同心無想(四)
小柄な男が、剣呑横町を歩いている。
黒い着物を身に纏い、杖を突きながらゆっくりと歩く。髷はなく、短めのざんぎり頭だ。体つきは細いが、着物から覗く腕は筋肉質である。腕力はありそうだ。
だが、何より大きな特徴は……その目の周囲を、焼け爛れたような傷痕が広く覆っていることだ。盲人であるのは、一目見ればわかるだろう。
この剣呑横町は、弱者に優しい場所ではない。数人の子供が彼に気づくと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。子供同士で、ひそひそ話しながら付いて行く。
やがて、ひとりの子供が石を拾い上げた。にやにや笑いながら、盲人の背中めがけ投げつける。
その瞬間、盲人が動いた。ぱっと振り向き、飛んできた石を杖で叩き落とす。
想像もしていなかった動きを見せられ、子供たちは全員凍りついた。一方、盲人の方は無表情のまま、石を拾い上げた。
直後、投げつける──
石は弾丸のような速さで飛び、子供の腹に当たった。子供はうっと呻き、腹を押さえてしゃがみこむ。
一瞬の間を置き、さっき食べたものを吐き戻した──
「俺は、子供だからといって容赦はしない。やられたら、やり返す。他に、やられたい奴はいるか? それとも、全員殺さないとわからんのか?」
盲人は、冷酷な声を出した。途端に、子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
この男、名を隼人という。表稼業は按摩だが、裏の顔は殺し屋であり、蕎麦屋の鉄ひきいる仕掛屋の一員でもある。以前、裏の組織同士の抗争に巻き込まれ両目の視力を失ったが、血を吐くような努力の末に、視力に頼らぬ超感覚を身に付けた。殺しの腕は、全く衰えていない。むしろ超感覚を得たことにより、以前より腕は上がったかもしれなかった。
隼人は、杖を突きながら剣呑横町を歩いていく。
やがて、森の中の小屋へと辿りついた。そこらへんの木材を集めて作った……という感じの、不格好な造りである。だが、それよりも気になるのは、先程から断続的に聞こえる爆発のような音だ。どす、どす、という音が、周囲に響き渡っている。
隼人は、ひときわ大きな声を出した。
「泰造さん! 俺だ! 隼人だ!」
その声の直後、音は止んだ。やがて、隼人の前にのっそりと大男が現れる。黒い肌、つるつるに剃り上げた頭、鍛え上げられた肉体……そう、死事屋の泰造である。
「隼人さん、今日も頼む」
ぶっきらぼうな口調で言うと、泰造は隼人を小屋の中に招き入れた。
「泰造さん、あんた本当に化け物みたいな体してるな」
うつぶせに寝転ぶ泰造に揉み療治を施しながら、隼人がぼやいた。
隼人は視力を失って以来、按摩の技術を身につけている。その腕はなかなかのもので、無愛想な彼をわざわざ指名する者もいるくらいだ。
この泰造も、隼人の顧客のひとりである。
「俺も、あんたとだけは殺り合いたくはないな。今まで按摩した連中の中では、あんたが最強だよ」
分厚い筋肉を揉みしだきながら、隼人は思わず呟いていた。今は、泰造の伸ばした腕に揉み療治を施している。隼人ほどの腕になると、揉み療治を施しただけで大抵のことはわかる。力の強さ、動きの速さ、反応の鋭さなどなど。
触れた感触からして、泰造は紛れもなく最強の部類に入る男だ。裏稼業でかなりの年月を生きてきた隼人だが、この泰造が別格であることは認めざるを得ない。
その時だった。隼人は、誰かが近づいて来る気配を感じ取る。
「泰造さん、誰か来るみたいだよ」
「本当か。誰だろう」
