第八話 偽善
【第八話 偽善】
暗闇の中、小さなモニターの明かりをゼロ距離で目に当て、キーボードを叩く様に打つ少女が、画面に向かってブツブツと独り言を呟いていた。
「へえ、あの芸能人結婚したんだ…。ああ、この芸人はまた不倫してるし…あ、ニュース更新された。」
少女は、画面を見るには邪魔な前髪をカチューシャで上げ、ひたすらキーボードとマウスを動かし、トレンドに入っているニュースや出来事を調べていた。
尚、時刻は既に午前二時を回っていた。
「ああ、もうこんな時間か…そろそろ寝ないと。あ、でもその前にあの人の動画更新されてるか調べないと…」
こうして少女は一つ、また一つと出来事を調べてはつまらなそうに、次へと目を移していった。
*
「なあ、志暮」
授業中だというのに、トーンも抑えず堂々と後方から声をかけてきたナルシストに、俺はただただシカトを貫いた。
「なあ、なあなあ。なあってば。…知ってるか?渡野って、実は…ズラなんだって」
「まじか!」
渡野とは、俺たちのクラスの担任であり、数学の担当教師でもある。
歳は四十前後と聞いた事があり、それなりのおっさんではあるがまさか、あの毛量が全部作り物だったとは…。
「嘘だ」
「お前…」
「おい、夢野うるさいぞ!」
「す、すみません」
怒られてしまった。かなり理不尽な気もするが。
が、そんな教師の怒りの矛先は一瞬で別の方向へと向いた様だった。
「わぁしぃだああああああ!!」
名前を呼ばれ、授業開始からずっと机に突っ伏し眠っていた少女、『鷲田薫』はビクッと肩を上げ飛び起きた。
黒髪に映える、黄色のカチューシャをつけ、薄く化粧を施した顔立ちは美人と普通の間の様で、ひまわり畑をバックにすれば絵になりそうな、そんな雰囲気の少女だった。
「お、おはようございます…」
しかし、眠っていたほうが幸せだったかもしれない。
何せ、寝起きで上げた顔はひきつる様に強張り、鬼を見るかの様な怯えた目を向ける羽目になったから。
「鷲田…お前はいっつもそんなだが、テストで点数取れるんだろうなぁ?」
「あ、あはは。やだなあ先生。私、いつも寝たふりをしてちゃんと授業聞いてるんですよ?」
「そうか、じゃあまずヨダレを拭いて教科書を持て。それから教室の後ろで立って、真面目に授業を聞け!」
「……はい」
そして、薫は言われるがまま教室の後ろへと向かった。
「鷲田っていつも眠そうにしてるけど何してんだろな」
と、説教の様子を一緒に見ていた相沢が唐突に声をかけてきたが、何も知らない俺は「さあ」と適当に応えて会話は終わった。
だが、窓際の席に座る数名の女子生徒が、明らかに鷲田を見て笑っているのを目撃してしまい、どこか憂鬱な気分になった。
確かに、見方によっては笑い事かもしれないが、そういう陽気な笑い方ではなく、どこか嫌味や蔑みを含んだ様な笑みだった。
「ああいうの、無くならないもんなんだな…」
「ん、なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
女子生徒達は、志暮のクラスでは縄張り意識や支配力の強い、いわゆるリア充グループだった。
この場合のリア充は、優劣による自己満足だろう。
「はあ…ほんと、滅びろリア充」
「志暮、顔怖いぞ?」
「ふん、リア充を人に見せつけやがって」
「リア充を見せつけるって何だよ…」
他愛のないやり取りをしていた志暮が、ふと教室の後ろに立つ薫の方へ目を向けると。
先程までとは打って変わり、俯くその表情からは冗談が言える様な明るさは消えていた。
*
放課後になり、ホームルームが終わると同時に皆一様に、部活や帰宅のため早々に教室を後にしていた。
人気が少なくなり、志暮も帰宅しようと荷物をまとめていた。
「ねえ、鷲田。放課後の当番やっといて?」
その声は教室の窓際の方から聞こえた。
反射的に目を向けると、そこには鷲田薫の姿と数人のリア充女子がいた。
「わ、わかった。みんな放課後は忙しいもんね、私がやっとくよ!」
それは、どこにでもありそうな典型的な光景。
強者が弱者を支配し、虚仮にし、使い捨てる。
人は皆平等なんてよく言ったものだ。肉体も精神も、考え方も感性も、同じ人間なんていない。
「じゃ、あたし達は帰るから後よろしく〜」
そう言って手をひらひらと仰ぎながら、数名の女子生徒達はこれからどこで遊ぶかを話し始めていた。
もちろん、声量からして鷲田にも聞こえているだろう。本当に、くだらない。
だが、ここで偽善を働かせたところで得をする奴なんていないだろう。
標的が俺になるかもしれないし、鷲田への悪態なんかが酷くなるかもしれない。
あいつらも、言うだけで更生するほど聞き分け良くないだろうしな…。
「よいしょ、んっしょ、っと…」
せっせと椅子を上げ掃除をする薫を見て、志暮はどこか罪悪感の様なものを感じた。
雨多の時にも感じたそれは、自然と志暮を動かしていた。
「…え?」
間抜けな顔をして立ち尽くす薫の瞳には、椅子を上げて掃除の手伝いをする志暮が映っていた。
「ほら、手止めてないで」
「え、あ、はい。」
その後、黙々と続け十分程度で、掃除を終わらせることができた。
「ふう、なんか当番じゃないのに掃除をすると、やたら達成感が湧くな。そう思わないか?」
「え?ああ、確かにそうかもしれませんね。…じゃなくて、何で?あ、その前にありがとうございます」
やたらと挙動不審に言葉を発する薫に、志暮は笑みを浮かべた。
「気まぐれ、かな」
その言葉を聞いた薫は露骨に不思議そうな顔をし、首を傾げた。
「…何ですかそれ、かっこいいとでも思ってるんですか?」
「え、え?いや、だってほら、ね?頼まれてもないのに手伝ってあげて、いい汗流して…」
「本当にそこなんです。何で頼んでもないのに手伝ったんですか?あなたに何の得が?」
「い、いや、別に得とかそう言うのは…」
完全に相手のペースだ。と言うか何だこいつ、最初こそ感謝はしてたが…何というか、俺厄介者扱いされてる…?
「うーん。よくわからないですね。まあ、でも助かりましたありがとうございます。」
「ああ、気にす」
「でも」
と、薫は少し声を大きくし志暮に圧のこもった視線を向けた。
「もう、手を貸していただかなくて結構です。私は好きでやっているので。…こうでもしないと私は孤独になる」
「え?」
「い、いえ。何でもありません。とにかく!もう関わらなくていいので!それでは。」
それだけ言い残し、薫はスタスタと教室を後にした。
「……やっぱ、やめときゃよかった」
こうして、志暮の心にしばらくは癒えない傷ができた。
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