪道と訪問者は向きあっている。両者の表情は対照的であった。呪道の方は和やかな表情だが、客である八郎は神妙な顔つきである。


「八郎さん、久しぶりだな。何年ぶりだろうね」


 軽い口調で語りかけるが、八郎はにこりともしていない。険しい表情で口を開いた。


「今日ここに来たのはな、昔話をするためじゃねえんだよ。俺たちは近々、江戸を離れる」


「ほう、そらまたどうして?」


「俺たちの息子の章吉が死んだことは、知っているよな?」


 その言葉を聞き、呪道の表情も変わった。


「ああ。一応、小耳に挟んではいる。押し込みに入ったが捕まり、牢内で死んだって聞いてる」


「俺たちは、息子の仇を討つ。西村右京という見回り同心だよ。そいつを殺す」


 途端に、呪道の眉間に皺が寄った。


「ちょっと待て。今、西村右京と言ったのか?」


「ああ、西村右京だよ。知ってるのか?」


「知ってるってほどでもないが、噂は聞いたことがある。どうしようもない無能な同心だって話だ」


 言いながら、どういうことかと考えを巡らせる。あの右京が、表の仕事で人を殺したというのか。

 右京が死事屋の一員であることを知る者は、今のところ仲間内だけだ。龍牙会はもちろんのこと、仕掛屋の鉄にさえ打ち明けてはいない。


「そう、奴は確かに無能だよ。付いたあだ名が、生ける案山子(かかし)だ。その案山子野郎に章吉は斬られたんだよ。しかも、傷は背中にあったらしい。右京は、後ろから章吉を斬りやがったんだよ。こんな真似、許せるわけがねえ」


 静かな口調ではある。しかし、八郎の面構えは尋常なものではない。今すぐにでも乗り込んで行きそうな雰囲気を醸し出している。


「ちょっと待ちなよ。あの西村だぜ。人を斬る度胸なんか、あるとは思えねえ」


 無駄とは思いつつも、一応は言ってみた。すると、八郎の目つきが変わる。


「おい呪道さんよう、俺が間違ってるって言いてえのか? 返答次第じゃ、あんたでも許さねえぞ」


 低い声で言いながら、じっと睨みつけてきた。呪道はそっと目を逸らす。八郎は頑固な男だ。こうなった以上、てこでも動かない。何を言っても無駄だ。


「そうか、わかったよ。これ以上は、何も言わねえよ」


 そう言うしかなかった。正直、もはや八郎のことは諦める他ない。

 八郎は、確かに裏の世界で知られた存在だった。しかし、それは過去の話だ。今は年をとり、腕も衰えているだろう。しかも、裏稼業から離れて久しい。

 一方、右京は現役の殺し屋である。若いし、腕も確かだ。その上、飛び道具の使い手である。どんな武術の達人だろうと、鉛の弾丸には勝てない。両者がやり合えば、殺られるのは八郎だろう。八郎に勝つ可能性があるとすれば、女房のお菊とふたりがかりで、不意を突いて殺すしかない。

 だが、それも困難だ。夫婦そろって、短筒で撃ち殺されて終わり……そんな結末しか見えてこない。

 そんなことを考えていた呪道だったが、話はとんでもない方向へと進んでいく。


「用はもうひとつある。あんたにひとつ頼みがあるんだ」


「なんだ?」


 聞き返す呪道の前に、八郎は小判の束を置いた。


「万が一、俺たちがし損じたら、その金で章吉の仇を討ってくれ。右京を、あんたら死事屋で殺って欲しいんだ」


「ちょっと待ちなよ。今、俺たちがし損じたらって言ったよな。し損じた時にゃ、あんたら死んでるかもしれねえんだぜ。あるいは、捕らえられて牢屋にいるか。いずれにしても、俺たちがちゃんと仕事をしたかどうかは、確かめられねえじゃねえか」


「いいや、俺にはわかるよ。あんたは、きちんと仕事をする人だ。龍牙会の大幹部だった時もそうだった。こと仕事に関する限り、あんたは絶対にごまかさない人だ。だがら、この金を受け取ってくれ。もし俺たちが右京を仕留め江戸を離れたら、その金で章吉の墓に何か供えてやってくれよ」