泰造は起き上がった。隼人はというと、なおも耳をすませている。だが、その表情が綻ぶ。
「あれは、呪道だ」
やがて、その言葉の正しさを証明するかのように、呪道がのっそりと入ってきた。爆発したような髪をぽりぽり掻きながら、ちらりと隼人を見る。
「よう隼人、久しぶりだな。景気はどうだよ?」
「まあまあ、かな」
隼人は、笑みを浮かべ答える。次に呪道は、泰造へと目を向けた。
「泰造、後でうちに来てくれ。ちょっと面倒なことになりそうだ」
「面倒?」
怪訝な表情の泰造に、呪道は顔をしかめ頷く。すると、隼人がすっと立ち上がった。自分がいては話しにくい話題であることを察したのだ。
「泰造さん、按摩の続きは明日にしよう。今日は、ここまでにしとくよ。お代の方は、明日ということで」
「すまねえな、隼人」
呪道の言葉に、隼人は軽く会釈する。
「いやいや、お互いさまだから……そういえば、鉄さんがあんたに話があると言ってたよ」
「鉄さんが?」
「ああ、どうも仕事の話らしい。暇が出来たら、店の方に行ってみてくれ」
・・・
闇が全てを覆う亥の刻(午後九時から十一時)、西村右京は剣呑横町を歩いていた。向かう先は、呪道の寝ぐら『慈愛庵』である。服装は、いつもの同心姿ではない。みすぼらしい着物を身に纏い、編笠を被っている。
慈愛庵に到着した右京は、辺りを警戒しつつ戸を叩く。
ややあって、戸が開かれた。中から、お鞠が顔を出す。彼女は、軽く手招きした。
右京は頷き、中に入っていく。
中に入ると、板の間に死事屋の面々が勢揃いしていた。呪道、お清、泰造、お鞠、そして正太。全員が板の間に座り込み、入って来た右京に冷たい視線を向けた。
右京は怯まず、ひとりひとりをじっと睨みつける。だが正太と目が合った途端、右京は露骨に不快そうな表情を浮かべた。その目に殺意が宿る。一方、正太は慌てて下を向く。
すると、呪道が口を開いた。
「紹介が遅れたが、こいつは俺の弟分の正太だ」
「それは、既に聞いた。もう一度、私の周りをうろつくようなら殺す」
「そうかい。嫌な思いさせたなら、謝るよ。すまなかったな。だがな、こいつを殺したら……お前も死ぬぞ」
呪道の言葉に、右京は眉間に皺を寄せた。同時に、懐から何かを取り出す。
それは、短筒だった。
直後、泰造が立ち上がる。拳を構え、瞬時に間合いを詰めようと動く──
だが、右京の反応も早い。泰造が動くと同時に、銃口を向ける。
次の瞬間、銃声が轟く──
泰造の動きが止まった。弾丸は、彼の足元すれすれに命中している。爪先から一寸(約三センチ)の位置に、穴を開けていたのだ。
場の空気は、一気に変わる。お鞠とお清は、ぱっと跳びのいた。同時に、お鞠は短刀を抜く。正太は、ひっと叫んで床に伏せる。
右京はといえば、もう一丁の短筒を抜いていた。二丁の短筒を構え、冷静な表情で死事屋の面々を見回す。
その時、呪道が両手を挙げた。
「待て待て、まずは落ち着けよ。金にもならねえのに、ここで殺り合ってどうすんだ。双方、得物をしまえ」
呪道の口調はとぼけたものだった。その口調が、室内の緊迫した空気を和らげていく。お鞠は、短刀を収めた。お清と泰造は、不満そうな表情を浮かべつつも座り込む。
そんな姿を見た右京は、短筒を下ろした。ただし、懐にしまい込んではいない。いつでも撃てる体勢ではある。
呪道は苦笑した。
「ったくよ、腰に下げてる刀はただの飾りか? 二丁短筒の使い手とは、恐れいったぜ」
「こんな刀など、しょせんは見かけ倒しだ。実際の戦いでは、さほど役に立たん。伝説の剣の名人など、絵双紙の中にしか存在しない。刀より短筒の方が強い、こんなのは子供にもわかる理屈さ」
