秘術無想 五
慈愛庵の板の間にて、男と女が向かい合っている。
空は、少し明るくなりかけている。もうじき日が昇り朝が来るだろう。こんな時間にふたりきりという状況だが、両者の間に色っぽい空気など微塵もない。
「だから、間違いないんだって!」
お清は、凄まじい剣幕で怒鳴りつける。呪道の方はというと、渋い表情だ。そもそも、彼はついさっきまで、いびきをかいて眠っていたのだ。
ところが、いきなりの来訪者にたたき起こされる。誰かと思えば、お清だ。彼女は、お化けに追いかけられてやっと逃げ込んだような顔つきである。
眠い目をこする呪道に、お清は叫んだ。
「大変だよ! あいつ、生きてやがった!」
突然そんなことを言われ、呪道は目を白黒させるばかりである。
そして今も、お清は喚き続けている。引く気配は、微塵も感じられない。仕方ないので、彼女が息継ぐ瞬間を狙いそっと声をかけた。
「でもよお、あいつは死んだんだ。泰造だって言ってたし、葬式だってやってたんだぜ」
「けど、生きてたんだよ! あたしは、この目で見たんだ!」
なおも言い続ける。こうなると、お清はてこでも引かないだろう。呪道は、ふうと溜息を吐いた。
「そうか……となると、死人が蘇ったってことになるな」
呟くように言った。普通の人間ならば、笑い話にもならない。しかし、呪道の表情は真剣そのものである。
「お清、念のためだが……本当に本庄──」
「何度言えばわかるんだい! あいつの顔の絵を描いたあたしが間違うはずないだろ!」
怒鳴るお清。
話題に上がっている本庄武四郎は、極限流なる武術の師範であった。同時に、立木藤兵衛なる悪徳商人の用心棒でもあった。依頼を受けた死事屋により、立木ともども殺されたのた(善意無想の章)。
もちろん、呪道は彼らの死を確認している。生きているはずはない。しかし、お清の言ったことも無視は出来なかった。彼女の目は確かだ。ほんの一目見ただけで、標的の顔の特徴を捉え絵にしてしまう。その能力には、全幅の信頼を置いている。それに、つまらない嘘を言う性格でもない。
こうなると、結論はひとつ。
「死者が甦った、ってことだよな」
もう一度、確認するかのように呟いた。確か、切支丹の教えに、死者を甦えらせる人物がいたはずだ。では、その人物が江戸に降り立ったのか。いや、それはありえない。
その時、思い出した。古来よりの呪法にも、死者を蘇らせるものがあった。いや、正確には蘇らせるわけではない。
蘇った死人は、一応は動くことは出来る。だが考えることは出来ないし、己の意思もない。ただただ、術者の命ずるままに動くのみである。
この呪法で蘇った者は、生前よりも強い腕力を発揮できる。痛みを感じることもない。仮に、武術家である本庄を蘇らせたのだとしたら……その戦闘力は、痩せ浪人など簡単に殺してしまえるだろう。
となると……。
「ひょっとしたら、そいつは傀儡の法かもしれねえな」
またも呟く呪道に、お清は妙な顔をする。
「くぐつのほう? なんだいそりゃあ」
「死人を蘇らせ、操る呪法さ。それこそ、俺らの生まれるずっと前から存在していたって話だよ。もっとも、切支丹より前に邪教として弾圧され、廃れちまったらしいがね。俺も直接は見たことはないが、実際にやった奴はいたそうだ」
すると、お清の表情が歪む。
「なんだか、けったいな話だね。そんな術を使える奴に、心当たりはあるのかい?」
「実のところ、ないこともない。もし、そんな術を使える奴がいるとすると、あいつしかいねえ」
呪道の脳裏には、ある男の名が浮かんでいた。会ったことはないし、そもそも実在するのかもわかっていない。ただ、噂は聞いたことがある。傀儡の法を研究していたという。
しかし、その前にやらなくてはならないことがある。
