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秘術無想 八

 西村右京は、提灯を片手に歩いていく。

 既に日は沈み、夜には星が輝いていた。辺りは木が生い茂り、時おり小動物の動く音が聞こえている。

 そんな中を、右京は足音も立てず進んでいく。しばらくして、目当ての場所に到着した。呪道の根城である慈愛庵だ。

 戸を開け、入っていく。




 地下室に入ると、既に全員が揃っていた。右京が腰を下ろすと同時に、呪道が口を開く。


「全員揃ったな。今回の獲物は……生き返った本庄武四郎と、そいつを操る比企田源心(ひきた げんしん)だ」


「ひきたげんしん? 聞いたこともないな。何者だい?」


 右京が尋ねる。


「元々は、ただの拝み屋だったんだよ。ところがな、裏の呪術の研究を始めてから、どんどんおかしくなりやがった。最近では、死者を蘇らせる呪法を成功させたとか、そんな話もしていたらしい」


「なるほど。では、どうやって仕留める?」


「今回は、ちょいと変則的なやり方でいく。まずは、泰造と右京だ。お前ふたりで、化け物となった本庄武四郎の相手をしてくれ。俺とお鞠で、比企田を殺す」


 その時、黙りこくっていた泰造が顔を上げた。


「待て。なんで、こいつと組まなきゃならない?」


 言いながら、右京を指さす。明らかに不快そうな顔つきである。呪道は、面倒くさそうに頭を掻いた。


「あのな、今の本庄は人間じゃねえんだよ。化け物だ。お前が強いのはわかるが、それでもひとりじゃ危険だ」


 その言葉にも、泰造は退く気配がない。


「あんな奴、怖くない。俺ひとりで充分だ。本庄なんか、何度生き返ろうがぶっ倒してやる」


 なおも食い下がる。泰造が、ここまで不満をあらわにするのは初めてだ。呪道は、思わず溜息を吐いた。この南蛮人には、異様に強情な面がある。今までは、その強情な面が表に出ることはなかったのだ。

 ひょっとしたら、己の拳闘士としての誇りを傷つけられた……そんな気分なのだろうか。

 だが、今回はふたりでやってもらうしかない。呪道は、静かな口調で語り出した。


「よく聞けよ。生き返った死人は、異常な腕力を出せるんだ。おまけに痛みも感じないし、血も流さない。殺すには、物理的にばらばらにして火で燃やすしかないんだよ──」


「だったら、俺が奴の体をばらばらにする。それでいいだろう」


 呪道の言葉を遮り、泰造は言い放った。横で聞いている右京が何か言いかけたが、その前に呪道が口を開く。


「おい、人の話は最後まで聞け。いいか泰造、生き返った死人には、生前の記憶はない。思考が出来ない状態だからな。しかし、厄介なことに生前にしてきたことを体が覚えてるんだよ」


「どういう意味だい?」


 横から、正太が軽い口調で口を挟む。すると、泰造がじろりと睨んだ。正太はまずいと思ったらしく、下を向く。

 だが、呪道はそんな空気を無視して答える。


「つまりだ、生前に大工だった奴は大工の技を体が覚えてる。大工仕事なんかやらせると、生前より早く家を建てちまったりするんだよ。なにせ力が強い上、休まなくていいわけだからな。同様に、本庄みたいな武術家も技を体が覚えてる。確実に、生前の倍以上は強くなっているはずだ」


 そこで、呪道は泰造の方を向いた。


「泰造、お前の強さは認める。だがな、今回の相手は人間じゃねえんだよ。今回は、右京と組んで闘え。これは命令だ。嫌だと言うなら、今回の仕事は外れてもらうぞ」


「わかった」

 

