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同心無想(二)

「西村、調べ物か?」


 声をかけられ、西村右京は顔を上げた。いつのまに来たのか、与力の村野竹蔵がこちらを見ている。右京は、軽く頭を下げた。


「ええ、ちょっと気になることがありましてね」


「今は、まだ昼間だぞ。日の高いうちから、書庫にこもりきりとは感心せんな。見回り同心の仕事は、町に異常がないか見回ることだ」


 嫌味たらしい口調である。だが、右京は表情ひとつ変えない。


「そうですね。ところで村野さま、根本忠雄という男をご存知ですか?」


 尋ねると、村野は怪訝な表情を浮かべた。


「根本忠雄? 何者だ?」


「私も、よくは知りません。裏の世界で顔の広い人物だと、町の破落戸ごろつきより聞きました」


「なるほど。で、その根本は何をしたのだ?」


 村野に問われ、右京は言葉に詰まった。自分が始末した立木藤兵衛から子供を買っていたらしい、とは言えない。


「まだわかりません。それを今、調べているところです」


 答えたとたん、村野の顔つきが険しくなった。


「では、お前は何が起きているかもわからん事件を調べるため、実在しているかどうかもわからん男を探しているのか? 町の破落戸のいい加減な言葉を真に受けて、昼間から書庫にこもっていると……そういう訳か?」


「まあ、そうなりますね」


 すました表情で答えた右京に、村野は鋭い目線を向ける。


「お前は、私をなめているのか? 馬鹿にしているのか? さっさと見回りに出ろ!」


 ・・・


 花街などと呼ばれる江戸にも、寂れた場所はある。悪の吹きだまりである剣呑横町のような場所は、むしろ住む者の生命力と活気が感じられる。だが、それとは逆に、訪れる者の生命力を吸い取ってしまうような空気が漂うところもある。

 そんな嫌な空気漂う町外れの一角に、奇妙な剣術道場が建っていた。建物自体は大きく立派だが、どこの何者が指導しているのか、知る者はいない。流派はどこなのか、いつ剣術を教えているのか、それもはっきりとはしていない。

 この剣術道場、実は……江戸でもっとも大きな勢力を誇る『龍牙会』の集会所なのである。

 今も、幹部たちが集まり定例会が行われていた。裏の世界の大物たちが集まり、龍牙会の大幹部である藤堂順之助とうどう じゅんのすけに様々な報告をするのが恒例の行事であった。また、裏社会の情報交換の場でもある。

 今日もまた、定例会が行われていた。



 やがて定例会は終了し、参加者たちは次々と出ていく。最後に、三人の男女が道場から出て行った。

 ひとりは、目つきの鋭い中年女である。女性にしては大柄で、恰幅のいい体格だ。器量は悪くないが表情はきつく、体から漂う空気も刃物のように鋭い。気の弱い男なら、近づいただけで泣き出してしまいそうだ。

 そんな彼女こそ、江戸で最大の裏組織『龍牙会』の元締・おせいである。


 お勢の傍らには、用心棒の死門しもんが付き添っていた。身長は高いが痩せており、肌は白い。灰色の着物を身にまとい、頭には頭巾を被っている。口元を灰色の布で覆い、腰には細い刀剣を下げている。

 さらに後ろからは、にこやかな表情の男が付いて来ていた。年齢は三十代半ば、一見すると温厚そうではある。中肉中背で、地味な着物を身にまとい、お勢の後ろから音もなく付いて来ている。

 どこかの商店の二代目、といった風情だが……この男は藤堂順之助、龍牙会の大幹部だ。その風貌通り、裏稼業においても商人のごときやり方を貫く。損か得か。仮に損をこうむるとしても、それは一時的なものかどうか……そうした点を重視している。

