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因縁無想(七)

 草木も眠る丑の刻(午前一時から三時)、ひとりの男が林の中を歩いていく。死事屋の泰造だ。いつもの通り、頭には頭巾を被り顔を隠している。

 やがて、彼は開けた場所に到着し立ち止まる。五間(約九メートル)ほど先に、一軒の小屋があった。大工が余った材料を使い、とりあえずの住居として建ててみたという雰囲気だ。情報によれば、ここに浦部梨乃介が潜んでいる。しがも、明後日には江戸を離れる……と、周囲の者に語っていたらしい。殺るなら、今夜であろう。

 にもかかわらず、泰造に動く気配はない。立ったまま、辺りを見回す。

 その動きが合図であったかのように、ひとりの男が木の陰から現れた。


「あんた、噂の死事屋さんかい?」


 言いながら、ゆっくりと近づいてくる。だが、泰造は無言のままだ。すっと両拳を挙げ、構えた。

 すると、男はにやりと笑う。


「やっぱりそうか。おい、お前ら出てこい。死事屋の阿呆が、ひとり網にかかったぞ」


 その言葉と同時に、向こうの大木の陰からひとり、さらに小屋の中から四人。ふたりが提灯を掲げており、ひとりは短筒を構えている。

 その短筒を構えた男こそ、浦部梨乃介だ──


「おいおい、お前ひとりで来たのか? 他の連中はどこだ?」


 浦部が聞いてきた。だが、泰造は答えない。無言のまま、ゆっくりと相手を見回している。全然で六人。ふたりは提灯を掲げているが、三人は手に得物を持っている。しかも、浦部は短筒を構えているのだ。腕に覚えがあろうと、この状況では勝ち目はあるまい。

 しかし、泰造は気づいていた。何者かが、息を潜め近づいて来ている。奴らの仲間とは思えない。這うようにして動き、こちらに接近して来ている。

 

「なんとか言えや!? お前はおしか? それともつんぼか?」


 ひとりの男が喚いた時だった。突然、草むらから立ち上がった者がいる。西村右京だ。両手に短筒を構え、立つと同時にぶっ放す──

 轟く銃声。立て続けにふたりが倒れ、全員の視線が右京に集中した。浦部の銃口も泰造を逸れ、新たに出現した敵へと向けられる。

 その隙を逃す泰造ではなかった。地を滑るようにして動き、一瞬で間合いを詰めていく。

 直後、左の拳が放たれた。拳は、正確に浦部のあごを打ち抜く。次いで、全体重を乗せた右の拳が飛ぶ──

 人間技とは思えぬ強烈な一撃で、浦部の顔の骨は砕けた。さらに、駄目押しの左回し打ちが頬に叩き込まれる。

 浦部は、ばたりと倒れた。拳の凄まじい打撃が脳挫傷をもたらし、彼は即死する。

 間髪を入れず、泰造は手近な相手に襲いかかる。ほぼ同時に、右京も刀を抜いた。待ち伏せしていたはずの男たちは、予想外の事態を前に何も出来ない。次々と倒れていく──

 

 泰造と右京が全員を仕留めたのは、ほんの一瞬の出来事であった。


「やはり、待ち伏せていたな」


 右京の言葉に、泰造はにこりともせず言葉を返す。


「俺、お前のこと信用していない。仲間だとも思っていない。もし、もう一度俺に短筒を向けたら、その時は必ず殺す。忘れるな」


 吐き捨てるように言い放ち、さっさと帰っていく。残された右京は苦笑した。どうやら、以前の一件を未だ根に持っているようだ。

 とはいえ、それも当然の話だった。一度、銃口を向け殺し合い寸前にまでなった者同士だ。

 まあ、仕方あるまい。しょせん裏稼業に生きる者同士、仲良くすることなど出来ないのだ。右京は、静かにその場を離れた。


 ・・・


 呪道は、森の中を歩いていく。少し遅れて、お鞠も付いて行く。

 二人の間に、会話はない。そもそも、お鞠は喋ることが出来ないのだから当然なのだが……それでも普段は、呪道が一方的に喋り、お鞠がうんうんと相槌を打つという形で語り合ってはいた。しかし、今は無言で歩いている。

 やがて、二人は指定された場所に来た。だだっ広い荒れ地であり、「(すす)け野原」なる異名が付いている場所だ。かつては、この場所に大勢の渡世人が集結し、(いくさ)のような派手な斬り合いをしたこともあったらしい。

 その荒れ地のちょうど中心あたりに、相作が座り込んでいた。呪道とお鞠が到着すると同時に、すっと立ち上がる。


「お前、何しに戻って来た? 黒木屋の家族が何をしたっていうんだよ。龍牙会を潰してえなら、狙う奴は他にいくらでもいるだろ。堅気に手を出すなよ」


 軽い口調で言った呪道に、相作はにこりともせず口を開く。


「綺麗事をぬかすな。お前とて、いずれ地獄逝きであるのは同じだろうが」


 その言葉に、呪道は溜息を吐いた。

 

「すっかり変わっちまったな。あの時、お前を処刑していれば、こんなことにならずにすんだ。俺は間違っていたんだよな」


 直後、表情が一変する。


「今のお前は、腐れ外道だ。俺が引導を渡してやる」


「面白い。やってみろ!」


 吠えると同時に、相作が襲いかかる──

 相作の木刀をもへし折る回し蹴りが、呪道の顔面を襲う。どうにか躱した呪道だったが、さらなる攻撃が放たれる。左の正拳が、真っすぐ突き出された──

 とっさに地面を蹴り、後ろに大きく飛びのいた呪道。と同時に、地面に杖を突き刺す。

 次の瞬間、杖を両手で掴んだ。支柱にし、高く飛び上がる。軽業師のような動きだ。

 相作の顔面に、強烈な蹴りを見舞う──

 しかし、相作は頑丈な男だ。体重も三十貫(約百十二キロ)ある。倒すまでには至らない。僅かによろけたものの、すぐに体勢を立て直し反撃する。着地した呪道めがけ、今度は横蹴りを放った。

