因縁無想(四)
相作とお軽が去った後、呪道はばたりと倒れ寝転んだ。仰向けになり、虚ろな目で天井をじっと見ている。まさか、あんな話を聞かされるとは思わなかった。
龍牙会の一員である蝮の三吉を殺したため、会を破門され、両目を潰され、江戸を追われた相作。その原因は、ひとりの女だった。
当時、相作には恋仲の女がいた。名前をお島といい、相作と同じく地味で無口で不器用な性格であった。「似たもの夫婦」などと、呪道は軽口を叩いていた。
しかし、お島は裏で三吉とも関係を持っていたのだ。それも、一度や二度の過ちではない。少なくとも一年以上の間、彼女は三吉と密通を繰り返していた。実は器用な人間なのかもしれない。
裏社会の、それも相作のような直情的な男の目を盗んでの逢い引きである。呪道の目から見て、正気の沙汰とは思えなかった。彼女の真意は何だったのか、本当に愛していたのはどちらなのか、今となっては知ることは出来ない。お島と三吉との密会を知った相作が現場に乗り込み、二人を殺してしまったからだ。
その後、盲目となった大男がいばらの道を歩んできたのは間違いない。命を落としたとしても、不思議ではなかっただろう。龍牙会で殺し屋をやっていれば、否応なしに人の恨みを買う。ましてや、相作は無愛想で不器用な男だ。人から誤解されることも多かった。会を破門され後ろ盾が消えたとなると、これ幸いとばかりに命を狙われたはずだ。
だが、相作は地獄を生き延びて江戸に現れた。それだけでなく、龍牙会を潰すと豪語している。
このままだと、遅かれ早かれ龍牙会が動く。その時は、どちらに味方すればいいのか……。
今の呪道には、答えが出せなかった。出来れば、どちらの味方もせずにいたい。一切かかわらず、成り行きに任せておきたかった。
だが、それは無理だろう。
「兄貴、いる?」
物思いにふけりながら寝そべる呪道の前に、いきなりの声。続いて現れたのは、とぼけた表情の正太だ。挨拶の言葉もなく、どかどかと上がり込む。呪道はというと、彼の方を見ようともしない。じっと天井を見上げている。こちらを見ようともしていない。
その様子を見て、正太は子供のように飛び跳ねた。
「ちょっと兄貴、ひどいんでないの。せっかく来たんだからさ、おもてなしくらいしてもいいじゃん」
「馬鹿野郎。どっかの国じゃ、おもてなしなんて言って喜んでた連中が、数年後には大揉めしてんだぞ。不吉な言葉を遣うな」
大真面目な顔で意味不明なことを言った呪道に、正太も困惑したらしい。首を捻りつつも話を続ける。
「はあ? 何わけわかんないこと言ってんの? そんなことよりさ、ちょっと気になることを聞いちゃったんだよね」
言った後、正太の表情が変わる。不安そうな顔つきで、声を潜めて語り出した。
「あのさ、西村右京の屋敷にお鞠が入って行くのを見たって奴がいたんだよね。お鞠、大丈夫かな。いかがわしいこととか、されてなきゃいいんだけど」
「知らねえよ。俺は余程のことがない限り、仕事以外の生活をとやかく言う気はねえ。仮に、あの二人が男と女の関係になったからって、口出す気も邪魔する気もねえ」
「んなこと言ってていいの? あの右京はさ、面はいいけど頭はおかしいよ。人の腸を玩具にするような奴だぜ。とんでもない変態かもしれないよ」
「だから、知らねえっつってるだろ。人の好みに文句つける気もねえ。右京に人の腸を見て興奮する趣味があったとしても、俺は何とも思わない。仕事さえしてくれりゃあ、知ったことじゃねえ」
面倒くさそうな呪道を見て、正太はついに怒り出した。立ち上がり、その場でどすんと足を踏み鳴らす。
「何よそれ! そんなふざけたこと言ってていいの!? 今頃、お鞠の奴は右京に裸に剥かれてるかもしれないんだよ! 春画みたいに縄で縛られて吊されたり、鞭で叩かれてたらどうすんの!」
