因縁無想(六)
西村右京は、そっと進んでいく。
既に日は沈み、空は暗くなっている。普通の町だと、住人は明るいうちに活発に行動し、暗くなったら家で眠る。ところが剣呑横町は真逆だ。ここの住人は、昼間に眠り暗くなると行動する。今は、彼らが活発に行動する時間帯なのだ。
したがって、歩く時も周囲に気を配らなくてはならない。右京は、慎重に進んでいった。
やかて、目的の場所に到着する。呪道の寝ぐらである慈愛庵だ。辺りを見回すと、音も立てずに入っていった。
地下室に入ると、死事屋の面々は既に集合していた。
いや、ひとり足りない。情報屋の正太の姿がなかった。もっとも、あの男なしでも話は進められる。問題はないだろう。右京は、床に座りこんだ。
すると、彼の到着を待っていたかのように、呪道が口を開く。
「やっと来たか。正太の阿呆がまだ来ていないが、奴には、後で俺が説明しとく。じゃあ、始めるとするか」
そう言うと、全員の顔を見回す。少しの間を置き、再び語り出した。
「今回の標的は、浦部梨乃介、相作、お軽の三人だ。こいつらは、龍牙会と敵対している連中だったが……まあ、俺たちとは何の関係もない。したがって、殺す必要もなかった。本来なら、な」
呪道は言葉を止めた。その表情が歪む。
「だが、先日やってはならないことをやった。堅気の商店・黒木屋を襲い、一家を皆殺しにしやがったんだよ。奴らは、完全に外道に堕ちた。その外道の始末を依頼されたってわけだ」
そこで、呪道は懐に手を入れた。三枚ずつの束を五つ作り、床の上に置いていく。
「金は三十両。つまり、今の所はひとりあたり五両の計算になる。で、こいつが前金の三両だ。どうするんだ? やるのか、やらねえのか」
「私はやるよ。そろそろ、牢屋見回りに飛ばされそうなんでね。少しでも稼いでおきたい」
真っ先に答えたのは右京だ。言うと同時に手を伸ばし、三両を懐に入れる。
それが引き金になったかのように、皆も動く。泰造が、お清が、お鞠が次々と手を伸ばしていく。その場にいた全員が、引き受ける形となった。
皆の様子を見て、呪道は頷いた。だが次の瞬間、口から意外な言葉が出る。
「今回の仕事だが、相作とお軽は俺が殺る。浦部は、泰造と右京の二人で殺ってくれ。お鞠、お前は万一に備え隠れて見ていろ。俺が殺られたら、そのことを皆に伝えるんだ」
その言葉に、皆の表情が一変する。
「ちょっと待て。あんたひとりで、ふたりを殺るのか?」
真っ先に尋ねたのは右京であった。
「そうだ。奴とは、いろいろあってな。だから俺が殺る。文句があるのか?」
言った後、じろりと睨みつける呪道。普段とは、身にまとう空気が完全に違っていた。ただならぬ覚悟を秘めている。右京は、これは止められないと判断した。
「何か事情があるようだな。なら、これ以上は何も聞かないよ。浦部梨乃介を、私と泰造さんで仕留めるとしよう。楽な仕事をさせてもらって悪いがね」
彼の言葉に、泰造は頷く。その時だった。上から、どたどたという音が響く。どうやら、正太が来たらしい。
足音は、真っすぐこちらへと向かって来る。やがて姿を現した者は……皆の予想通り、正太であった。手には、書状のようなものを握りしめている。
「ちょっと兄貴、これ見てよ」
言いながら、他の者たちの視線を無視し呪道へと近づいていく。
手にした書状を、彼に突き出してきた。呪道は訝しげな表情とともに、それを受けとる。
「何だこれは?」
「いや、何かうちの店の入口んところに置いてあってさ。何かと思ったら……まあ、見てよ」