その言葉には、呪道も頷かざるを得なかった。はっきり言えば、刀など実際の殺し合いでは中途半端な武器だ。長さも半端、殺傷力も半端である。
無論、剣の使い手の中には恐ろしい達人もいる。だが、それはほんの一部だ。大半の武士は、刀の強さを過大評価している。実戦経験の無さゆえ、だろう。
ある意味では武士の象徴とも言うべき刀を、右京は「実際の戦いでは、さほど役に立たん」と言ってのけた。この男、考え方が実戦的だ。侍でありながら、発想は裏の人間よりである。
だからこそ、はっきりさせねばならないことがあった。
「右京、お前にひとつ聞きたい。なんで、あんな殺し方をする?」
「悪党どもをどう殺そうが、私の勝手だろう。仕留めれば、文句はないはずだ」
言い放つ右京に、呪道の目つきが変わった。
「はっきり言うがな、お前の殺り方は無茶苦茶だ。少しは考えろ。俺たちにも、俺たちなりの掟があるんだよ──」
「掟だって? 私たちはしょせん、ただの人殺しではないのか? そこらの追いはぎや押し込み強盗と何が違う? 金を受け取り、人を人を殺す……同じ穴の貉ではないか。掟? そんな大層なものなど必要ないだろうが」
小馬鹿にしたような口調の右京に、呪道は大きな溜息を吐いて見せた。
「お前は、何もわかってねえんだな。しかたねえから、きっちり教えてやるよ。死事屋は、一件につき最低五両で仕事を請ける。お前が入ってから、最低金額は六両に値上げしたけどな」
「だから、どうだと言うんだ?」
軽蔑したような表情で聞き返す右京。それに対し、呪道は冷静に語る。
「貧乏人にとっちゃあ、六両は大金だよ。奴らは必死で、それこそ血を吐く思いで金を作る。だがな、その程度の金も用意できねえようなら、最初から諦めた方がいいんだよ」
その時、右京の顔つきが変わった。小馬鹿にしたような表情が、真剣なものへと変化していく。そんな右京に向かい、呪道は語り続ける。
「いいか、人を呪わば穴ふたつだ。人のお命いただくからは、いずれ俺らも地獄逝きだよ。これはな、依頼人も例外じゃねえんだ。たとえ手を汚さなくても、依頼した時点でそいつも地獄逝きなんだよ。依頼人の地獄逝きの覚悟の証が、この銭なんだよ」
言いながら、呪道は懐から小判を取り出す。その小判を、そっと目の前に置く。
気のせいか、端に血がこびりついているように見えた──
「それだけじゃねえ。さっきも言った通り、貧乏人にとっちゃあ六両は大金だ。爪に火をともすような暮らしをしてる連中が、六両を作る……これは、まともじゃできねえ。てめえの身を売るくらいの覚悟で作り上げた六両なんだよ。つまり、それだけ深い恨みを持ってるってことだ。俺たちは、金を受けとると同時に依頼人の恨みをも背負うんだよ」
呪道の言葉は静かなものだった。だが、奥に込められたものは重い。右京は、自身の敗北を悟った。いたたまれない表情で下を向く。
そんな右京に、呪道は語り続けた。
「前に言ったこと、覚えてるか? 金も受け取らず人を殺すのは、ただの鬼畜だ……と、お前に言った。俺たちはな、金を受け取る時に依頼人の恨みをも背負うんだ。ところがだ、金を受け取らないということは、恨みも背負わねえってことなんだよ。そいつは、死事屋の仕事じゃねえ……ただの人殺しだ。俺はな、この仕事に誇りを持ってやってる。追いはぎや押し込み強盗とは違うんだよ」
その時、右京がようやく口を開く。
「すまなかった」
すると、呪道がふっと笑った。
「悪いがな、次の仕事、お前には外れてもらうぞ。いいな?」
「わかった」