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因縁無想(一)

 日が高く昇る昼時、森の中で二人の男が睨みあっていた。

 片方は、死事屋の泰造だ。普段は黒い頭巾で顔を隠しているが、今は素顔を晒している。両拳を顔の高さに挙げ、小刻みに動いている。

 もう片方は、小柄な男だ。こちらは緑の着物に、同じく緑の股引き姿である。ぱっと見には、森に生えている葉や草と見分けがつきづらい服装だ。額には三日月の入れ墨が彫られており、目の周りは火傷やけどのような傷痕に覆われている。その傷のせいで、まぶたは完全にふさがっていた。

 仕掛屋の一員、隼人である。両者は、四間(約七・二メートル)ほどの距離を空けた状態で見合っていた。

 

 

 

 静寂は、突然破れた。隼人が、何かを投げつたのだ。団子ほどの大きさの球体が、泰造の顔めがけ放たれる。

 すっ、と上体が動いた。投げられた球体を、泰造はその場から一歩も動かず、上体の動きだけで躱す。

 だが、隼人の攻撃は終わりではない。続けざまに球体が投げられる。泰造も、さすがに上体のみの動きでは躱しきれない。足を使い、すっすっと避けていく。

 すると、隼人も動いた。盲目とは思えない正確さと俊敏さで、泰造に接近していく。瞬きするより速く間合いを詰め、鋭い前蹴りを放つ──

 泰造は、巨体に似合わぬ動きで躱した。と同時に、滑るような動きで隼人の側面に回り込む。

 左拳が、弾丸のごとき速さで放たれた。しかし、隼人は地面にはいつくばって避ける。

 直後、ひゅっと息を吐いた。すると、辺りに漂う空気が変化していく。その変化により、泰造の今の位置と動きが、隼人の脳内に映像として再生される。研ぎ澄まされた聴覚と皮膚感覚、さらに長年の戦闘経験が、己の吐いた息ひとつから様々な情報を教えてくれる。この超感覚を会得したことにより、隼人は今も裏の世界の殺し屋として仕事を続けていられるのだ。

 隼人は、続けて放たれた泰造の右拳を避けた。と同時に、その逞しい右腕に飛びつく。両足を上腕に巻き付け、前腕を己の両手でがっちり掴む。

 全身の力を解放させ、肘関節を極める……はずだった。だが、泰造の反応の方が早い。隼人の絡み付いた右腕を、頭上高く振り上げた。そのまま、一気に落とす──

 そのままなら、地面に叩き付けられ頭を割られていただろう。だが隼人は、寸前でぱっと飛び降りた。地面に着地すると、両手をあげる。待て、の合図だ。


「悪いな。沙羅の足音と息遣いが聞こえてきた。もうじき来るだろう。今日はここまでにしてくれ」


 その声を聞き、泰造も戦闘の体勢を解く。そう、これは二人で行う戦いの練習なのだ。どちらも致命傷を負わせないよう、ぎりぎりのところで加減している。隼人が投げたものは、紙と綿で覆われた石だ。当たっても、大した痛みはない。


「わかった」


 泰造は、素直に頷く。すると、隼人はかぶりを振った。


「それにしても、あんたは本当に強いな。泰造さんより強い奴は、江戸どころか日本中捜してもいないかもな」


「そんなことない。隼人さんは強い。本気で殺し合ったら、俺負けるかもしれない」


 その言葉は、お世辞ではない。泰造や隼人ほどの戦技を極めた者同士の真剣勝負は、どちらが勝ってもおかしくないのだ。運に左右される部分もある。少なくとも、十対零で泰造が勝つ……などという単純な比較は出来ない。


「いやあ、泰造さんにそう言ってもらえると光栄だね」


 言いながら、隼人は頭を掻いた。すると、泰造の表情が変わる。


「ところで、隼人さんは短筒に勝てるか?」


「えっ、どういう意味だい?」


「この前、短筒で撃たれそうになった。今はおとなしいけど、そいつとまた殺し合うかもしれない。だから、どうすればいいか知りたい」


 片言の言葉を用いて真剣な表情で聞いてくる泰造に、隼人は困惑していた。この異国人から、仕事(・ ・)に関する相談を持ちかけられるのは初めてだ。

 今までは、そんな必要もなかったのだろう。泰造と真正面からの白兵戦をやって勝てる者など、日本中を捜しても見つけられる自信はない。仮にいたとしても、二人か三人くらいか。もちろん、その中に自分は入っていない。

 そんな泰造であっても、短筒となれば話は別なのだろう。隼人は、どうしたものかと思った。自分が、短筒を相手にするなら……。

 その時、不愉快な羽音が聞こえてきた。雀蜂だ。こちらに近づいて来ている。

 同時に、隼人の手が動く。抜く手も見せず放たれた手裏剣が、雀蜂を貫き木に突き刺さった。盲目とは思えない見事な腕前である。雀蜂のような軽い生き物を、手裏剣で貫ける腕を持つ使い手はほとんどいない。


