25、ケインズの帝国
経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合も誤ってる場合も、通常考えられているより強力である。
by ジョン・メイナード・ケインズ
1、ピラミッドの建設
イリリオは高校を卒業して、ピラミッド建設作業現場に就職した。
父は熟練労働者なのでスフィンクスの建設をしている。イリリオはまだ未熟なので、スフィンクスの建設へは行けないのだ。ピラミッドの建設しかない。
建設現場へ行くと、これからの同僚たちがいた。貧しそうな身なりをしている。
「ここって給料はいくらなんだ」
「時給百円。日当で八百円だ。残業代はただ」
イリリオは一週間働いた。巨大な石を動かし、丸太を転がした。
「どうして、みんなはピラミッドなんか作ろうとするんだろうね」
「指導者ケインズの教えだからだ。きみには難しくてわからないだろう。考えるより先に働け」
「ピラミッドって何なんだい?」
「預言者シルヴィオ・ゲゼルの墓だ」
「こんなでかい墓を建てるなら、きっとシルヴィオさんはすごい人だったんだろうね」
「だろうね。おれはシルヴィオさんがどんなやつだか知らないがね」
イリリオが仕事場を放棄して動き始めたのは、自分の持ち場で、作業中に事故死した労働者が出たからだった。
ピラミッドの建設をつづけると、たぶん、人生で何も手に入れることなく事故で死ぬ。
イリリオはそれが怖くなってしまったのだ。
休み時間に、もっとピラミッドに詳しい人を探した。
イリリオがしたのは聞き込みだった。知恵を付けなければ、一生、ピラミッドの建設だ。
イリリオは現場監督を見つけて質問した。
「監督。シルヴィオ・ゲゼルって人はどんな人なんですか」
「紙幣にスタンプを押すことを考えだした人だ」
「それは、どんな経済効果があったんですか」
「さあな。そんなことは重要じゃない。忙しいんだ。新入りはあっちへ行け」
イリリオは、経済産業庁にまで電車で行った。
「教えてください。なぜ、この国は全員で全力でピラミッドを建設しているんですか」
経済産業庁の受付のお姉さんがいった。
「あなた、経済学は知っていますか。あなたには難しすぎるでしょうね」
「お願いです。ぼくに経済学を教えてください」
「自分で学費を稼いで大学へ行くといいですよ」
それで親切にいったつもりか、とイリリオの心には怒りがわいてきた。
イリリオは、私設の郵便屋を始めた。郵便の仕事ではミスをしないようにがんばった。
イリリオの狙いは、みんなの手紙を盗み見ることにあった。手紙を盗み見て、情報を集めなければ、ピラミッドを建設しただけで人生が終わってしまう。
信頼できる私設郵便だと評判が広まっていくと、イリリオの求めていた情報が少しづつ集まってきた。
ピラミッドの建設は、失業対策が目的で行われていたのだ。
イリリオは巨石運びの方の仲間と話をした。
「なんで、おれたちがピラミッドの建設をさせられていたのかわかったぞ」
みんなが興味深げに聞いた。
「ほう、なんでだ?」
「このピラミッド建設は、失業対策のためにやっているんだ」
賢い労働者の何人かはイリリオの話をもっと知りたがったようだった。
「それはおかしいぞ。手段と目的が逆になってる。おれたちの労働は手段で、ピラミッド建設は目的だ。それが逆ではおかしい」
賢い男の反論にイリリオもまいった。経済学、難しい。
「ちょっと待て。おまえら、この中でピラミッドを建設したいやつなんているのか。おれはピラミッドの建設なんてどうでもいい。給料のために働いているんだ。だから、政府が正しいはずだ」
「おいおい、ピラミッドが完成することなんて、おれたちが死ぬまでねえよ。こんなでかいものが、おれたちが生きている間に完成するわけがねえ」
別の喧嘩の強い男が仕切った。
「確認のために、多数決をとろうぜ。ピラミッド建設が目的で働いているやつ」
イリリオは手を挙げなかった。
数人が手を挙げた。
「給料のために働いているやつ」
残りの全員が手をあげた。イリリオも手を挙げた。
「はっきりいって、給料さえもらえれば、ピラミッドがどうなろうとどうでもいい」
イリリオはいった。
そして、少しづつうわさが広まっていった。
「この国のどこかに別の仕事があるらしい」
ピラミッドの労働者たちは、転職が夢だと語り始めた。
イリリオは、なんとか経済学の本を手に入れた。
それを一カ月で読むと、また電車で経済産業庁へ行った。
受付のお姉さんがおじぎをした。
「すいません。ぼくにはケインズのここがおかしいと思うんですけど」
受付のお姉さんは笑った。
近くにいたおっさんが歩いてきて、イリリオの肩をどついた。
「おまえは、自分が聖ケインズより経済学に詳しいつもりか」
「ケインズの失業対策はまちがっている」
「出ていけ。この国はケインズの帝国だ。経済学の完成者ケインズの経済政策を行う。そのためには、おまえはピラミッドを建設しなければならない」
「くそ、転職の合法化を主張する。それで選挙に勝ってやる!」
