秘術無想 三
「これはひどいな」
西村右京は、思わず呟いていた。
彼の目の前には、数人の死体が転がっている。そのほとんどが、刀を抜いた状態だ。おそらく、全員が侍もしくは侍くずれであろう。
朝も早くから、いきなり駆り出されて来てみれば、この有様である。その上、ここは普段なら人気のない場所なのだが、どこから聞き付けたか野次馬が集まっていた。遠巻きにして、ああでもない、こうでもないと話し合っている。彼らにしてみれば、この事件も話の種のひとつに過ぎないのだろう。
右京は野次馬から目を逸らし、死体の検分を再開する。妙なのは、死体に残る傷だった。刃物で切られたような痕も、鉄砲で撃たれたような痕もない。おそらくは打撲傷だろう。だが、棒で殴られたものとも微妙に異なる。
「これは……拳によるものか?」
思わず首を傾げる。数人の刀を抜いた侍くずれを、素手の打撃のみで殺す。こんなことの出来る奴は、右京の知る限りではひとりしかいない。
死事屋の泰造だ──
「まさか、な」
呟いた時、後方から声が聞こえてきた。
「西村殿、さっさとどいてもらおうか。後は、拙者が預かる」
声の主は須藤左分之助・南町奉行所の見回り同心である。人相の悪い目明かしを引き連れ、肩をいからせた態度で歩いて来た。
この男、最近になって南町奉行所に異動になった男である。北町で何かやらかして降格になったとの噂もあった。六尺豊かな肉体を誇る偉丈夫で、見回り同心の座に長くいるつもりはないらしく、あちこちにしゃしゃり出て隙あらば手柄を横取りしようとする。そのため、同じ同心職の者たちからは好かれていない。
右京もまた、この男は苦手である。もっとも彼の場合、他の者たちとは異なる理由があった。
そんな右京の心中をよそに、左分之助はずかずか近づいて来る。ちらりと野次馬の方を見ると、目明かしに手で合図を送る。
すると目明かしは、十手をちらつかせながら野次馬に近づいていく。何やら言っているようだ。
一方、左分之助は右京に近づいていく。
「んんん? 貴殿、この事件に興味を持っておられるのかな」
言った直後、馴れ馴れしい態度で顔を近づけてくる。右京は、かぶりを振った。
「いえいえ、私ごときには手に余るようです。須藤さんにお任せしますよ」
言いながら離れようとした時、大男は太い腕を腰に回してきた。
「西村殿、拙者は貴殿となら協力しても構わん。まずは、ふたりであちこち聞き込みに回ろう。そして夜は、酒を酌み交わしながら語り合おうではないか。もちろん、手柄はふたりだけのものだ。どうかな?」
耳元に顔を近づけ、囁く左分之助。その手は、尻へと伸びて来ている……右京は顔を引き攣らせながら、ぱっと体を離した。
「この一件は、須藤さんにお任せします。では、失礼」
ペこりと頭を下げ、慌ただしく去っていく。その後ろ姿を、左分之助は悩ましげな目で見送る。
「この程度では諦めぬぞ。いつか必ず、己の裡に潜む肉欲に気づかせてやるからな」
左分之助の魔の手から、どうにか逃れた右京。しかし、休んでいる暇などなかった。すぐさま萬屋へと向かう。この店には、死事屋の正太がいるはずだ。すぐに奴と話をしなくてはならない。
右京は、妙な胸騒ぎを覚えていた。先ほど見た死体の有様は、明らかに異常だ。こんなことが出来るのは、泰造以外には考えられない。
仮に泰造の仕業だとするなら、ひとつの疑問が生じる。あの浪人たちは、何かの目的を持ってあの場にいたはずだ。ああいった食い詰め者を集める……おそらくは、表に出せない何かを守るためだろう。人か、もしくは貴重な物か。
そんな場所に、泰造が奇襲をかけて浪人たちを皆殺しにしてしまった。これが呪道の命令であるなら、こちらとしても言わねばならぬことがある。
・・・
その日の夕方、町外れの剣術道場に大勢の人が集まっていた。
この道場が龍牙会の集会所であることは、もはや公然の秘密である。集まっている男たちは、全員が龍牙会の幹部だ。
仕掛屋の鉄も、その中にいた。大きな体であぐらをかいて座り、出席した幹部たちひとりひとりの顔をじっくりと確かめていた。
気のせいか、見た覚えのない者が少なからず混じっている。幹部の顔は、ほとんど覚えていたはずなのだ。俺もついにぼけて来たか? などと考えていると、大幹部の藤堂が口を開く。