 結果、龍牙会は以前よりも金回りがよくなった。しかし、裏の世界での評判は落ちた。




 そんな大物三人に、真っすぐ歩いていく者がいた。北町奉行見回り同心・今井雅之介いまい まさのすけと、その片腕の岡っ引き・勘蔵だ。


「そこのお三人さん、ちょっと待ってくれねえかな」


 今井が声をかける。年齢は三十代、着ているものや腰に下げた二本差しから、一目で同心とはわかる。もっとも、顔だけ見れば龍牙会にいてもおかしくはない。目つきは鋭く人相は悪く、生来の凶暴さがにじみ出ている。今の口調も、敬意らしきものは欠片ほども感じられない。

 彼の言葉に、三者三様の反応が返って来た。お勢はちらりと見ただけで、すぐに目を逸らす。お前など知らん、といいたげだ。死門は二人を睨み、剣を抜く体勢を取る。

 藤堂はというと、にこやかな表情で二人に近づいて行った。


「お役人さま、我々にいったい何用でしょうか?」


 お役人さま、などと丁寧に言ってはいるが、実のところ龍牙会に正面切って喧嘩を売る役人など、そうそういない。少なくとも、見回り同心程度が龍牙会に対しあからさまな敵対行動を取れば、あっという間に潰されてしまうだろう。ほとんどの同心は、そのあたりの事情を理解している。

 だが、ここにいる今井は違うようだ。


「昨晩、とんでもねえことが起きた。この勘蔵が、二人組の殺し屋に狙われたんだよ。まあ、こいつはそこらの武芸者が束になっても敵わないからな。あっさり返り討ちにした。ところがだ、そいつらを痛め付けたところ、なんとも愉快な言葉が返ってきたよ。その殺し屋は誰に雇われたと思う? 当ててみろ」


 今井の口調は冗談めいたものだが、表情は笑っていない。その目は藤堂ではなく、お勢に向けられている。

 すると、そのお勢が口を開いた。


「龍牙会に雇われた、と言ったのか?」


「ご名答。さすが、龍牙会の元締だよ。で、この落し前はどうつけるんだ? 勘蔵を狙ったということは、この俺に喧嘩を売るのと同じだ。俺はな、龍牙会だからって特別扱いはしねえぞ」


 今井の口調が完全に変わっていた。お勢に凄む表情は、同心というよりやくざに近い。相手は龍牙会の元締なのだが、気を使う様子がまるでない。


「ちょっとお待ちください。我々は、そんな話は知りませんよ」


 藤堂が横から口を挟むが、今井は完全に無視し、お勢のみに視線を向けている。死門は無言のまま、何かあったら一気に飛び出そうという体勢だ。


「あのなあ、知らねえじゃあ通らねえんだよ。襲った二人のうち、ひとりは拷問される前に毒を飲んで死んだ。仕方ねえから、もう片方を散々痛め付けたら、くたばる前に龍牙会だと吐いた。こいつを、どう説明する?」


 言ったのは勘蔵だ。彼は十手を抜き、少しずつ間合いを詰めていく。

 すると、今度は藤堂が動いた。懐から何かを取りだし、今井にすっと近づく。


「今井さま、ひとつこれを……」


 言いながら差し出したのは、小判の束だった。今井はちらりと見るが、受け取ろうとはしない。

 藤堂は、さらに言葉を続ける。


「その件は、我々がきっちり調べておきましょう。万が一、会の中に勝手に動いた者があれば、我々の手で処分します。仮に会の名を語る者がいたなら、全力を挙げて見つけだしましょう」


 言いながら、勘蔵にも小判の束を差し出す。すると、今井は小判の束を掴み、懐に入れる。勘蔵も、小判を受けとった。


「いいだろう。今日のところは、これで引き上げる。だがな、また同じことがあったら……その時は、動かせる連中を総動員するからな。こう見えても、あちこちに顔が利くんだよ。裏の世界の連中にも、俺の味方はいるんだ。ただの見回り同心だと思って舐めない方がいいぜ」


 今井は向きを変え、去っていった。勘蔵も後に続く。




 去っていく二人を忌ま忌ましげに見つめ、お勢は口を開いた。


「大至急、蕎麦屋の鉄に使いを出せ。話したいことがある。今日か明日にでも顔を出せ、と伝えろ」

 










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