 渋々、といった様子で泰造は頷いた。

 直後、右京を睨みつける。


「俺の邪魔だけはするな。もし邪魔になるなら、お前も殺す」


 ・・・


 数日後。

 右京は、またしても提灯片手に歩いていた。人気(ひとけ)のない森の中を進んでいくと、やがて開けた荒れ地に出る。草はほとんど生えておらず、地面は赤土に覆われている。

 そんな場所に、ふたりの男がいた。ひとりは、死んだはずの本庄武四郎だ。ぼろぼろの着物をまとい、口を開けたまま突っ立っている。

 その隣には、さらに異様な姿の男がいた。ぼさぼさの髪に伸ばし放題の髭、しかも腰回りに布を巻いている以外には何も身につけていない。裸の体には、あちこち奇妙な入れ墨が入っている。

 右京に向かい口を開いたのは、その男だった。


「西村右京とやら、どうやって俺のことを知ったのだ?」


「比企田さん、悪いがそれは言えないな。蛇の道は蛇、ってところだよ」


「そうか。で、何が望みだ?」


「とりあえず、十両ほどいただこうか。そうすれば、龍牙会にも奉行所にも、あんたのやったことを黙っておこう。口をつぐんでおいてあげるよ」


 その言葉に、比企田はにやりと笑った。


「そうか。つまり、お前は強請屋(ゆすりや)なのだな。強請屋は、一度では終わらない。これもまた、世の常だ」


 直後、本庄が動く。先ほどまで、腑抜けのような顔つきで立っていた。しかし、今は目に異様な光が宿っている。


「お前には、死んでもらう」


 比企田の言葉に、右京はふっと笑みを浮かべる。


「そう来ることも、お見通しさ。泰造さん、出番だよ」


 言うと同時に、木陰から姿を現したのは泰造だ。ゆっくりと歩いてきて、右京の前に立つ。


「どういうことだ?」


 訝しげな比企田に、右京が答える。


「私らの目的は、あんたらを仕留めることさ」


「たったふたりで、か? なめられたものだ」


 比企田の声が合図だったかのように、闘いが始まった──

 突進してきた本庄に、泰造の左の拳が放たれた。拳は、狙い違わず顔面に炸裂する。その一撃は、鼻を砕き前歯をへし折る威力だ。

 しかし、本庄は意に介していなかった。泰造の拳を受けながら、己も横蹴りを放つ。

 次の瞬間、泰造の体が飛んだ──

 

 三十貫(約百十キロ)近くある泰造の巨体が、宙を飛び倒れたのだ。すぐに起き上がったものの、その顔には驚愕の表情が浮かんでいる。たった一発の横蹴りで、この衝撃……ようやく、相手の強さを理解したのだ。

 本庄の攻撃は終わらない。泰造が立ち上がると同時に、凄まじい回し蹴りが飛んでくる。とっさに上体を逸らし、どうにか躱した。蹴りの速さも威力も、以前に闘った時とは段違いだ。

 しかも、本庄の攻撃は終わらない。続けざまに、後ろ回し蹴りが放たれる。

 泰造は、またしても素早い動きで躱す。下手に受けようものなら、腕ごと首をへし折られてしまいそうな蹴りだ。躱すと同時に地面を蹴り、間合いを離す。

 目の前にいる男が、生前とはまるきり違っていることをはっきり悟った。蹴りが顔を掠めただけで、皮膚が切れそうな感覚を覚えたのだ。この技は、もはや人間を超越している。

 それでも泰造は拳を構え、本庄を睨みつける。あの蹴りを、あと一発でももらえば致命傷になる。何とか、あの蹴りをかい潜り拳による打撃を当てなくてはならない。だが、それは目をつぶって針の穴に糸を通すくらい困難だ。

 泰造を、敗北の予感が襲う。その時、耳をつんざくような銃声が轟いた。本庄の体が、ぐらりと揺れる──

 五間(約九メートル)ほど離れた位置に、右京が立っていた。構えた短筒の銃口からは、煙が上がっている。両者の間合いが離れたとみるや、短筒が火を吹いたのだ。常人ならば……いや、何人であろうが、この銃撃には耐えられないはずだった。

