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善意無想(五)

 江戸の街は、人の往来が激しい。

 田舎から江戸に出て来た者は、まず人の多さに圧倒されるという。あちら側へ行く者がいるかと思うと、こちら側へ来る者がいる。その人の流れを上手く避けることを学ばなくてはならない。

 西村右京もまた、上手く人の波を避けつつ歩いていた。彼は定町見回り同心だが、仕事を真面目にする気はさらさらない。むしろ、できる限り人のいない方向へと進んでいたのだ。

 そんな彼の後ろから、そっと付いて来る者がいた。



 やがて右京は、人気ひとけのない路地裏へと入っていく。

 立ち止まると、さりげなく周囲を見回す。塀に囲まれた丁字路であり、少し歩くと行き止まりだ。こんな場所に、わざわざ入ってくる物好きはいないだろう。

 右京が視線を戻した時、目の前の道をお鞠が歩いていくのが見えた。彼女はこちらを見ようともせず、手に持っていた文を、ぽとりと落とす。そのまま、何事もなかったかのように離れていった。

 こちらに気付かなかったとは思えない。右京が見ていることを承知の上で、わざと文を落としていったのだ。

 そっと拾い上げる。中を開けると、たった一行書かれているだけだった。

 亥の刻に慈愛庵に来い……と。




 夜になり、右京は剣呑横町へと入っていく。普段の同心姿ではなく、食い詰め浪人の姿である。傘を被り、つぎはぎだらけの着物を着て、提灯を片手に持って進んでいく。

 しばらく歩き、慈愛庵に到着した。相も変わらず、不気味な外装である。入口に飾られた人形たちが、闇の中で尋ねているかに見える。お前は、何をしに来たのか……と。

 そんな人形たちの視線を無視し、右京は扉を開け中に入っていく。板の間の床板を外し、地下へと降りていった。


 地下室には、既に全員が集合していた。岩のような体つきの泰造。けだるい雰囲気のお清。猫を連想させるお鞠。そして、絵双紙から抜け出てきたような風体の呪道。

 彼らと顔を合わせるのは、前回の仕事以来だ。この異様な雰囲気には、まだ慣れることが出来ない。

 そんな中、真っ先に口を開いたのは呪道だった。


「まずは右京、立木藤兵衛についてわかったことを教えてくれ」


 右京は頷き、これまでに調べたことを語り出した。




 立木藤兵衛は、雑貨屋を営む商人だ。近所の評判はよく、客と揉めたりしたこともない。商いの方も、実直そのものである。

 ところが、ここ一年あまりの間に……立木は、周囲に幼い子供たちを集めるようになった。遊んでいる子供たちに近づき、ただで菓子を配る。それが、彼の日課になっていたのだ。

 それだけなら、誰も文句を付けたりはしない。だが、立木の場合は……いつのまにか、周辺にいた子供が少しずつ減っていくのだ。ある日ぷいと姿を消してしまい、行方がわからなくなるという事態が起きる。やがて、その数は二十人を超えた。

 さすがに親たちも黙っていられず、立木を問いただした。しかし、立木はのらりくらりとかわすだけ。たまりかねて奉行所に訴える者もいた。だが、役人も形だけの取り調べを行うだけだ。

 時が経つにつれ、さらにおかしなことが起きる。立木に子供をさらわれた……と主張していた者のうちの何人かが、事故で命を落としたのだ。




「それらは全て、事故で処理されている。全員が転倒して首を折ったということになっているが……あれは、誰が見てもおかしいよ。殺されたとしか思えない」


 右京の言葉に、呪道が頷いた。


「立木の用心棒、本庄武四郎に殺られたんだろう。奴は、妙な技を使うからな。だが、腕は立つぞ」


 そういうと、呪道は立ち上がった。床の上に重ねてあった紙を、全員に配る。

 配られた紙に、なにげなく視線を落とした右京。と、その目が丸くなる。


「な、なんだこれは……見事なものだな」


 紙には、三人の男の似顔絵が描かれていたのだ。まるで、三人の男の顔をそのまま紙の中に封じ込めたかのようだ。今にも動きだしそうな雰囲気すらある。右京は、ここまで上手い絵を見たことがない。


