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出会無想(二)

「先日、辰蔵一家の権八とその手下が撲殺された。あれは、あんたの手下がやったんだね……死事屋さん」




 その瞬間、呪道の片眉がぴくりと動いた。凶暴な光の宿る目で、右京を睨みつける。


「はて、何のことでしょうね。俺は、そんな奴らなんざ知りませんよ」


 言葉遣いは丁寧だが、その奥には敵意がある。さらに、お鞠も動いた。懐から、抜き身の短刀を取り出す。長さは五寸(約十五センチ)ほど。刃は細く、先端は鋭く尖っている。切るよりも、突き刺すことに特化した武器だ。

 お鞠は短刀を逆手に構えつつ、すっと右京の後ろに回る。だが、右京の表情は変わらない。


「とぼけなくていい。ここにいるのは、あんたと私と……後ろにいるお嬢さんだけだ。それに、奉行所の連中にもあんたのことは言っていない」


「その言葉、信じろというのかい?」


 呪道の口調が変わった。先ほどまでと違い、少し和らいでいる。


「勘違いされちゃ困るな。私は、あんたを捕らえに来たわけじゃない。もし捕縛するつもりだったら、ひとりでは来ないよ。ついでにいっとくと、奉行所であんたに目を付けている者は、今のところいない。だから、あんたはしばらく安全だろうさ」


 一方、右京の口調は穏やかなものだった。だが、彼の言葉を聞いても、呪道の態度は変わらない。お鞠もまた、警戒心を解いてはいなかった。合図をすれば、すぐにでも襲いかかるだろう。

 さっさと殺しておくのが得策なのかもしれない。だが、役人を殺すと面倒なことになる。それに、この男からは……奇妙なものを感じる。


「じゃあ、何の用だ?」


 気がつくと、問いが口から出ていた。この右京なる男、何かが違う。上手く言えないが、他の同心とは違う匂いがした。かつて、こんな男を知っていた……ような気がする。

 右京は無言のまま、足元の石を拾い上げた。

 川面めがけ、石を投げつける。石は、どぼんと音を立て沈んでいった。


「石は、川に落とせば沈む。これはね、この世の道理のはずだ」


 言った直後、右京は振り返る。その顔には、厳しい表情が浮かんでいた。


「だがね、現実はどうだい? 石が流れて、木の葉が沈む……私はね、石の分際で何事もなかったように、川面を流れていくのが許せないんだよ」


御託宣ごたくはいいんだよ。何が目的か、はっきり言え。でないと、お前死ぬよ?」


 呪道の言葉に、右京は頷いた。。


「そうか。ならば、単刀直入に言おう。あんたらに、殺して欲しい奴らがいる」


 その言葉は、静かなものだった。表情も真剣である。冗談を言っているようには見えない。そもそも、この男は冗談が言えるような人種ではなさそうだ。

 呪道は、右京の顔を見つめた。お鞠はというと、抜き身の短刀を構えたまま右京を睨みつけている。何か妙な動きをすれば、すぐさま飛びかかるつもりなのだ。

 ややあって、呪道はため息を吐いた。


「お前、本気か?」


「本気さ。金も用意している」


 言いながら、右京は懐に手を入れた。と、彼の動きにお鞠が反応した。武器を出すとでも誤解したのか、短刀を振り上げ飛びつこうとする。

 が、呪道の声が飛んだ──


「お鞠、いいから動くな」


 言われた瞬間、お鞠の動きがびくんと止まる。右京は振り向き、笑みを浮かべた。


「いい反応だ。さすがだね。あなたは、お鞠さんというのかい?」


 にこやかな表情で尋ねたが、お鞠は無言のままだ。じっと右京を睨んでいる。

 右京は苦笑し、呪道の方に視線を戻す。


「返事もしてもらえないとはな。かなり嫌われてしまったようだ──」


「違うよ。こいつは、口がきけねえんだ」


 答えたのは呪道だった。彼は、お鞠の方を向く。


「首を見せてやれ」


 お鞠は頷いた。直後、首に巻かれている布をほどく。顎を上げ、己の首を見せる。

 喉元に走っている、長い傷痕があらわになった。恐らく、幼い頃に付けられた傷だろう。

 それを見た瞬間、右京が口元を歪める。

 

「お鞠はな、もともと商人の娘だった。ところが五歳の時、家に押し込み強盗が入ったんだよ。両親は殺され、お鞠も喉を切られた。なんとか生き延びたが、声は出せなくなっちまったってわけさ」


 何の感情も込めず、呪道は淡々と語った。すると、右京は険しい表情になる。お鞠に向かい、頭を下げた。


「すまなかった」


 謝る姿からは、演技をしている雰囲気は微塵も感じられない。本気で、すまないと思っているのだろう。それを見て、呪道の顔つきも変化した。先ほどまでの堅い表情が、少し和らいでいる。