「凄いな」


 泰造が、ぽつりと言った。隼人は苦笑しつつ口を開く。


「答えになるかは知らんが、俺は短筒が相手でも負ける気はしない。相手が撃つ前に、この手裏剣を当てられる自信はある。だが、飛び道具のないあんたには難しいな。鎖帷子(くさりかたびら)でも着て、撃たれるのを覚悟の上で接近して殴るしかないだろう。その場合、ほぼ相打ちになるだろうが」


「鎖帷子?」


「ああ。分厚い鎧を着込んでも、銃弾を完璧に防ぐことは出来ない。それに、鎧は重い。早い動きの邪魔になるし、あんたの良さを殺すことにもなる。ならば、鎖帷子を着て一気に接近し、相打ち覚悟で殴った方がいいと思う。あんたも撃たれることになるが、生き残る可能性は上がる。ほんの僅か、ではあるがね」


「なるほど、わかった──」


「ふたりとも、何を話してるの」


 話に割り込んで来たのは、背の高い女だった。みすぼらしい着物を身にまとい、頭には紫色の頭巾を被っている。頭巾は顔全体を覆っており、確認できるのは目だけである。

 

「大した話じゃないよ。お互いの技術について語り合っていただけさ。じゃ、そろそろ行こうか」


 言いながら、隼人は立ち上がった。杖を突きながら、沙羅に近づいていく。彼女は、そっと手を差し出した。

 隼人は、出された手を握る。その時、泰造がぼそっと声をかける。


「今日はありがとう」


「いやいや。こちらこそ、いい鍛練になったよ」


 ・・・


 萬屋よろずやの正太は、街中を歩いていた。

 時刻は昼である。行き交う人も多い。飛脚や行商人や見回り同心といった者たちが、忙しく動いている。

 そんな中、正太はあくびをしながらぶらついていた。何せ、今日は暇である。依頼された仕事もない。とりあえずは、久しぶりに女郎でも買いに行くか……などと、よこしまな考えを巡らせつつ町を徘徊していた。

 すると、声をかけてきた者がいる。


「おい正太、暇そうだな。ちょうどいい。来いよ」


 言うと同時に、後ろから首根っこを掴まれた。ものすごい力だ。慌てて振り向くと。そこには坊主頭の大男が立っている。黒い着物を身にまとい、顔には不気味な笑みを浮かべていた。誰であるかは考えるまでもない。竜牙会の客分格であり仕掛屋の代表的存在、蕎麦屋の鉄だ。


「へっ? ど、どうしたの?」


 怯える正太を、鉄は強引に引きずっていく。この男、腕力は恐ろしく強い。正太では、抵抗すら出来ない。


「いいから来い。大事な話があるんだよ」


 



 鉄は、正太を蕎麦屋へと連れ込み座らせた。自身の店『坊主蕎麦』である。ちょうど昼飯時だというのに、客はひとりもいない。この店、味は悪くないのだが、店主である鉄が異様な風貌だ。しかも彼には、気難しい部分もある。客に対しても、文句があるなら出てけという態度だ。そのため、いまひとつ客の入りが悪い。


「ちょっと待ってろ。勝手に帰ったら骨外すぞ」


 言ったかと思うと、鉄は奥に引っ込んだ。正太は仕方なく、じっと待っているしかなかった。

 小半刻(約十五分)ほどした時、鉄が出てきた。


「ほら、まずは蕎麦を食え」


 いきなり掛け蕎麦を出され、正太はきょとんとなった。


「ええと……何で?」


「いいから食え。食わねえと、両手両足の関節外すぞ」


 どすの利いた声に、正太は慌てて食べ始めた。その様子を、鉄はじっと見ている。

 食べ終えると、鉄はおもむろに聞いてきた。


「どうだ? 美味いか?」 


「あ、うん、美味いよ。いつもより、ちょっと味が濃い気がするけど」


「そうか。だったら、お代おいてけ」


「はあ!? 冗談じゃないよ! これじゃ暴力蕎麦屋じゃん!」


 抗議する正太に、鉄はにたりと笑った。ただでさえ厳つい顔が、不気味な笑みにより怖さが倍増している……身の危険を感じた正太は、ぴたりと口を閉じるた。

 すると、鉄が顔を近づけてきた。


「馬鹿野郎。今からとっておきの情報を聞かせてやるんだから、蕎麦代くらいでがたがた言うな」


 言った直後、鉄は正太の耳元に顔を近づけ囁く。


「呪道に伝えろ。相作(あいさく)の野郎が、江戸に舞い戻って来るって噂を聞いたとな」






 

 

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