出会無想(一)
夜、数人の男たちが道を歩いている。
全員、揃いも揃って人相が悪い。しかも、夜中だというのに大声で騒ぎたて、我が物顔でのし歩く。絵に描いたような、やくざ者の集団である。
彼らが歩いているのは林道で、周囲に人は住んでいない。そのせいか、本来なら声をひそめるような話題を、大声で話していた。
「親分、今回はちょろいもんでしたね。あの狸親父、ちょいと脅しただけで百両包んでよこすとは。あんなあばずれ女が、武家の奥方なわけねえのに」
ひとりの若者が言うと、それに合わせて皆げらげら笑った。ただ、ひときわ恰幅のいい中年男は、すました顔つきで首を横に振る。
「おめえら、わかってねえなあ。あいつがちょろかったんじゃない。俺の貫禄が、奴に金を出させたんだよ。いいか、同じ台詞でも貫禄の有る無しで効果は変わる。覚えとけ」
この中年男、名を権八といい、辰蔵一家の親分である。任侠の看板を掲げてはいるが、一般市民が喜ぶことは何ひとつしない。弱きをくじき強きに媚びるのが信条の男である。
今も、とある商人に美人局を仕掛け百両を巻き上げた帰りだ。彼らは、有頂天の気分であった。
しかし、権八たちは知らない。彼らの行く手には、恐ろしいものが待ち受けていた。
突然、彼らの足が止まった。前方に、おかしなものを発見したのだ。
四間(約七・二メートル)ほど先に、異様なものがいる。もの、といおうか……人、といおうか。だが、人にしては妙な形だ。暗いため、よくは見えないが、六尺(約百八十センチ)はあるだろう。さらに、横幅も大きい。
「おい、あれはなんだ?」
権八の言葉に、手下のひとりが提灯を高く掲げた。途端に、全員が後ずさる。
そこには、奇怪な格好の者が立っていた。頭から黒い頭巾を被り、口周りを黒い布で覆っている。袖を切り落とした黒い着物を身にまとっており、体は異様な大きさだ。肩幅は広くがっちりしており、胸板は鎧でも着込んでいるかのような分厚さだ。剥きだしになっている腕は、丸太のように太く逞しい。肩から腕のあたりには、瘤のような筋肉に覆われているのが見てとれる。
それよりも問題なのは、剥きだしになっているはずの腕の色が黒いことだ……。
絵双紙に登場する英雄ですら、見ただけで逃げ出すような恐ろしい外見の大男が、無言でこちらを見ている。さすがのやくざ者たちも完全に怯んでいた。
「な、何だあれは……」
権八は、ごくりと唾を飲み込む。
それが合図だったかのように、大男は動き出した。拳を、顔の位置まで挙げて構える。
さらに、上体が小刻みに揺れ始めた。残像すら見えるような、恐ろしく早い動きだ。
直後、滑るような動きで間合いを詰めて来た──
大男は、その体格からは想像もつかない速さで接近してきた。両者の距離は、もはや一間(約百八十センチ)もない。
危機的状況にあるはずの辰蔵一家はといえば、何も反応できていない。皆、狸に化かされたような顔で接近を許している。
大男の岩石のごとき拳が、稲妻のような速さで放たれた。真っすぐ打ち出された拳は、手下のひとりの顔面に炸裂する──
直後、手下は吹っ飛んだ。馬に蹴られたかのような威力の一撃だ。顔面は完璧なまでに陥没しており、即死しているのがはっきり見て取れる。
だが、他の者たちに仲間の身を案ずる余裕などなかった。大男は欠片ほどの迷いもなく、すぐさま別の者へと襲いかかる──
大男の拳は、次々と手下たちの顔面に炸裂していく。将棋の駒を倒すように、手下たちは崩れ落ちていった。抵抗すら出来ぬまま、死体と化していく。
その様は、子供が虫を踏み潰すようであった。
まばたきするほどの間に、手下たちは全て死体と化していた。ただひとり、権八だけはまだ息がある。足をがくがく震わせ、後ずさっていく。
大男が、ゆっくりと彼に近づいた。その途端、権八は叫んだ。