「堅苦しい挨拶は抜きにします。今日、お集まりいただいたのは……先日、桔梗屋さんの使いの者たちが襲われた件について皆さんに報告すると同時に、意見を聞かせていただくためです」
その話なら、鉄も知っている。はっきり言うなら、ここにいる者たちで桔梗屋の一件を知らぬ者などいないだろう。
「皆さんご存知とは思いますが、桔梗屋さんと龍牙会とは長らく懇意にさせていただいております。その桔梗屋さんを襲うということは、我々龍牙会に刃を向けたのと同じこと。ならば、その下手人は是非とも我らの手で捕らえねばなりませぬ」
そこで、藤堂は居並ぶ者たちの顔を見回す。やることが、いちいち芝居がかっていた。こういった部分も、鉄が藤堂を嫌う理由のひとつである。
「逃げ延びた者の話によれば、襲撃者は素手の武術の使い手だったとか。素手で、十人近い用心棒たちを殺したそうです。皆さん、そのような者に心当たりはありますか?」
「素手で殺すといえば、仕掛屋の鉄さんだよな」
軽口を叩いたのは、山伏のような扮装をした猫麻呂だ。表稼業はいんちき祈祷師だが、裏では殺し屋を生業としている。鉄とも顔見知りである。この言葉も、彼なりの冗談であるのはわかっている。
「馬鹿野郎、俺がそんなことするか。だいたいな、こいつは抜き身の刀を持った侍くずれ十人をぶっ倒してんだぞ。そんなこと俺に出来るわけねえだろ」
苦笑しつつ言い返した鉄だったが、直後に思いもかけぬ言葉が飛んで来る。
「確かに、鉄さんじゃあ無理かもしれない。だが、死事屋なら話は別だろ」
「どういう意味だ?」
低い声で言いながら、声の主を睨みつける。小柄な男だ。人夫のような作業用の着物に股引姿であり、頭には髷がない。短く刈られたざんぎり頭である。目は細く、腕は異様に長い。猿を連想させる外見である。年齢は二十代から三十代だろう。どこかで見た覚えはあるが、名前は思い出せない。
「死事屋にはひとり、恐ろしく腕の立つ奴がいる。そいつが今回の件の下手人だとしたら、辻妻は合うよな」
なおも言葉を続ける小男。軽い口調だ。周囲の者たちは無言のまま、成り行きを見守っている。藤堂ですら、止める気はないらしい。
「馬鹿いうな。あいつは、こんなことしでかすほどの阿呆じゃねえよ」
吐き捨てるような口調の鉄だったが、直後の言葉は聞き逃せないものだった。
「なあ鉄さんよう、何でそんなに奴らをかばうんです? 死事屋に何か借りでもあるですか? それとも、この件に一枚噛んでるんですかい?」
直後、鉄は立ち上がる。その時になって、ようやく相手の名を思い出した。
「お前、確か又吉とか言ったな。どういう意味だ? 返答次第じゃ許さねえぞ」
「いかにも、疾風の又吉です。最近、龍牙会幹部の末席に加えていただきました。今後とも、よろしく」
又吉も立ち上がったかと思うと、中腰の姿勢を取る。渡世人が仁義を切る時の体勢だ。しかし、鉄はずかずか近づいていく。手が触れ合わんばかりの間合いで、ゆっくりと口を開いた。
「俺はな、どういう意味かと聞いたんだ。お前の名前なんざ知らねえし、興味もねえよ」
「嫌われちまったようですね。お気に障ったなら謝ります。けどね、この件で死事屋を疑うのは無理筋とは思わないですがね」
直後、又吉は周りにいる者たちを見回す。
「そうでしょ、皆さん。こんなこと出来る奴が、他にいますか?」
その時、鉄の手が伸びる。又吉の襟首を掴んだ。
「お前、よく動く顎してるな。うるせえから、外して黙らせてやる」
言った時だった。鉄の腹に、ちくりとした痛みが走る。見れば、いつの間に抜いたのか、又吉の手に短刀があったのだ。その切っ先が、鉄の腹に当てられている──
しかし、鉄は引かなかった。
「上等だ。その短刀が俺の腹かっさばく前に、お前の首をへし折ってやるよ」
言い放つ鉄。すると、迫力のある声が響く。
「待て。争っている場合でないのがわからんのか」
元締であるお勢の声だ。続いて死門が、両者の間に割って入る。すると、元締の声に影響されたのか。周囲の者たちも止めに入る。
こうなると、鉄といえど引き下がらざるを得ない。ちっと舌打ちし、その場に座り込む。
その時、お勢が再び口を開いた。
「桔梗屋は、表には出せない金を運んでいた。それが奪われたのだ。龍牙会と近しい桔梗屋の金を奪う、これは我らの金を奪うのと同じことだ。この下手人は、奉行所に渡すな。龍牙会が見つけだす。そして、必ず殺す」