「お清が描いたんだよ。左端の若いのが、立木の片腕の滝川だ。真ん中の爺さんが立木藤兵衛、右端の厳ついおっさんが本庄武四郎だよ。三人の面、よく覚えておいてくれ」


 呪道は、皆の顔を見回した。少しの間を置き、ふたたび口を開く。


「この本庄武四郎は、泰造に仕留めてもらう。相手は、武術の達人だが……いけるな?」


 その問いに、泰造は僅かに首を振っただけだった。無論、縦に振ったのである。


「任せたぞ。滝川は、お鞠に殺ってもらう。そして立木は……右京、お前だ。相手は爺さんだが、問題ないな?」


 呪道の言葉に、右京は頷いた。


「もちろん、問題はない。任せてくれ」


「頼んだぞ。では、前金だ。首尾よく仕留めたら、後金を取りに来てくれよ。ひとり一両ずつだ」


 呪道は、五枚の小判を床の上に置いた。

 まず、お清が手を伸ばし一枚取っていく。次いで泰造が手を出し、お鞠も続く。

 最後に、右京が残った一枚を手に取った。


「今から、俺とお清で準備しておく。日にちが決まったら、連絡するからな」


 呪道の言葉に、皆が頷いた。




 帰り道、右京は提灯を掲げて歩いていた。

 彼が歩いているのは林道である。剣呑横町などと呼ばれてはいるが、この辺りは町と呼べるようなものではない。周囲は木が生い茂り、狸やいたちの類も見かけるほどだ。

 そんな中を、右京は速足で進んでいた。だが、その足が止まる。妙な気配を感じたのだ。

 彼の勘は外れていなかった。突然、がさりという音がしたかと思うと、脇の茂みから二人の男が出現した。


「おい、金と……その腰の刀を置いていけ」


 低い声で、ひとりの男が言った。剣呑横町の住人であろう。服はぼろぼろで、髪も伸び放題だ。顔はよく見えないが、声の調子と髪の具合から察するに、四十歳は過ぎているだろう。

 不惑を迎えているにもかかわらず、やることが追いはぎとは。右京は不快な気分になった。


「嫌だと言ったら、どうするのだ?」


 静かな口調で尋ねると、別の男が笑った。


「死ぬだけよ。俺たちが、やらねえと思っているのか」


 言うと同時に、片手に持った何かを振り上げる。手斧のようだ。もう片方の男は、短刀を抜く。低い姿勢で構え、じりじりと近づいて来る。殺しに慣れた者の動きだ。

 右京は、ため息を吐いた。今の彼には、金を持っていそうな雰囲気はないはずだ。にもかかわらず、金を奪おうとするとは。


「金のために、私を殺すのか」


 言った直後、その右手には短筒が握られていた。

 男たちは、顔色を変える。次の瞬間、轟く銃声──

 短刀を構えた男が、ばたりと倒れた。手斧を構えていた方は、慌てて逃げ出す。

 右京は表情ひとつ変えず、その背中に銃弾を撃ちこんだ──

 こちらも、ばたりと倒れる。だが、即死は免れたらしい。地面を這い、必死で逃げようとする。

 右京は短刀を抜き、近づいていった。すると、男は怯えた表情でこちらを見上げる。


「お願いだ……助けてくれ……」


「お前は、金のために私を殺す気だったのだろう。逆の立場なら、私を殺していたのだろう」


 冷めた口調で言いながら、右京は短刀を振り下ろす。男は悲鳴を上げたが、右京は容赦しない。さらに刺し続ける。

 いつのまにか、彼の手は真っ赤に染まっていった。


 金を奪うために、人を殺す男たち。

 金を受け取り、人を殺す自分。

 いったい、何が違うのだろう。






 

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