「確かめてみなきゃならねえな。本庄の墓を掘り返してみねえとな。それも、出来るだけ早いうちに」
そう、こちらも早く動く必要がある。
口入れ屋の征吉が死んだとなると、龍牙会が黙っていない。あの男は、会の顔役であり古株である。となると、龍牙会は血眼になって下手人を探すだろう。
ふと、嫌な予感がした。
「おいおい、まさか、俺んところに来ないよな」
そっと呟いた。
・・・
その数時間後。
鉄の営む店『坊主蕎麦』では、異様な雰囲気が漂っていた。店主である鉄は、来訪者に険しい視線を向けていた。
その視線の先には、きつい表情の中年女と奇妙な男のふたり連れがいる。どちらも、いかつい風貌の鉄をものともせず、冷ややかな表情を向けていた。
今は午の刻(午前十一時から午後一時の間)である。町内が活発に動く時間帯だ。外からは、時おり楽しそうな声も聞こえてくる。しかし、店の中は殺伐としていた。今にも殺し合いが始まりそうな空気に満ちている。
「わざわざ、元締のあんたが来るとはね。蕎麦を食いに来た、ってわけじゃなさそうだな」
そう、鉄の目の前にいるのは龍牙会の元締・お勢である。隣には、用心棒の死門が控えている。このふたりが、わざわざ足を運ぶというのは尋常ではない。
「急ですまないが、次回の集会には呪道を呼んでくれ」
お勢の口調は冷たく、感情は微塵もこもっていない。一方、鉄の方は眉間に皺を寄せる。
「なぜだ? 破門になった人間を今さら呼び出すってのはおかしいぜ」
「知らないのか。昨日、口入れ屋の征吉が殺された。またしても、同じ手口だ。拳による打撃で殺されていた。こうなると、呪道の口から直接聞かねばならぬ」
聞かねばならぬ、などと言ってはいるが、その実は皆の前で奉行所のごとくお白州をしようというのだろう。
「てことは、みんなの前で呪道を吊るし上げようってか?」
「奴が手を降していないなら、問題はあるまい。無実を証明すればいいだけだ」
お勢の態度はにべもない。だが、何かおかしい。鉄は眉をひそめた。
「証明すればって簡単にいうけどな、どうやってやるんだよ。はっきり言って、今の龍牙会には呪道を嫌っている奴も少なくない。どういうことになるか、あんただって想像がつくだろうが」
「どうなるにせよ、奴の口から話を聞かないことには話にならん」
知ったことではない、とでも言わんばかりの態度だ。
ようやく鉄は気づいた。龍牙会は、昔とは違う。もはや、元締の一声が昔ほどの効力を持っていないのだ。藤堂は金で動く男であり、根っからの商売人だ。かつての呪道のように、いざとなれば力で押さえる……ということの出来ない人間だ。となると、悪党連中からは甘く見られる。なんのかんの言っても、裏の世界では力も重要なのだ。
しかも、今の龍牙会には新しい勢力が台頭してきている。呪道が大幹部だった頃を知らない若い世代だ。その者たちにしてみれば、下手人の有力候補である呪道をなぜ放っておくのだ? という疑問の声があがるのも当然だろう。
昔なら、そんな連中の声など押さえつけられた。ところが今は、それが出来ない──
「なるほど、そういうわけか。元締、あんた呪道を人身御供として差し出すつもりか」
言った瞬間、死門の表情が変わる。抜く手も見せず瞬時に剣を抜いた。だが、その手をお勢が押さえる。
「人身御供になるかならないか、それは奴の器量次第。では、邪魔したな」
そう言うと、お勢は向きを変える。しかし、鉄は声をかけた。
「待ちなよ。せっかくだから、蕎麦食ってくれよ。ここんとこ、客も少なくてな。不要不急の外出は控えるのが、昨今の江戸の流行りらしいぜ。てなわけで、蕎麦くらい食って来なよ」
すると、お勢は再び向き直る。
「いいだろう。考えてみれば、鉄さんの蕎麦は食べたことがなかったからな」
そういうと、すっと椅子に座る。死門も、不満そうな雰囲気を漂わせながらも椅子に座る。