イリリオは叫んだ。
「やれやれ、最近の若者は、職業選択の自由が与えられていることも知らないらしい。とっくに合法の法律をもう一度、作るらしいぞ」
そういって、男は受付嬢に向かって笑った。
イリリオたち、ピラミッド建設作業員は立ち上がった。
労働蜂起だ。
「た、たいへんなことになりましたね、現場監督」
「なに、慌てるな。実は、四年に一回くらい労働蜂起は起こってるんだ。珍しいことじゃない。指導的立場にいる労働者を出世させて管理職に取り込めば、労働蜂起は自然消滅する。これがわからないうちは、現場監督にはなれないぞ」
生産する商品を選ばせてくれ、と労働者たちは叫んだ。
管理職の人たちは、時間稼ぎをしつづけて、労働者の食費が減るのを待った。
「こんな、ただのでっかい墓を作るだけの無意味な仕事は、我々、労働者は拒否する」
イリリオは叫んだ。
「管理職のやつらを締め上げろ」
作業用のロープの奪い合いになり、労働者たちは管理職をしばりあげた。
「行くぞ。ピラミッド建設はもう終わりだ」
イリリオたちは、ピラミッド建設の労働者を解放すると、逃亡、離散した。
2、地震の祈祷
イリリオは地震の被害地域にやってきた。
仮設住宅建設の求人チラシを見て、応募したのだ。
「地震の復興ならば、無駄な産業ではないはずだ」
イリリオはそう信じていた。
しかし、ここはケインズの帝国。
財政政策によらない仕事があるかどうか。その望みは小さいように思えてならない。
「いったい、ここで政府は何をしているんだ」
「地震の祈祷です」
案内していた公務員がいった。
「何のために」
「いえません」
公務員が答えないので、イリリオは後ろを振り返って聞いた。
「あなたは、知ってましたか?」
「いえ、政府がこの町へ来て、地震の祈祷をしているなんて、わたしたちは今まで知りませんでした」
と、地元の人がいった。
「ちょっとあっちで、あなたに話があります。来てください」
イリリオが地元の人を誘った。
地元の人は、公務員から離れた場所まで歩いてきた。
「何のようです」
「声を小さく」
「はい?」
「政府が、地震の祈祷をしているのが、失業対策である可能性が高いんです。地震の祈祷について調べてくれませんか。おれは、この国の政府について調べます」
イリリオの申し出に、地元の人はうなずいた。
「必ず」
地元の人は小さく声を出した。
ケインズの帝国を倒さねばならない。イリリオはそう考えるようになっていった。
3、戦争
イリリオは、志願兵に応募した。
仲間は顔をしかめて聞いた。
「なぜ、軍隊なんかに」
「情報収集だ。思い当たることがあるんだ。半分以上、勘任せだが、どうしても行きたい」
「そうまでいうなら、止めないがね」
イリリオは、素早く動いた。
新入りの間は、監視があまい。開けてはいけないドアを開けても、許されることが多い。
書類を速読で読んでいく。探している単語は『失業対策』だ。
「貴様、どこの所属だ」
「志願兵です。配属はまだです」
「貴様、今、何を見ていた」
イリリオはびくつきながらも答えた。
「雇用について調べました」
「なぜ、そんなものを調べる」
「軍隊の経済思想について、自分は貢献できるのではないかと」
男は、イリリオの服をつかもうとしたが、どこかで盗み聞きしていた機械から、ピッと音がした。
「その新入りを作戦参謀待機室に連れてきてくれ」
男は驚いた顔をして、いった。
「貴様、名前は?」
「イリリオです」
「付いてこい」
そして、二人は呼び出された部屋へ移動した。
作戦参謀待機室の中では、数人の参謀が待っていた。
「イリリオくんだね?」
「はい」
「きみが経済思想について意見があるようなので呼んだのだよ。いってみたまえ」
参謀らしき男がいった。
「おれの意見を聞いてくれるんですか」
「そうだ。ここはケインズの帝国だ。経済学については世界一詳しくなければならない。ヒントだけでもほしいんだ、本当はね」
イリリオは参謀がそんなことをいうので、目を丸くして驚いた。
「この国が戦争をする理由を当ててみせます」
イリリオがいうと、
「ふうん」
と参謀が考えるふりをした。
「いってみてくれ」
「はい。この国が戦争する理由は、失業対策のためです」
参謀たちは笑った。
「正解だ。ケインズの帝国は、失業対策のために戦争をしている」
「戦争は終わらないんですか」
「戦争は終わらないよ。失業が終わらないようにね」
あまりにも当たり前のようにいう参謀に、イリリオは腹の奥が痛くなる感じがした。
イリリオは、次にような提案をした。
「では、昼飯を食べるという労働に賃金を払いましょう。それで充分に失業対策になるはずです」
「さすが、ケインズを理解した人物だ。きみなら、我々の助けになると信じていた」
参謀は快諾した。
そして、昼食を食べるという労働者が生まれた。
「きみの本音ではどうだい」
参謀が聞いた。
「価値のある労働をしないと、国は五年で滅びるというのが経済学の計量でしょう」
「滅ぼしてみないとわからないな」
「そうですね」




