因縁無想(三)
剣呑横町には、様々な人種がいる。派手な服装で町中を徘徊するような傾奇者も、ここではありふれた阿呆者でしかない。この街で目立つには、よほどのことをしなくてはならない。
そんな剣呑横町だが、今日だけは勝手が違っていた。ひときわ目立つ男が、掘っ立て小屋の建ち並ぶ通りを歩いていく。ほとんどの者たちは、かかわらないように目線を避けていた。
もっとも、子供たちは好奇の視線を向けている。やがて、ひときわ度胸のある子供が、そっと後を付いて行こうとした。
その途端、銃声が響く──
男の手に、銃はない。にもかかわらす、確かに銃声音は聞こえた。煙らしきものも上がっている。
子供には、何が起きたかわかっていない。だが、相手が危険人物であることは充分に理解した。慌てて、その場を退散する。
男の方は、振り向きもせず進んでいった。しばらく歩き、目当ての場所に到着する。
「相作だ。いるのだろう、邪魔するぞ」
呪道のねぐらである『慈愛庵』は、奇妙な二人組が訪れていた。六尺を遥かに超える巨体の大男と、異様に小柄な女。大男は両目を傷でふさがれており、女を赤子のように背負っている。異相が当たり前な剣呑横町でも、この二人の異様さは際立っている。
そんな者たちと呪道は、板の間で向き合っていた。大男は足を崩した状態で座っており、女の方は鋭い目つきで周囲を窺っている。時おり、小声で大男に何やら囁いていた。
「そのお嬢さんは、どこのどなただい? まさか、お前の子供だなんて言わねえよな?」
口火を切ったのは呪道だった。大男に、冷めきった視線を向けている。
「この女はお軽、俺の目の代わりを務めてもらってる。病により手足を失った」
重々しい声が返ってくる。呪道は、ちらりとお軽を見た。だが、彼女は呪道のことなど完全に無視している。会話に加わる気もないらしい。
呪道は、再び相作に視線を戻した。
「まさか、お前が舞い戻ってくるとはな。で、何しに来たんだ?」
「お前、龍牙会を追放されたそうだな。何をやった?」
こちらの問いには答えず、逆に質問して来る。会話の下手な点は相変わらずだ。呪道は小さなため息を吐いた。
「元締の命令を無視しただけさ。お前みたいな馬鹿やらかしたわけじゃねえ」
直後、相作の顔が歪んだ。
この大男、かつては龍牙会に所属していた。それも、呪道とほぼ同じ時期に龍牙会に入っている。琉球唐手に改良を加えた独自の武術の使い手で、会でも恐れられた男だった。
ふたりは、真逆といっていい性格だ。口八丁手八丁で陽気な呪道と、無口で無骨な相作。鳥の巣のような長いぼさぼさ頭に派手な袈裟をまとい、腕輪や耳飾りや首飾りなどをいくつも身に付けている呪道。一方、相作は短く刈り込まれたざんぎり頭に地味な服装だ。派手な遊びもしない真面目な性格である。裏社会には、似つかわしくない男であった。
にもかかわらず、ふたりは妙に気が合った。
「もう一度聞くぞ。お前は、何しに戻って来たんだ? 龍牙会は黙っちゃいねえ。このままだと殺られるぞ」
呪道の問いに、大男は口元を歪める。
「上等だ。返り討ちにしてやる」
答えになっていない。呪道は、思わず嘆息した。この男は、いつもこうだ。余計なことは口にしない。だが時には、必要なことも口にしない。
あの時も、事前に一言でも相談してくれれば、こんな事態にはならなかったのに。
(相作を捕らえろ。生死は問わない)
この命令がお勢より下ったのは、五年前のことだった。相作は龍牙会の一員である蝮の三吉を殺し、身を隠したのだ。
呪道は様々な情報網を用いて、彼が剣呑横町に潜んでいることを知る。仕掛屋の鉄と共に乗り込み、抵抗する相作を二人がかりでどうにか取り押さえる。両手両足を縛り上げ、お勢の前に突き出した。
幹部らによる話し合いの結果、相作は両目を潰された挙げ句、江戸から追放される。本来なら、相作は殺されているはずだった。しかし、大幹部であった呪道が、他の者たちの意見を無視し半ば強引に処分を決定したのだ。
その相作が、今になって呪道の前にいる。潰れてしまった目で彼を見据えていた。
直後、その口から突拍子もない言葉が出る。
「ひとつ言っておく。俺たちは、龍牙会を潰すつもりだ。邪魔だけはするな」
「はあ? お前、何を考えてんだ? んなこと出来るわけねえだろ」
あまりの言葉に、さすがの呪道も唖然となっていた。相作の方は、表情ひとつ変えていない。
