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同心無想(六)

 江戸の夜道を、勘蔵は提灯片手に歩いていた。

 今日の儲けは上々であった。あちこちから仕入れた噂話の中に、武家の奥方の不義密通という上物のねたがあったのだ。

 さっそく出向いて行き、奥方から小遣い銭をせしめてやった。ついでに、その熟れた体も味見させてもらった。なかなかの上玉だ。この分だと、しばらくは金をむしり取れる。その上、あっちの方も困らずに済む。ありがたい話だ。

 このところ、面白いくらいに物事が上手く進む。ようやく、運が向いてきたようだ。勘蔵は上機嫌で、鼻歌交じりで歩いていた。

 だが、そんな気分を断ち切る者が現れる──



 不意に、勘蔵は足を止めた。前方に、妙な気配を感じる。


「おい、誰かいるのか?」


 声をかけた。すると、その声に反応したかのように、のっそりと物陰から出てきた者がいる。


「お、お前誰だ……」


 勘蔵は、そうとしか言えなかった。

 目の前にいるのは、異様としか表現のしようのない者だった。頭から黒い頭巾を被り、口周りを黒い布で覆っている。袖を切り落とした黒い着物を身にまとっており、体は異様な大きさだ。肩幅は広くがっちりしており、胸板は鎧でも着込んでいるかのような分厚さだ。剥きだしになっている腕は、丸太のように太く逞しい。肩から腕のあたりには、こぶのような筋肉に覆われているのが見てとれる。何より異様なのは、剥きだしの腕が真っ黒いことだ。

 そう、彼は死事屋の泰造である。勘蔵を始末するため出向いたのだ。無論、彼はそんなことを口にしたりしない。だが、勘蔵には彼が何をしに来たのか、ちゃんとわかっていた。


 友好的とは思えぬ……それどころか敵対心を剥きだしにした怪人を前にして、勘蔵は明らかに怯んでいた。

 これまで勘蔵は、幾多の修羅場を潜り抜けてきた。短刀を振り回すやくざ者、何とか流剣術免許皆伝の侍、酒や阿片で正気を失った狂人などなど……そんな危険な連中と戦い、全てに勝ってきた。どんな奴が相手でも、一対一なら負ける気はしなかった。

 ところが、目の前にいる大男は、今までの相手とはまるで違う。立ち方、目配り、体から発している闘気……どれをとっても、人間とは思えないものだ。

 勘蔵は、ぎりりと奥歯を噛み締める。対峙しただけで、相手の並外れた強さが感じられる。ひょっとしたら、自分は勝てないかもしれない──


「くそが!」


 吠えると同時に、相手の顔めがけ鎖を放つ。どんな人間だろうと、分銅が顔面に当たれば倒れる……はずだった。

 その瞬間、泰造はすっと上体を動かした……ようにしか見えなかった。だが、狙い定めて放ったはずの分銅は外れている。

 勘蔵は、驚愕の表情を浮かべた。泰造は、その場を一歩も動いていない。上体の動きだけで、投げつけられた分銅を躱したのだ。

 有り得ない……勘蔵は顔を歪めた。しかし、すぐに気を取り直す。ならば、次に狙うは足だ。足に巻き付け、ひっくり返す。どんな大きな相手だろうと、倒せばこっちのものだ。

 考えると同時に、体は動いていた。足首めがけ、鎖を投げる──

 だが泰造は、すっと横に動いた。地面を滑るような動きだ。分銅は地面に当たり、土をえぐる。

 舌打ちする勘蔵。すぐさま鎖を手繰り寄せる。

 その瞬間、泰造も動いた。じぐざぐの動きで、前に進んで来る。その巨体からは、想像もつかない速さだ。

 あっという間に間合いを詰め、左拳を放つ。続いて、右拳──

 勘蔵は十手を振り回すが、時すでに遅し。泰造の拳が、勘蔵の顔面に立て続けに炸裂する。

 ばたりと倒れた勘蔵。泰造の打撃は、脳にまで届く衝撃を与えていた。もちろん、立ち上がれるはずなどなかった。


 ・・・


 同じ頃、今井雅之介も提灯を片手に夜道を歩いていた。こちらも、あちこちで悪さをし終えての帰り道である。

 ふと異変を感じ、立ち止まった。前方に目を凝らす。

 おかしな格好の男が、こちらにまっすぐ歩いて来ている。頭にはまげがなく、癖の強いちりちりの髪に覆われている。まるで鳥の巣を頭に乗せているかのようだ。

 その上、着ているものは黄色と黒の派手な柄の袈裟で、片方の手には錫杖が握られていた。そんな男が、今井をまっすぐ見据えて歩いて来る。

 まさか、この男が龍牙会の新たなる殺し屋なのだろうか。それにしては派手すぎるが……今井は、反射的に腰の刀に手を伸ばす。

 すると、男は立ち止まった。錫杖を、大きく振る。しゃん、という音が鳴った。


「北町奉行所の見回り同心、今井雅之介殿ですな?」


 錫杖を突きつけながら、男は聞いてきた。少しばかり無礼な態度に、今井は眉をひそめる。


「そう言うお前は何者だ?」


 怒気のこもった声で尋ねると、男は錫杖でどんと地面を突いた。またしても、耳障りな音が鳴る。


「私は、拝み屋の呪道である。今日は、あなたに伝えたいことがあってな」


 いかにも芝居がかった口調だ。今井は腹が立って来た。いんちき霊媒師が「災いが降りかかるぞ」などと、でたらめを言って金品をせしめる……よく有りがちな手口だ。自分は、そんなものに騙されるような、おめでたい男だと思われているのだろうか。

 ならば、誰を相手にしているのかわからせてやる。


「伝えたいこと? お前に教えてもらうことなど、何もない。俺を誰だと思っている?」


「そんなことを言っていいのか? あなたの顔に、死相が見えるぞ」


 呪道は、平然とした表情だ。錫杖をしゃんしゃん鳴らしながら、こちらへと近づいてくる。うるさくてたまらない。今井は眉をひそめ、刀の柄を握る。


「ふざけたことを……いい加減にせんと、お前が死ぬことになるぞ」 


 言った直後、背後から殺気を感じた。今井は、さっと振り返ろうとする。

 だが、遅かった。錫杖の音に紛れ、忍び寄っていたのはお鞠だ。彼女は短刀を抜き、今井の延髄に突き刺す。

 急所を貫かれ、今井は即死した。


「だから言ったじゃねえか、死相が出てるって。信じぬ者は救われず、哀れな話ですなあ」


 とぼけた口調で言いながら、呪道は念仏を唱える真似をする。そんな彼には目もくれず、お鞠は去って行った。






 

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