 しかし、本庄は違っていた。ぐらりと揺れたものの、すぐに体勢を立て直す。

 彼の異様な目が、右京へと向けられた。

 その瞬間、泰造が猛然と襲いかかる──

 本庄の顔面を、左右の拳が続けざまに襲う。一撃必倒の打撃を受け、本庄の頭蓋骨は完全に崩壊したはずだった。にもかかわらず、彼は立っている。

 並の武術家ならば、この時点で戦意を喪失していただろう。だが、泰造は攻撃をやめない。本庄と右京、ふたりに対する意地が、泰造を駆り立てている。さらに、追い討ちの左鉤突き──

 文字通り横殴りの打撃を受け、本庄はどうと倒れた。いや、倒れたというより飛ばされたという方が正確だろう。馬に蹴られるような衝撃を受け、物理的に吹っ飛ばされたのだ。

 倒れた本庄に、右京が酒瓶を投げつける。酒瓶は割れ、中の液体が降りかかった。

 さらに、火をつけた薪が投げられる。本庄の体は、炎に包まれた──

 それでも、本庄は立ち上がる。痛みも、熱さも感じていないのだ。今の彼は、目の前の敵を殺すこと……その一念で動いている。

 泰造は、ぎりりと奥歯を噛み締めた。一方、右京はふうと溜息を吐く。


「仕方ない。こいつを使うか」


 言うと同時に、腰の刀を抜いた。本庄は、火柱と化した姿でなおも近づいていく。標的は泰造だ。生前の記憶はないはずなのに、己を殺した者の姿を体が覚えているのだろうか。

 それとも、武人としての意地が、生ける死人となった今も残っているのか。

 燃え上がる体で、泰造に迫る本庄。だが、背後から接近する者がいる。右京だ。彼は走り、一気に間合いを詰める。接近すると、いきなり身を沈めた。 

 しゃがみ込むと同時に、左足に斬りつける──

 右京の一太刀は、本庄の片足を完全に切断した。さすがの生ける死人も、足を切り落とされては為す術がない。ばたりと倒れる。だが、両腕のみで体を起こした。なおも泰造の元へ這って行こうとする。恐ろしい執念だ。

 その時、奇怪な声が響いた。次いで、がさがさという音。見ると、比企田が茂みの中を走っていく。どうやら、敗北を悟り逃げることにしたらしい。

 ほぼ同時に、本庄の動きが止まった。比企田が走り去っていくと、糸が切れた人形のようにぱたりと動かなくなったのだ。

 同時に、隠れていた正太が姿を現した。右京に向かい叫ぶ。


「ねえ、比企田が逃げたよ! ほっといていいの!?」


「いいよ。後は、呪道さんたちに任せる。それに、もう疲れたよ」


 言いながら、右京はその場に座り込んだ。目の前には、燃え続ける本庄の体がある。何とも不思議な気分だった。この男は一度死んで、再び蘇った。そして今、もう一度殺したのだ。


「まさか、こんな奴がいるとはね。世の中というのは、想像もつかないことが起こるんだな」


 しみじみと語った。一方、泰造は燃え盛る死体に一瞥をくれただけだ。背を向け、無言のまま歩いていく。と、正太が声をかけた。


「ねえ、右京の旦那に一言くらいないの? おかげで助かった、とかさ」


 だが、泰造は何も答えず去っていった。正太は溜息を吐き、かぶりを振る。


「やれやれ、無愛想だね。あんた、かなり嫌われちゃってるみたいだよ。もうちょっとさ、みんなと仲良くしな」


 言いながら、座り込んでいる右京をつつく。

 右京は苦笑した。


「お前だって、ついこの前まで私を嫌っていたろうが」


 そう言われて、正太は顔をしかめた。拳で、右京の肩を軽く叩く。


「ちょっとお、そういう昔のことはいいっこ無しにしようよ。にしてもさ、あんた刀もちゃんと使えるんだな。恐れ入ったよ」


「昔、千代を襲った青鞘組に果たし状を出したことがある。その時は、刀での決闘に備え剣術の道場に通っていたんだよ。もっとも、果たし状はお偉方の手で握り潰されてしまったがな。まさか、あの時に学んだ剣術が今さら役立つとは思わなかったよ。皮肉なものだな」