正太に言われ、呪道は中を見てみた。その途端、彼の表情が変わる。眉間に皺を寄せ、睨むような顔つきになった……が、それは一瞬だった。次の瞬間、苦笑しつつ首を横に振る。呆れた奴だ、とでも言わんばかりの様子だ。
「俺に宛てた果たし状だよ。お相手は、なんと相作からだ。御丁寧にも、時間と場所まで書いてある。阿呆な侍じゃねえんだからよ」
吐き捨てるように言った。その言葉を聞いた右京は、思わず顔を歪める。
「それは罠じゃないのかい。あんたが行くなら、私も行くよ。お鞠さんは、泰造さんと一緒に行けば──」
「いや、駄目だ。俺がお鞠と行く。お前と泰造は、浦部を殺ることだけを考えろ。奴は馬鹿じゃねえ。用心深い男だ。注意してかかれ」
「あ、その浦部のことなんだけど……」
口を挟んだのは正太だ。全員の視線が、彼に集まる。
「奴が、どうかしたのか?」
尋ねる呪道に、正太は首を捻りながら答える。
「いや、さっき聞いた話なんだけどさ……あいつ、柿木坂んとこの小屋に、ずっとこもってるらしいよ。なんか、龍牙会が怖くて隠れてるって話だ」
その言葉に、一同は顔を見合わせる。
「それは妙だね。龍牙会が怖いなら、普通はさっさと逃げ出すはずだよ」
滅多に口を出さないお清が、珍しく意見を述べた。横にいるお鞠も、うんうん頷く。すると、呪道がにやりと笑った。
「それこそ罠だよ。俺はな、浦部って奴をよく知ってる。あいつは、俺たちを誘ってやがるんだよ。相作を俺にぶつけ、お前たちはおびき寄せて皆殺し……ありふれた手口だな」
「ちょっと待ってくれ。呪道さん、その逆の可能性はないのか?」
右京が、不安そうに尋ねる。
「逆? どういう意味だ?」
「つまり、あんたをおびき寄せて殺そうとしているという可能性は? 行ってみたら、相作の他に人相の悪い男がずらり……ということも考えられる」
「そん時は、さっさとずらかるだけさ。俺の逃げ足の速さは、江戸でも三本の指に入る。大丈夫だ」
そう言った後、呪道はお鞠に目線を移す。
「お鞠、すまねえが頼んだぞ。全てを見届けてくれ。俺が殺られたら、お前は逃げるんだぞ」
・・・
同じ頃。
江戸の町外れ、人気の無い林の中に建てられた一軒の小屋に、数人の男たちが集まっていた。年齢も背格好もばらばらだが、共通点がひとつある。全員が、裏の世界の匂いを漂わせていることだ。
そんな男たちの中心にいるのが、浦部梨乃介であった。
「皆さん、よく来てくれました」
浦部は、皆を見回して言った。すると、ひとりの中年男が口を開く。
「呪道の奴は、俺に殺らせろ。奴のせいで、俺たちは──」
「いや、呪道の始末は相作に任せています。秀治さんは襲撃に備えてください。既に情報は流しました。後は、奴らを罠に嵌めるだけです」
「それだけか、つまらんな。呪道の奴を、この手で殺してやりたかった。まあいい、雑魚で我慢してやる」
秀治は舌打ちをした。
ここにいる者たちは皆、呪道に恨みを持っている。特に、この秀治はかつて夜魔一族なる組織の一員であった。一時は龍牙会に取って代わり、裏社会の覇権を握りかけたが、呪道らの活躍により壊滅させられてしまった。
それゆえ、今も呪道を深く恨んでいる。
「おい、奴らを甘く見るな。死事屋には、人の腹をかっさばいて腸を掴み出す化け物がいるのだぞ。油断していたら、こちらが殺られる」
隣にいた浪人風の男が言うと、秀治はふんと鼻を鳴らした。
「何を言っている。腸を引きずり出すなど、所詮は素人の所業だ。我々のような玄人とは年季が違う。待ち伏せして仕留めればいいだけの話だ」
「その通りです。皆さん、お願いしますよ。首尾よく奴らを潰せたなら、次はいよいよ龍牙会です」
言いながら、浦部は皆の顔を見回した。