「出来る。今の俺は、昔の俺ではない。それに後ろ盾もある。もはや、龍牙会の時代ではない」
自信たっぷりな口調である。この男、体は大きいが大口は叩かない。自分を大きく見せる自慢話を毛嫌いしている。そんな相作が、ここまで言う以上……まんざら出鱈目とも思えない。
すると、大男の口からさらなる突拍子もない言葉が飛び出た。
「呪道、俺と手を組まんか?」
「はあ? ちょっと待て。何を言ってるんだ」
「噂は聞いている。お前も、龍牙会を追われた身だ。ならば、今さら義理立てする必要もあるまい。俺たちと手を組もう。今日は、そのために来たのだ」
そう言うと、歪んだ笑みを浮かべる。この大男は不器用で愛想が悪い。へらへらと愛想よく笑い相手に取り入る呪道に対し、相作は笑顔も歪んでいた。もうちょっと愛想よくできねえのか、と何度言ったかわからない。
今、相作の顔には、昔のままの不器用な笑顔がある。だが、その笑みは一瞬で消えた。
「今の龍牙会は腐り果てている。元締のお勢は、権力の座にあぐらをかいた傀儡の長だ。実権を握っているのは、藤堂とかいう銭勘定しか能のない男。かろうじて死門の存在のみで、龍牙会の威厳を保っているそうではないか」
「それは言いすぎだぜ」
一応はそう返したが、相作の言うことも完全な間違いとは言えない。確かに、龍牙会は変わってしまった。弱者には一層厳しく、強者に対しては砂糖よりも甘くなっている。無論、裏社会である以上、弱肉強食は当然のことだ。しかし、物事はほどほどが肝心……という言葉もある。
仕掛屋の鉄は、お前が抜けてから龍牙会は変わった……と嘆いていた。呪道は、自身が大組織を率いる頭目の器だとは思っていない。自分の役割は、上と下との調整だ。さらに、表と裏との平衡を保つ役も担っている。龍牙会にいる間は、調整役に徹していたつもりだった。上と下、表と裏との平衡を保ち、両者の不満を最小限に押さえてきた……つもりだった。
今の龍牙会は、利に傾きすぎている。組織である以上、それも仕方ない部分はある。だが、一方に傾きすぎた天秤は、いつか倒れる。
そんなことを思う呪道に、相作は語り続ける。
「今の俺なら、死門にも勝てる。元締のお勢と用心棒の死門さえ殺せば、後の連中は烏合の衆。あっという間に分裂する。そうなれば、江戸を仕切るのは俺たちになる。呪道、俺たちと手を組め」
「悪いが断る」
即答した呪道に、相作はぎりりと奥歯を噛み締める。
少しの間を置き、口を開いた。
「なぜだ? 今さら、奴らに何の義理がある?」
「お前の言う通り、龍牙会は変わったよ。でもな、龍牙会があるからこそ、かろうじて守られてる部分もある。あの会は、いわば天秤秤の均衡を取る存在なんだよ」
「何を言っているのだ?」
「頭の鈍さは変わってねえな。いいか、龍牙会がなくなったら、江戸の有象無象の阿呆どもが好き勝手なことをし始めるだろうが。流れなくてもいい血が流れることになる。だから、いま龍牙会を潰させるわけにはいかねえんだよ」
「そういうことか。だがな、龍牙会の代わりになる者たちは既にいる」
自信たっぷりな口調だ。それを見た呪道の眉間に皺が寄る。
「はあ? どこの誰だよ。今の江戸に、お勢の後釜が務まるような器量のある奴はいねえよ」
「確かに、今の江戸にはいない。だがな、いずれ江戸に降臨する。お勢など、比較にならん力の持ち主だ」
熱く語る相作に、呪道は異様なものを感じた。何かが変だ。そもそも、力とは何だろうか。この男はおかしい。呪道自身も拝み屋であるが、相作からは極悪坊主の信者のような雰囲気を感じる。
ちらりと、背負われているお軽を見る。だが、彼女は相変わらずだった。無言のまま目を動かし、周囲の様子を窺っている。ふたりの話に、口出しする気は全くないらしい。
「ちょっと信用できねえなあ。俺が、この目で見ねえ限りは、うんとは言えねえ」
とぼけた声で答える呪道に、相作もくすりと笑った。
「なるほど。だがな、よく考えてみろ。今の龍牙会の元締など、そこらの破落戸にでも務まるのではないか。信用できないのは仕方ないがな、そもそも龍牙会の現状を考えろ。あれは、白蟻に大黒柱を食い荒らされた家と同じだ。放っておいても勝手に潰れる。潰れてから、次の家を探す気なのか?」
その言葉には、即座に反論できなかった。呪道は思わず苦笑し、ぼさぼさ頭を掻く。
少しの間を置き、静かに答えた。
「少し考えさせてくれ」
「いいだろう。だがな、あまり待ってもいられぬからな」