 言いながら、思わず空を見上げていた。

 本当に、皮肉なものだ。体制側である旗本の息子たちに、自分たち夫婦は運命を狂わされた。

 笑顔を忘れていた千代と自分は、裏の世界の者たちによって人間らしさを取り戻せている。


 ・・・


 比企田は逃げていた。

 林の中を必死で走り、隠れ家を目指す。まさか、あの本庄が敗れるとは。数十人を相手にしても勝てると踏んでいたのに……。

 まあ、いい。今は逃げる。しばらく身を隠し、また別の死人を蘇らせる。今度は、ふたりを同時に蘇らせてみよう。

 そんなことを思いつつ、森の中の隠れ家へと入っていった。隠れ家と言ってはいるが、かつて商人が使っていた物置小屋に、比企田が勝手に住み着いただけである。彼は明かりをつけ、中に入っていく。

 その途端、絶句した。


「よう比企田、久しぶりだな」


 家の中であぐらをかき、陽気に声をかけてきた者がいる。爆発の現場から生還したようなぼさぼさ頭と、しましま模様の派手な袈裟。誰であるか、一目でわかった。


「呪道、か。何用だ?」


「あんたさ、ずいぶんと派手にやらかしたみたいだね。まあ、金が欲しいのはわかるけどさ、何も龍牙会の金を狙うことないじゃん」


 言いながら、床の上の物を指さす。そこには、彼が仕留めた者たちの所持品があった。煙管(きせる)、薬入れ、短刀などなど。

 己が殺した人の物を奪うことにより、呪術士はさらに力を増す……それが、比企田の信仰であった。


「お前に何の関係がある? お前とて、龍牙会を石もて追われた身だ。関係なかろう」


 ふてぶてしい態度で言ってのけた比企田に、呪道は首を振った。


「それがな、大ありなんだよ。お前のやらかしたことのせいで、俺が疑われてんだ。なあ、死門」


 呪道が声をかけると同時に、のっそりと現れた者は……龍牙会最強の剣士・死門だった。白い顔には、何の表情も浮かんでいない。冷えきった目で、比企田を見下ろしている。


「比企田、こいつは龍牙会の死門だ。元締に全てを報告するため、わざわざ出向いてくれたんだよ」


 だが、比企田には聞こえていなかった。死門の冷めきった迫力に圧倒され、本能的に後ずさりしていた。死人を蘇らせる力を持った術士ですら、この男の前では恐怖を禁じ得ない。

 その時、比企田の後頭部に冷たいものが当たる。反射的に振り向こうとした時、呪道の声が聞こえた。


「勘違いするな。お前を殺すのは、俺たちの仕事だ」


 直後、短刀が突き刺さる。お鞠の握った短刀は、寸分の狂いもなく比企田の延髄を貫いた──

 死門はといえば、床に置かれた様々な小物を拾い上げた。袋に詰めながら口を開く。


「元締には、俺の方から言っておく。この証拠の品々を見せれば、元締も納得してくれる。それでも文句を言う者があれば、俺が殺す」


「頼んだぜ、死門」


 飄々(ひょうひょう)とした態度の呪道に、死門は一瞬ではあるが顔を歪めた。


「お前がいなくなってから、龍牙会は大きく変わってしまった。それが良いことか悪いことか、俺にはわからない」


 彼らしからぬ言葉を吐いたかと思うと、音もなく消えてしまった。











 









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