「ま、待て! 助けてくれ! 金なら、いくらでも出す! だから命だけは──」
言い終えることは出来なかった。大男の拳が、弾丸のごとき速さで放たれる。権八は眉間の骨を砕かれ、骨片が脳に突き刺さる。
死にゆくまでの、ほんの一瞬……彼は、己を殺した男の顔を見た。
いつのまにか、大男の口周りを覆っていた布が外れ、顔があらわになっていた。肌の色は炭を塗りたくったかのように黒く、唇は分厚い。大きくぎょろりとした目は、真っすぐこちらに向けられている。
それは、あまりにも異様であった。こんな人間が、存在するとは。
「お前、何者……」
言った直後、権八は息絶えた──
それから、数時(一時は約二時間)が経過した。
陽は高く昇っており、あたりには野次馬が集まっていた。どこから聞き付けたのか、多数の死体が転がる現場を、おっかなびっくりといった様子で見ている。
そんな中で死体を検分しているのは、まだ若さの残る同心だ。
「おいおい、何だこれは。ずいぶん派手にやったな」
見回り同心の西村右京は、転がる死体を前に冷めた表情を浮かべている。どうでもいいよ、とでもいいたげな顔つきだ。
「何だこれは、じゃないでしょうが。旦那、さっさと調べてくださいよ」
目明かしの亀吉は、呆れた顔で己の上役を見た。
右京は中肉中背で、目鼻立ちの整った二枚目役者のような顔立ちをしている。もっとも、腕の方はからきしという噂だ。事実、これまで手柄を立てたことはない。誇れるような武勇伝もない。
色男、金と力はなかりけり……という言葉がある。右京には、確かに金も力もない。さらに言うなら、欲もない。出世しようという気はまるでなく、庶民のために働こうという殊勝な心がけも感じられない。
そんな右京は、しゃがみ込んで死体を調べていたが……ややあって、口を開いた。
「これは、拳による傷に見えるな」
ぼそりと、呟くような小声で言ったのだが、亀吉の耳には聞こえていた。
「はあ? 馬鹿なこと言わないでください。素手で、こんな殺し方の出来る奴なんかいませんよ!」
亀吉に怒鳴られ、右京は面倒くさそうに頷く。
「はいはい、その通りだな。私の間違いだ」
やる気のなさそうな右京を、亀吉は小馬鹿にしたような目で見る。
この亀吉、四十歳を過ぎていた。目明かしとしては、古株の部類に入る。それだけに、二十八歳の無欲で押しの弱い右京を甘く見ていた。口のききかたにも、それは現れている。普通なら、目明かしが同心を怒鳴りつけるなど、有り得ない話なのだ。
「こいつは、でかい金棒か何かで殴り殺したんでさあ。それでも、とんでもねえ馬鹿力の持ち主なのは間違いないですがね」
横柄な口調で、亀吉は語り続ける。右京はというと、そんなの知らないよ……とでもいいたげな表情で応じる。
「そうか。では、その線で聞き込みをしてくれ。頼んだぞ」
・・・
花のお江戸、と人は言う。しかし塵芥が風に吹かれて隅に固まるように、江戸にも塵芥の溜まり場のような地区がある。
この剣呑横町もまた、あちこちの塵芥をかき集めたような地域であり、江戸らしからぬ魔窟の様相を呈していた。廃材と藁で作られた即席の掘っ立て小屋があちこちに並び、素性の怪しげな者が多く住み着いている。町方も、ここには迂闊に足を踏み入れない。事件があったからと言って下手に首を突っ込むと、非常に面倒なことになるからだ。
そんな危険な町・剣呑横町でも、ひときわ有名な男が河原でくつろいでいた。
「おい、猫に餌をやるな。懐かれたら困るだろうが」
真昼間だというのに、川のほとりにしゃがみ込み、握り飯を食べながら、ぶつぶつ文句を言っている男がいる。
とぼけた顔の持ち主であり、背は高からず低からず。頭には髷がなく、癖の強いちりちりの髪は長く伸びている。火薬の爆発した現場から、命からがら脱出した直後のような髪型だ。言うまでもなく、江戸では完全な異相である。