「世の中は広い。鞭で叩かれて喜ぶ奴もいる。だいたい、気になるなら右京に直接聞け。二人の御関係は? みたいな感じで直撃してみろよ」
その途端、正太は顔をしかめた。以前、手ひどく脅されたことを思い出したらしい。
「えええ……俺、やだよ。あいつ、本当に怖いもん。変なこと言ったら、いきなり刺されそうだよ」
「そこまで馬鹿な奴を、俺が仲間に引き入れるわけないだろうが」
苦笑しつつ答える呪道だったが、表情は先ほどより明るくなっている。正太の軽薄さに触れたおかげで、心の緊張が少しほぐれたのだ。もちろん正太は、自身がそのような役割を果たしたことなど気づいていない。
仕方ねえなあ。
なるようになれだ。
・・・
そこは、塀に囲まれた大きな屋敷だった。門構えからして立派で、庭は大きく手入れされている。
だが、屋敷の中は真逆の状態であった。室内は荒らされ、家具は目茶苦茶に壊されている。さらに、老若男女の死体が無造作に転がっていた。皆、首をへし折られたり背骨を折られたり……といった異様な死に方だ。幼い子供までもが、無惨な死に様を晒している。
壁には、大量の血がこびりついている。だが、それだけではない。血だけでなく、文字の書かれた紙も張り付けられている。紙には、「龍牙会 鏖」と、大きく書かれていた。
そんな中、微かに動いている者がいた。相作だ。多くの死体が転がる中で、あぐらをかいて座り込んでいる。彼の背中には、お軽がいた。いつもと同じく、袋の中にすっぽり入っている。二人は無言のまま、死体の中に座り込んでいた。
動く者は、もうひとりいる。惨劇の現場を、とぼけた表情で徘徊していたのだ。相作のもうひとりの相棒・浦部梨乃介である。以前と同じ、食い詰めた痩せ浪人といった風情だ。この男は、家に隠してある金を残らず頂戴しようという腹積もりで、あちこち家捜ししていた。
やがて気がすんだらしく、満足げに頷いた。
「一通り見てきたが、全員くたばったみたいだな。さすがは相作だ」
その声に、相作は顔を上げ口を開く。
「これからどうするのだ?」
「まずは様子見だ。龍牙会の出方を見るよ。こうなったら、連中はどう動くかな」
梨乃介はにやりと笑い、死体の並ぶ室内を見回す。だが、何かを思い出したらしい。すぐに相作の方に向き直る。
「ところで、大幹部だった呪道だがな、奴はどっちに付くと思う?」
「恐らく、こちらには付かぬだろう。一応は話してみたが、聞く耳もたぬ。あの男は、会を過大評価し過ぎている。その上、かつて龍牙会に対し抱いていた幻想を、未だ捨てきれんのだ。奴が大幹部の地位にいた頃なら、その考えも間違いではなかっただろう。だが、時代は変わった。今の龍牙会は、張り子の虎……いや、張り子の龍だ」
吐き捨てるような口調でいった相作に対し、梨乃介の方は冷静だ。そろばんでも弾いているかの、ような表情で、額に手を当てる。
「となると厄介だな。死事屋は、とんでもなく腕の立つ奴と、相手の腹をかっさばいて腸を引きずり出す奇人変人がいるって話だぜ。堺の方でも、噂を聞いたことがある。その死事屋が敵に回るとなると、こっちもそれなりの準備が必要だな」
「問題ない。いざとなったら、俺が行く。呪道も死事屋の連中も怖くない」
「そうかい。お前さんのその自信は、どっから来るのかねえ。大したもんだよ」
「違う。俺は自信があるわけではない。これは、信仰の為せる業だ。一度、地獄の淵を覗けば、誰でもわかるだろうよ」
「信仰?」
訝しげな様子で聞いてきた梨乃介に、相作は頷く。
「あの方は、俺などには理解できぬ力と知恵の持ち主だ。お前ら目開きには見えぬものが、俺には見える」