「では右京さん、とりあえず話を聞かせてくれ。ただし、引き受けるとは限らないぜ」


 右京は眉間に皺を寄せ、ためらうようなそぶりを見せる。が、それは一瞬だった。声を搾り出すような表情で語り出した。


「私の妻は、一年前にとある男たちに乱暴された。見つかった時、顔は痣だらけで、片腕はへし折られていた。さらに、数人の男から犯された痕があった。それ以来、妻は心を病んでしまった。今も、私との会話すら出来ん有様だ……」


 そこまで語った時、右京の体がぶるぶる震え出した。無論、恐怖ゆえのものではない。表情も歪んでおり、今にも泣き出しそうだった。堪え切れぬ感情を、無理やり押し殺そうとしている……そんな風に見える。呪道は無言のまま、じっと彼を見つめていた。

 ややあって、右京は懐から手を出した。


「ここに五両ある。妻を襲った奴らを、皆殺しにしてほしい」


 憑かれたような表情で言いながら、右京は近づいて来た。だが、呪道は手のひらを挙げ、前に突き出す。待ての合図だ。


「おいおい、ちょっと待ってくれよ。とりあえず考えさせてくれ。相手は侍か何かだろうが、そんな連中相手に五両じゃ安すぎる」


 その途端、右京の顔に驚きの表情が浮かんだ。


「な、なぜだ? なぜ、相手が侍だとわかった?」


「あのな、同心のあんたがわざわざ裏の人間に殺しを依頼するってことはだ、相手は雑魚じゃねえ。侍か、それ以上の立場だ。このくらい馬鹿でもわかる」


「なるほど、さすがだな」


 感心したように、右京は頷いた。

 

「とりあえず、その侍のことをもう少し詳しく教えてくれ。あんたが知っていることを全部、な。引き受けるか受けないかは、それから決める」


 呪道に言われ、右京はためらいながらも語り出した。




 旗本の三男・的場慎之介まとば しんのすけの悪名は、近隣でもよく知られていた。短気で喧嘩早く、おまけに剣の腕も立つ。通う道場でも、的場に勝てる者は少ないという噂だ。

 そんな彼が頭目となり、『青鞘組あおざやぐみ』が結成される。彼と同じく、家を継ぐ資格のない武家の息子たち四人を集めて徒党を組み、かぶき者を気取り、あちこちで乱暴狼藉を働いていたのだ。

 奉行所も、彼らの所業には手を焼いていた。何度か青鞘組の人間を捕らえたことはあったが、すぐに放免される。ほとんどが、町人相手の喧嘩や器物を破壊するといった微罪だ。的場らが親の名前を出せば、役人たちはあっさりと手を引いた。

 そうなれば、彼らはますます増長する。悪行も、初めは喧嘩や店先の物をくすねる程度だったが、さらに過激なものになっていく。

 そして一年前、彼らは南町奉行所の見回り同心・西村右京の妻である千代ちよを集団で襲った。彼女は必死で抵抗したが、男たちの力には勝てなかった。

 千代は、筆舌に尽くしがたい凌辱を受け続け……通りかかった町人に発見された時には、その精神は崩壊していた。


 下手人は、あっさりと判明する。言うまでもなく青鞘組だ。が、慎之介の家が手を回して、彼と仲間全員を釈放させてしまう。




「私はね、どうしても納得いかなかった。上役に何度も直訴したよ……奴らの捕縛を、な。だが、ことごとく却下された。しまいには、的場慎之介に果たし状を出した。武士として決闘するためにな。だが、またしても私の上役が動いた。果たし状そのものを、無かったことにされたんだよ。結果、私は冷や飯食いに甘んじることとなったのさ……上の指示に盾突く厄介者としてね。出世の望みもなく、かといって腐りきった奉行所を辞めることも出来ない。おめおめと、同心の職にしがみつき無様に生き続けることしか出来ないのさ」


 語り終えた右京は、くすりと笑った。無論、おかしくて笑っているのではない。己の置かれた境遇を改めて思い返した時、もはや笑うしかないのであろう。

 呪道は、目の前にいる同心に微かな哀れみを感じた。この男、根はくそが付くほど真面目なのだ。正義感も強い。恐らく、同心になった当初は理想に燃える青年だったはずだ。

 にもかかわらず、自分の妻を傷つけた罪人を前にしながら、何も出来ない。この無念は、察するに余りある。

 言うまでもなく、人を殺してくれなどという話を裏の人間に持ちかければ……こちらが殺される可能性もある。そのこともまた、右京は承知している。殺される覚悟を胸に秘め、この場に立っているのだ。

 ひとえに、的場慎之介率いる青鞘組への復讐のためだけに。


「とりあえず、三日待ってくれ。その間に調べて、やるかやらないか決める。三日経ったら、この河原に来てくれ」



 


 

 

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― 新着の感想 ―
[一言]  ――石が流れて、木の葉が沈む。  悔しいけど、これが現実なんですよね。  石を沈めるのは出来るとして、沈んだ木の葉の方も浮かばせて欲しいですね。  
[良い点] 旗本の三男・的場慎之介! なんと! 許せない奴もいたものです! 青侍め!
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