しかも、耳には奇妙な耳飾りが付いている。針金の輪のような形の飾りが、耳たぶを貫通して付いていた。首からは骸骨を模したような首飾りをぶら下げており、手首にも数珠のようなものが巻かれている。着物は黄色と黒の縞模様であり、片方の手には杖が握られていた。その異様な姿のせいで、見た目からは年齢を推し量ることが出来ない。二十代の若者にも見えるし、四十代の中年にも見える。
一見すると、大道芸人か大名お抱え太鼓持ちのようであるが、彼こそが拝み屋の呪道である。奇怪ないでたちではあるが、剣呑横町の危険人物の間でも……いや、江戸の裏社会でも名前を知られている大物なのだ。
そんな呪道の視線の先には、革で出来た袖無しの胴着を着た少女がいる。年齢は十代の半ばだろうか。小柄で細身だが、剥きだしの腕は筋肉質である。胸元にはさらしが巻かれており、左手には毛皮の手袋を嵌めている。
それだけでも、充分に異相なのだが……さらに、日雇い人夫のような裾を短く切り詰めた股引を穿いていた。そのせいで、細いがしなやかな筋肉に覆われた足も剥きだしになっている。首の周りには、赤い布が巻かれていた。髪は短く刈られており、遠くからでは男の子と間違われるであろう。顔は汚れが目立つが、目は大きく可愛らしい。綺麗に化粧でもすれば、男たちが放っておかないだろう。
そんな奇妙な少女は、しゃがみ込んで猫に魚の尻尾を食べさせている。
「まさか、その猫連れて帰る気かよう?」
呪道が尋ねると、少女は顔を上げうんうんと頷いた。しかし、呪道は顔をしかめて首を横に振る。
「駄目だ」
きつい口調で言うと、少女の目つきが変わる。じっと、睨みつけるかのごとき表情で呪道を見つめる。無言だが、何を言わんとしているかはわかっている。
「駄目って言ってるだろ。いいか、猫なんか飼ったら邪魔だろうが。世話だって大変なんだぞ」
呪道の言葉に、少女はぶんぶん首を振った。もちろん、横にである。
面倒くさそうに、ちっと舌打ちした呪道。その時だった。少女が、血相を変え立ち上がる。急な動きに怯えたのか、猫は慌てて逃げ出した。だが、少女は猫の動きなど見ていない。鋭い目で、こちらに歩いてくる何かを睨みつけている。
呪道は、そちらに視線を移した。途端に、その顔が歪む。
向こうから、ひとりの若い同心が歩いて来ているのだ。呪道に視線を合わせ、すたすたと早足で近づいて来ている。
いったい何用だろうか……呪道は、すっと立ち上がった。少女に近づき、耳元に顔を近づける。
「お鞠、さっさと帰れ。面倒なことになりそうだ」
小声で少女に囁いた。が、お鞠と呼ばれた少女に動く気配はない。じっと同心を睨み、懐に手を入れている。
「いいか、俺が指示するまで下手な真似はするな」
囁いた時、同心が立ち止まった。呪道との距離は、ざっと二間(約三・六メートル)ほどだ。にこやかな表情で、深々と頭を下げる。
「私は、南町奉行所の見回り同心をしている西村右京だ。あなたは、拝み屋の呪道さんだね。かねてから、噂は聞いていたよ」
その言葉に、呪道の目が細くなる。が、それは一瞬だった。へらへら笑いながら、頭をぽりぽり掻いてみせる。
「ほう、南町の見回り同心さんですか。そんな偉いお役人さまが、俺に何の用です?」
「うん。大事な話があるんだよ。これは、あなたにとっても聞き逃せない話のはずだ」
右京は、そこで口を閉じた。ちらりと周囲を見回す。
ふざけた奴だ、と呪道は思った。こんな同心など知らないし、噂を聞いた覚えもない。そもそも、この剣呑横町にたったひとりで足を踏み入れるとは大したものだ。頼りない顔つきの割には、なかなか度胸がある。
だが次の瞬間、呪道のへらへらした顔つきが一変した。
「先日、辰蔵一家の権八とその手下が撲殺された。あれは、あんたの手下がやったんだね……死事屋さん」