無念無想 三
押し込み犯の若者を捕らえた翌日、西村右京は町を見回っていた。
これで、見回り同心としての立場も安泰……というわけでもないが、しばらくは安心だろう。もっとも、上役である村野の視線は、相変わらず厳しい。なので、彼に睨まれぬよう、挨拶もそこそこに昼前から町を見回っているのである。
さて、どこで暇を潰そうか……などと思いつつ、あちこちに目線を送っていた時だった。
「西村殿、やったな。お手柄だぞ」
いきなり後ろから声をかけられ、右京は戸惑いつつ振り向いた。
目の前には、須藤左分之助のいかつい顔がある。右京は苦笑しながら、大袈裟に手を振った。
「いえいえ、手柄ではありません。たまたまです。棚ぼたという奴ですよ」
「いやいや、何を言っている。賊に一太刀浴びせ、逃げるところを追いかけ捕らえたそうではないか。見直したぞ。貴殿は普段、己の力を隠していたのだな」
どうも、情報が誤った伝わり方をしているらしい。右京は首を振り否定した。
「違いますよ。一太刀浴びせたのは、三崎屋の用心棒です。私は、怪我を負って逃げていた賊を捕らえただけです。完全な棚ぼたですよ」
「そうだったのか。ところで、貴殿が捕らえた男だがな、牢内で傷が悪化して死んだらしいぞ」
聞いた右京は、思わず溜息を吐いた。
「本当ですか?」
「ああ。斬られた後、あちこち走り回ったのが運の尽きだったらしい。愚かな奴よ」
確かに愚かだ。押し込みに入った挙げ句、用心棒に斬られ牢内で死ぬ。これほど無意味な死に様もない。
「そうでしたか。気の毒なことをしました。もっと早く、医者に診せてやれば助かったかも知れない」
「何を言っている。あの章吉は、どうしようもない奴だ。あちこちで喧嘩を繰り返しては、親に頭を下げさせていた。どうしようもない親不孝者だよ。俺も一度、町でかつあげしているところを捕らえたことがある。その時は、もう二度とこんなことはしません……などと泣きながら言っておったのだ。しかも、両親も揃って現れる始末だ。仕方なく解き放ったがな、ろくな死に方をしないと思っていたよ」
最後の部分は、吐き捨てるような口調であった。あの若者のふるまいが、よほど気に入らなかったらしい。右京が口を開こうとした時、野太い声が聞こえてきた。
「旦那あ! 何やってるんです!」
言いながら、どたどた走ってきたのは欣三だ。最近、須藤の下で働いている目明かしだ。須藤に負けないくらい体が大きく、人相も悪い。かなりの腕前で、悪党から恐れられているらしい。
「なんだ欣三、俺は西村殿と話しているのだ。邪魔をするな」
面倒くさそうな顔で、しっしっと追い払うような仕種をする。だが、欣三は引かない。須藤の手を掴み、強引に引っ張っていく。
「んなことしてる暇はありやせんぜ! 早く来てくだせえ!」
「わかった! 今行くから!」
怒鳴り合うような声とともに、ふたりは去っていった。
残された右京は、ひとり呟く。
「親不孝者、か」
思えば、自分もいつか親になるはずだった。ところが、運命のいたずらにより今はこうなっている。
千代と共に子育てをしてみたかった、という思いは今もある。だが、章吉のような例を見ると、いなくてよかったのか、とも思う。
いずれにせよ、あの男は死んでしまった。自業自得といえばそれまでだ。押し込み強盗に入った家で、用心棒に斬られた挙げ句に死んだ。何とも愚かな末路である。
しかし、あの章吉も両親から見れば可愛い息子なのだろう。世の中とは、何ともままならぬものだ。
・・・
その夜、江戸の片隅にてふたりの男が語り合っていた。片方は、龍牙会の幹部・疾風の又吉である。
