同心無想(五)
江戸の町を、異様な風体の男が歩いている。
まだ日は高く、通行人も多い。そんな中、巨大なぼさぼさ髪で杖を突き、黄色い袈裟でずんずん歩いていく呪道の姿は、否応なしに目立っていた。
やがて、呪道は立ち止まった。彼の目の前には、一軒の蕎麦屋がある。坊主蕎麦という変わった店名の蕎麦屋だ。ただし、今日は店を閉めているらしい。本日休業と書かれた木の札が、戸にかかっている。
だが呪道は、そんなことにはお構いなしだ。当たり前のように、店の戸を開けた。
さほど広くない店内には、先客がひとりいた。店を閉めているはずなのに、おかしな話である。しかも、その先客は金色の髪を持つ女だ。女性にしては背が高く、肌の色も白い。鼻は高く瞳は青く、常人とは違う顔形の持ち主だ。
そう、この女は南蛮人なのである。にもかかわらず、箸を器用に使い蕎麦を食べていた。恐らく、この店でなければお目にかかれない光景だろう。
この南蛮人は、呪道が入って来た途端に箸を置いた。立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「呪道さん、お久しぶりです」
「よう、沙羅ちゃん。元気かい」
呪道は、にっこり微笑んだ。実は、この沙羅も裏の世界の人間なのだ。しかも、凄腕の殺し屋であり呪道とは因縁浅からぬ仲である。
かつて、夜魔一族なる集団が江戸に入り込み、龍牙会を崩壊寸前にまで追い込んだことがあった。その時、夜魔一族の根城に乗り込み全滅させたのが、この沙羅と呪道である。南蛮に伝わる奇妙な剣術を使い、あっという間に十人以上を斬り殺してしまった彼女の腕前を、呪道は間近で見ていた。
恐らく、剣の技なら江戸でも五本の指に入るだろう。実戦経験のない名ばかりの剣術師範など、沙羅の敵ではない。
「鉄さんに御用ですか? でしたら、呼んで来ますよ」
沙羅はそう言ったが、呪道はかぶりを振る。
「いや、いいよ。気にせず蕎麦食べな」
そんな会話を交わした途端、奥からぬっと顔を出した者がいる。蕎麦屋の鉄だ。
「呪道、来たか。早速だが、ちょっと奥に来てくれ」
不機嫌そうな顔で言った後、沙羅の方を向く。
「食ったら、後のことは気にせず帰っていいぞ」
「どうも、ご馳走さまです」
沙羅は、丁寧に頭を下げる。動きや仕種は和人そのものだが、姿形は南蛮人だ。なんとも不思議である。
一方、呪道は店の奥へと入っていった。調理場を通りすぎると、地下に通じる階段がある。
階段を下りると、薄暗く狭い地下室がある。さほど広いものではなく、七人から八人ほど入れば満員だろう。家具らしきものはなく、机と、椅子がいくつか置かれているだけだ。
その椅子のひとつに、鉄がどっかと腰掛けている。呪道に向かい、おもむろに口を開く。
「早速だがな、お前らに仕事を頼みたい。引き受けられるか?」
「仕事にもよるね。ひょっとして、龍牙会の仕事かい?」
呪道の問いに、鉄は頷いた。
「ああ、そうだ」
「それは……正直、気は進まないな」
「そういうな。標的は、掛け値なしの悪党だ。こいつらに泣かされた連中は数知れねえ。俺もこいつらの噂は聞いたがな、ひどいもんだよ」
言いながら、鉄は顔をしかめる。
呪道はというと「気は進まない」などと口で言ってはいたが、実のところ引き受けるつもりである。鉄が間に入っているなら、問題はないだろう。
「まあ、鉄さんが言うなら信用するよ。で、相手はどこの誰?」
「北町奉行所の見回り同心・今井雅之介と、手下の目明かし勘蔵だ」
「同心と目明かしか。そいつは、ちと厄介ですな」
「しかも、ただの同心と目明かしじゃねえんだよ。勘蔵の方は、かなり腕が立つ。今井は今井で顔が広い。しかも、お前が仕損じたら、俺たち仕掛屋がただで殺すことになってる。ただ働きはごめんだからな。お前らにはきっちり仕留めてもらわねえと」
鉄の話を聞いた呪道は、思わず眉間に皺を寄せた。爆発したような癖っ毛をぽりぽりと掻く。
「なるほど、そんな事情があったのね。いやあ、失敗したな。あの馬鹿を外すんじゃなかった」
最後の部分は己に向けて言ったのだが、鉄は聞き逃さなかった。
「はあ? 何いってんだ?」
「いや、こっちの話。大丈夫だから。その二人は、死事屋が必ず仕留めてみせるよ」
・・・
「根本さん、あんたの北王会ってのは、よほど景気がいいようだな」
「もちろんです。我々は、手広い商売をしておりますからね。他の連中とは違いますよ。もっとも、今井さまのお力添えもありますがね」
言いながら、根本は小判の束を差し出す。今井は、にやりと笑って受け取った。
今井雅之介は、町外れの宿屋『大善屋』に来ていた。
ここは、根本忠雄の店である。もっとも、表向きには別の人間が経営していることになっていた。宿屋の看板を掲げてはいるが、その実は売春や阿片や武器密売などを裏で行う店である。
無論、今井も店の正体は知っている。
「ところで、龍牙会の方はどうなりました? 勘蔵さんが、龍牙会の殺し屋に命を狙われたと聞きましたが」
根本に聞かれた今井は、口元を歪めた。
「ああ、あの件か。俺と勘蔵が乗り込んで行ったら、知らぬ存ぜぬとぬかしおった。まあ、藤堂とかいう男が銭を渡してきたから、一旦は引いてやったよ。もっとも、また同じことが起きたら……その時は、ただでは済まさん。必ず後悔させてやる」
「その時は、我々も力をお貸ししますよ。もう、奴らの時代ではないですからね」
「おう、その時は頼むぞ。ところで、あんたらの頭目の天涯さんは、いつ江戸に来るのだ?」
その途端、根本の表情は険しくなった。だが、それは一瞬だった。すぐに、元のにこやかな表情に戻る。
「そうですね、あと半年はかかるかと。まあ、気長にお待ちください。あの方が江戸にいらしたら、龍牙会など簡単に潰して見せますから」
「ほう、それは頼もしい。俺も、会える日が楽しみだよ」
「ええ。天涯さまが到着した暁には、我ら北王会が江戸の裏社会を仕切らせていただきますよ。その時には、今井さまのこれまでのお力添えに見合ったものをご用意させていただきますので」
そう言うと、根本はにやりと笑った。