 ごふっという呻き声とともに、吹っ飛ばされる呪道。馬に蹴られたような衝撃だ。かろうじて受け身を取り頭を打つことは防いだが、腹部の激痛に顔をしかめる。

 その時、お鞠が短刀を抜いた。今にも飛びかかって行きそうな勢いだ。しかし、呪道が怒鳴る。


「お前は手ぇ出すな!」


 直後、彼は立ち上がった。杖を拾い上げ、口元を歪める。


「目ぇ潰されたら、かえって動きよくなったんじゃねえのか」


「ふざけるな。江戸で安穏と暮らしていたお前と違い、俺は地獄を見てきたのだ。俺は強くなり、お前は衰えた。それだけだ」


「案外、そうでもないってとこを見せてやるよ」


 呪道の返しが合図になったかのように、相作が動く。放たれたのは、槍のように真っすぐ打ち込まれる左足の前蹴りだ。呪道は、横に動いて避ける。同時に、杖を振った。

 杖は、相作のすねを打つ。俗に弁慶の泣きどころと呼ばれる部位を、強烈な一撃が襲ったのだ。常人ならば、痛みのあまり悶絶していただろう。

 しかし、相作は平然としている。これまで相当の時間、大木などを蹴りまくり鍛え抜いてきたのだろう。打った呪道の手に、はがねを叩いたような感触が伝わってきた。思わず顔をしかめる。

 直後、相作の正拳が飛んでくる。とっさに地面を転がり躱したものの、その鋭さと速さは凄まじいものだ。しかも、正確にこちらの位置を察知する。盲目の人間には、ありえない動きだ。

 間合いを離し、見合う両者。相作は、じりじりと間合いを狭める。背負われているお軽は、片時もこちらから目を離さない。時おり、彼女の口が動くのが見える。

 恐らく、お軽が目で見た情報を簡単な言葉で相作に伝える。相作は常人離れした聴覚を限界まで活用し、お軽から聞いた情報と組み合わせる。結果、敵の位置や前にある風景が、頭の中で絵として浮かび上がる──

 馬鹿げた話だとは思う。だが、それしか考えられない。ならば、この手でいく。

 次の瞬間、呪道は杖を頭上に放り投げた。と同時に、地面を転がり間合いを詰める。

 相作は瞬時に反応した。野良犬を蹴飛ばすような勢いで、つま先が飛んでくる。呪道は這うような動きで避けると、懐に呑んでいた短刀を抜く。

 だが、相作の次の攻撃が放たれていた。足が高く伸び上がった。振り上げたかかとが、呪道めがけ落とされる。

 その時だった。上空から何かが振ってくる。ほんの一瞬前、呪道が放り投げた杖だ。まるで引き寄せられたかのように、相作めがけ落下する──

 相作は、とっさに落ちてくる杖を躱そうと動く。だが、その反応のよさが仇となった。踵落としを放つための体勢に入っていた体は、平衡感覚を失いよろける。

 これは、あってはならない過ちであった。呪道は一瞬で間合いを詰め、太股に短刀を突き刺す。

 刃を中で動かし、傷を深める。直後、一気に引き抜く──

 その瞬間、血が大量に流れた。太股の大動脈を切り裂いたのだ。いきなりの大量出血は、体に多大な負担をかける。それだけで死んでしまうこともあるのだ。人体の構造をよく知っている呪道ならではのやり方だ。

 相作はといえば、何が起きたか把握できていなかった。足の痛みは感じているだろう。だが、大量に流れ出た血は見えていない。

 一瞬の後、ようやく己の身に何が起きたか察した。流れる血の音、足の傷の深さ、体の異変、そして耳元で聞こえるお軽の言葉。

 次の瞬間、どうと倒れた。


「くそが……呪道、ふざけた真似を……」


 低い声で呻きながら、それでも立ち上がろうとする。

 しかし、そんな暇を与えるほど呪道は甘くなかった。


「あの時、さっさとこうすべきだったんだな。先に、地獄へ逝ってろ」


 言うと同時に、杖を振り上げる。

 打ち下ろされた杖の先端は、相作の首の骨を砕く。一瞬の後、相作は息耐えた。

 その途端、凄まじい声が響き渡る。相作に背負われていたお軽のものだ。獣の咆哮のごとき叫び声をあげ、巨大な体を揺する。

 だが、男は応えない。お軽は半狂乱になりながら、相作の体を揺すり続ける。

 その様を、呪道はじっと見下ろしている。この女も、殺さなくてはならないのだ。にもかかわらず、彼は動くことが出来なかった。

 やがて、お軽は顔を上げた。涙に濡れた目で、呪道を睨む。

 ゆっくりと、その手が上がった。肘から先の無い腕に、短筒が括りつけられている。銃口は、真っすぐ呪道に向けられていた。

 しかし、呪道は平然としている。哀れむような目で、じっと彼女を見つめていた。


「撃ってみろ。一発で仕留められたら、お前の勝ちだ。外したら、お前を殺す」


 冷たい口調で言い放つ。その瞬間、お軽の表情が変わった。鬼のような形相で、呪道を睨みつける。彼女の口が、短筒の引き金に繋がっている紐を咥えた。

 その時だった。お軽の延髄に、細身の短刀が刺さる。音も立てずに忍び寄っていたお鞠のものだ。彼女は躊躇なくお軽に襲いかかり、短刀を突き刺す──

 お軽は、短筒を撃つ間もなく息絶えた。








 



 




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