もうひとりは、又吉よりだいぶ年上の男だ。体は大きく、筋骨逞しい体格である。手はごつごつしており、顔も日に焼けている。しかし髪は白いものが目立ち、顔も皺が多い。
そんなふたりは、又吉の家で酒を飲んでいた。もっとも、双方ともに神妙な顔つきだ。口数も少ない。楽しく酒を酌み交わす、そんな言葉とは真逆の空気である。無言のまま徳利から酒を注ぎ、機械的に猪口を口に運ぶ……お通夜のごとき雰囲気である。
まあ、お通夜といっても間違いではなかった。
「息子さんのことは、気の毒だったな」
沈黙を破ったのは又吉であった。すると、中年男は表情を歪める。
「気の毒なことなんかねえよ。あいつは、どうしようもねえ馬鹿だった。俺はな、口をすっぱくして言ってたんだよ……このままじゃ、畳の上で死ねねえぞって。その通りになっちまったな」
そこで、酒の入った猪口を口に運んだ。
一気に飲み干し、再び語り出す。
「だかな、納得いかねえことがある。あいつを捕らえたのは、西村右京とかいう同心らしい。俺はな、その同心だけは許せねえんだよ。捕らえたのは仕事だ、仕方ねえ。あいつが死んだのも自業自得だ。理屈ではそうなる。だがな、息子を殺された以上、親として黙って引っ込んでるわけにもいかねえんだ」
「八郎さん、あんたその西村とかいう同心を……」
置かれた中年男の猪口に酒を注ぎながら、恐る恐る尋ねる又吉。床に置かれた皿には、炙った目刺が数匹載っているが、ほとんど減っていない。ふたりとも、肴にはほとんど手を付けず、ただただ酒を口に運んでいる。
「ああ、殺してやる。それも、ただじゃ殺さねえよ。じっくりと苦しめてやる」
答える八郎の顔には、本物の殺意があった。
「おい、やめた方がいいんじゃねえか。相手は、仮にも役人だぞ」
「関係ねえよ。聞けば、西村は同心とは名ばかりだって言うじゃねえか。あだ名が生ける案山子の、どうしようもねえ怠け者だって話だよ。しかもだ、章吉は背中に傷を負っていたらしい。つまりは、後ろから斬り付けたってことだ」
言いながら、ぐいっと酒をあおる。
直後、畳を殴りつけた。
「同心でありながら、後ろから斬るとは許せねえ。必ず殺ってやる」
八郎の目には、異様な光がある。
この八郎、今でこそ堅気の手配師として生計を立てている。しかし、かつては裏の仕事も請け負っていた。
女房のお菊とふたりで殺し屋稼業をしており、そちらの方でもかなり知られた存在だった。仕掛屋の先代の元締である政吉とも、付き合いがあった。
しかし、辰の会と仕掛屋との抗争が始まる。最終的には、仕掛屋の政吉と辰の会の元締・鳶辰の両者が命を落とした。それを機に、ふたりは足を洗い堅気の人間として生きていく。以来、今も存続している仕掛屋とも、今や江戸の裏社会を仕切る大組織となった龍牙会とも、ほとんどかかわらずにやってきた。手配師として、こつこつ真面目に生きてきたのである。
ところが、息子の章吉は違っていた。筋金入りのろくでなしである。八郎と違い、背丈は並程度で痩せており、腕力もさほど強くない。にもかかわらず、異様なまでに喧嘩っぱやい男だった。裏の世界でも名の知れた父と母に比べると、自身はただの破落戸でしかない。明らかに格下である。
「八郎さん、あんたは足を洗ったんだろうが。だったら、龍牙会に任せねえか? 龍牙会なら、相手が同心だろうが仕留めてやるよ」
又吉が、不安そうな顔で言った。しかし、八郎はかぶりを振る。
「お前の気持ちは嬉しいがな、あいつは俺が殺る。俺の手でないといけないんだ。それに、お菊の奴も完全にやる気になってる。あいつは今、昔の仲間を連れて西村の屋敷を調べてるところだ」
「そうかい。だったら、俺も何も言わねえよ。ただ、気をつけろよ」