 真剣な表情だった。心からの訴えであるのはわかる。無視することはできない。呪道は、小判を手に取った。


「わかったよ」


「ありがてえ。これで、心置きなく最後の仕事にかかれるぜ」


 八郎は頭を下げる。直後、立ち上がり去って行こうとした。が、立ち止まる。


「この件を知っているのは、あんたと疾風の又吉と鼠の権六だけだ。他の連中には口外しないでくれ」


「わかってるって」




 八郎が去った後、呪道は板の間にて座り込み、置かれた小判を見つめていた。全部で六両ある。これは偶然なのだろうか。

 夫婦は、恐らく返り討ちに遭うだろう。その場合、自分が右京を仕留めなくてはならない。この金を受け取ってしまった以上、避けられないのだ。それが、裏稼業の掟である。

 恐らく、龍牙会の現幹部である藤堂ならば、この金を懐にしまい込む。後は知らぬ顔の半兵衛を決め込むのだろう。それが、商人のやり方だ。

 しかし、呪道は商人にはなれない。骨の髄まで、裏稼業の死事屋なのだ。

 ふうと溜息を吐く。その時、足音が聞こえてきた。

 戸が開き、入って来たのはお清である。彼女の姿を見て、呪道は口元を歪めた。


「ねえ、仕事ないのかい。あたしゃ懐が淋しくてね」


 そんなことを言ってきたお清に、呪道はそっと手招きする。


「お前にひとつ頼みがある。調べて欲しいことがあるんだよ」


 ・・・


 賑やかな町中で、西村右京は見回りをしていた。もっとも、彼にやる気などない。とりあえず、章吉を捕らえた件により首は繋がった。これで、しばらくは大丈夫だろう。後は、上役の村野に睨まれないようおとなしくしていよう。下手を打たず、粛々と日々の仕事をこなしていくだけだ。

 そんなことを思いつつ、のんびり歩いていた右京。だが、彼の目は妙なものを捉えた。手ぬぐいで頬かむりをした男が、こちらをじっと見ている。顔立ちはよく見えないが、みすぼらしい着物を着ており小柄な体格である。絵双紙屋の前で突っ立ったまま、右京から目を離さない。

 右京は近づいていく。先日、正太から妙な話を聞いていた。中年女が屋敷の周りをうろうろしていた、と。ひょっとして、その中年女とかかわりのある者かもしれない。

 両者の距離は縮まっていった。にもかかわらず、男に逃げる気配はない。やはり、右京に用があるらしい。

 手を伸ばせば届く位置で、右京は立ち止まり口を開いた。


「私に何か用か?」


「お前、西村右京だな。いいか、耳の穴かっぽしじいて聞け。ある男が、お前を殺そうとしてる」


 男の言葉に、右京は首を捻る。狙われる覚えなどない。本当だろうか。

 

「何を言っているんだ? くだらん嘘をつくと、番屋で取り調べるぞ」


「へっ、そんなこと言ってられるのも今のうちだ。お前、あと三日もすれば棺桶逝きだぜ。そん時に泣いても遅いんだよ」


 そう言って、男は笑った。右京は言い返そうとするが、その時に閃くものがあった。ひょっとすると、正太の言っていた中年女と何か関係があるのかもしれない。


「その男は誰だ?」


 念のため聞いてみた。すると、男は首を横に振る。


「教えられねえな。知りたきゃ銭よこせ」


「いくらだ?」


「十両くれれば、相手が誰でどこにいるか教えてやる」 


 聞いた右京は、溜息を吐いた。十両は払えないこともない額である。が、どこの何者かもわからぬ男の、あてになるかもわからぬ情報には払いたくない。


「悪いが、十両は無理だ。他を当たれ」


 冷たい表情で言い放ち、背中を向ける。と、男の声が聞こえた。


「だったら、八両にまけてやる。八両で命が助かるんだぞ。安いもんだろ」


 だが、右京は無視して歩き出す。と、男は走った。追い抜いたかと思うと、前を塞ぐ。


「だったら仕方ねえ。大まけにまけて五両だ。どうだよ?」


 馴れ馴れしく近づいて来る男に、右京はだんだん腹が立ってきた。こんなにあっさり値を下げてくるとは、けちな詐欺である可能性が高い。放っておいてもいいが、周囲をうろうろされると目障りだ。

 手を伸ばし、襟首を掴む。同時に、物陰に引きずりこんだ。


「お前をしょっぴいて番屋で痛め付けた方が、安く済みそうだな」


 力ずくで引き寄せ、低い声で囁いた。男は、突然のことに目を白黒させている。

 その時だった。突然、後方から別の声が聞こえてくる。


「旦那、何やってんの? 捕物かい?」


 見なくてもわかる。正太だ。右京はそちらを向かず、もう一度男を睨みつける。

 

「いいか、私には近づくな。お前の相手をするほど暇ではない」


 囁いた直後、思い切り突き飛ばした。男は、よろけて倒れる。が、すぐに起き上がり逃げていった。


「ねえ、どしたの?」


 近づいてきた正太が、不思議そうに聞いてきた。


「どうもこうもないよ。私の命を狙っている者がいるらしい。そいつの情報を教えるから、十両払えと言ってきた。うっとうしいから追い払ったよ」


 吐き捨てるような口調で答える。すると、正太の表情が変わった。


「ちょっとお、何よそれ。危ないじゃんか。大丈夫なの?」


「さあな。まあ、来たら返り討ちにしてやるよ」


「そんなこと言ってていいの? 上役に言った方がいいんじゃない?」


 真面目な顔で言ってきた正太に、右京は苦笑した。


「言ったところで、相手にもされんよ。私ごときのために人員を割くほど、奉行所も余裕があるわけではない」


「だったらさ、俺とお鞠が交代で旦那んちに泊まり込むよ。用心棒になってやる」


「えっ……」


 絶句する右京に構わず、正太は一方的に話してを進める。


「そうと決まれば、善は急げだ。お鞠に言ってくるね」


 言うが早いか、正太は駆け出していく。止める暇もない。


「お前が私の用心棒か。何とも頼りないな」


 呟きながら、小さくなっていく正太の後ろ姿を見つめていた。









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