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12、神を近所で探す

 神はどこにいるのだろうか。遠くで探すのも面倒だから、近くで探せば見つかるんじゃないか。

 例えば、自分が引きこもっているこの部屋の中でも見つかるかもしれない。ぼくが神を見つけるのが早いか。神がぼくを見つけるのが早いか。どちらにせよ、勝負はこのぼくの自室だ。

 ぼくは自室でのんびりと、出歩かぬ旅をして神を探す。一年もがんばれば見つかるんじゃないか。

 神がどこにいるのか知らないが、部屋にこもっていても、神に触れているといえるのではないか。だったら、この部屋で探した方が早い。

 ちょっと日本古典に興味が出て、隠者文学などを散策したら、清少納言「枕草子」、一遍上人「一遍上人語録」、鴨長明「方丈記」、兼好法師「徒然草」、松尾芭蕉「おくのほそ道」、などに一通り目を通したら、柳宗悦「南無阿弥陀仏 付心偈」に行き当たり、こんな日本文学があったのかと驚いた。

 そこに柳宗悦がこう書いていた。


「仏さまはどこにいるのでしょうか」

「おまえはどこにいるのか」


 鋭い英知に感動して、「ああ、これは神は自分の部屋にいるなあ」「神に会いたければ、自分の部屋を探せば見つかるなあ」などと思ってしまった。

 そうだ。ぼくはひらめいたのだ。近所を探せば、神は見つかるだろうなと。

 世界はぼくの近所しか存在しないのかもしれない。ぼくの旅はすべて仮想現実だった。神は、この近所だけを創造したのだ。近所創造の神。

 出不精なぼくだけれども、それでもちょっとは旅行などをしたなあと思うが、その旅行の記憶はすでにあいまいで、神を探す旅なら近所にしようと、そう目的地を決めたいところだ。


 宇宙は、神の煩悩だ。

 苦しみは、存在の別名だ。

 奇跡は、自分の部屋にある。


 このぼくの部屋で存在することを決められた近所の神がいるのなら、ぼくの部屋で生きているこの生の喜びこそが、存在の喜びであり、神の創造にまつわるいくつかの不手際が許される理由でもある。

 宇宙創造の神は、被造物をあまり幸せには作れなかったと聞くが、それなら、ぼくの近所の創造神の方がよっぽどか賢い神なのではないか。


「神はどこにいるのでしょうか」

「おまえはどこにいるのだ」


 神を遠くで探すなど。

 何にもわかっていない。探すべきは近所の神だ。近所の神は、全知全能にちがいない。まずは近所の神から探すとよい。世界はこの近所にしか存在しないのだから。

 近所が存在することの証明は、遠方が存在することの証明より簡単なのだから。

 神学者、哲学者、数学者は、近所の神の存在証明から始めた方がよい。そうすれば彼らは、きっと全知全能を見つけるだろう。

 来たれ、近所の神。全知全能の近所の神。

 遠方の神より、近所の神の全知全能の方が、現実である可能性は高い。


 月のひかりや、空のつちくれ。

     一遍上人


 月の光も、空の土くれも、ぼくの部屋の窓から見えるのだから。

 近所で神が見つかったら、土くれからヒトを作り出す手伝いがしたい。

 必ず、近所で神は見つかる。それを信じて待つ。


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