Teach.2 苦しみを、おしえて。
吸い込まれそうになるほどまっすぐな道の両端に、いちょうの木が植え込まれている。
時期が過ぎて葉が全て散っているけど、管理がちゃんと行き届いているみたいで、あいにく黒い綿のような広がりを見せる空と合わせても寂しさを感じなかった。
そして道をぬうように左右に広がる道、そこには白い建物が並んでいる。
私の目の前には、私の身長とは比にならない…神社の鳥居くらいに太く大きい2本の柱。見上げると、なぜか天気とは逆にまぶしく感じた。
「大学って、すごいなぁ…」
だけど、私もあと数ヶ月後にはここを毎日のようにくぐることになっている。
頑張った証拠が、一般入試よりも早く出たのが嬉しかった。動機は、ちょっと不純だけど。
私は今、その不純な動機に大きくかかわる人を待っている。
「んー、今日はこのくらいの時間になるはずなんだけどなぁ…」
波のように押し寄せてくる人を、つま先を立てて一人一人目で追っていく。
特に待ち合わせをしているわけでもない、私が勝手に待っているだけなんだけど…
「気付けなかったのかな…んー、私もまだまだかなぁ」
人もまばらになっていく。その動きはスローモーションのようにゆっくりに見えて、私一人だけが取り残されたような気になる。
私は、焦っていた。
自分の気持ちがわからない。相手の気持ちもわからない。何もわからなくて、気付いたらここにいた。
だけど、その相手に会ってどうするつもりなんだろう。相談するなんて、できるわけない。だってその相談相手の気持ちがわからないで焦っているんだから。
「木下先輩…」
その相手の名前をつぶやく。気持ちが言葉といっしょにこぼれ落ちそうになった。
「なになに、木下先輩っての探してんの?オレが一緒に探してやろうか?」
独り言のつもりだったけど周りに漏れていたみたいで、私は誰かに声をかけられた。
「えっ…あ…その…」
顔を上げてその人を見る。男の人で、髪を茶色に染めて立てているのがあまり良い意味でない方で特徴的だった。
私はその外見から、嫌な予感しか感じられなかった。考えるよりも体が早く反応して、既に後ずさりをはじめていた。
「女の子を放っておくなんていただけないなあ。文句言ってやるよ」
「い…いいですっ、勝手に来ているだけなんで…」
「そう言わずに…あいたっ!」
「また会ったわね、かなめちゃん」
男の人の詰め寄り方に戸惑っていた中、また一人、横から声がした。
「…こ、このみ先輩。お久しぶりです」
そこには男の人の耳を引っ張りながらも、前に会った時のようなやわらかい笑顔を崩さないままの表情のこのみ先輩がいた。
「あんまりこの場所に立ち止まっているとだめよ。こういう男に引きずられることになってしまうからおすすめしないわ」
そう言って、このみ先輩は耳を引っ張るだけで私の前にさっきまでの勢いが無くなっているように見える男の人を差し出してくる。
「何だよ、オレは悪者扱いか…」
「当然でしょう、さっきの声のかけ方はないわ。もうちょっと女の子への配慮を勉強しないといけないわね。ごめんなさいね、この人なんか知らないけど雑誌かなんかに影響されてカッコつけたがるのよ。この茶髪もそう。似合わないことはするべきじゃないと思わないかしら?」
「は、はぁ…」
今度はこのみ先輩の勢いに押されて、私は後に続く言葉もないうなずくだけの返事しかすることができなかった。
とにかく、どうやらこのみ先輩とこの男の人は知り合いらしいことだけは分かった。
「そろそろ耳を離してほしいんだが…」
「あら、ごめんなさい。気付かなかったわ」
このみ先輩がずっとつかんでいた男の人の耳を離す。けっこうな力が入っていたらしくかなり赤くなっている。私の方が心配や申し訳なさを感じるくらいだった。
だけどこのみ先輩は何もそこに触れることなく、手のひらで追い払うジェスチャーをした。
「悪いけど、急用ができたわ。あんたは先行ってなさいな」
「何だ急に…っと、わかりました!帰ります!」
突然その男の人の顔色が変わると、素直に帰っていく。そのタイミングは、顔を私からその男の人に向けた時だった。
な、何が起こったんだろう…後ろ姿しか見えていなかったから、よく分からなかった。
「大人の世界にはね、分からない方がいいこともあるのよ」
再び私に顔を向けたこのみ先輩は、私の心の声を聞いていたかのように笑顔を向ける。
「あ、あはは…」
私も笑うことしかできなかった。
「冗談はおいといて…急用というのはあなたのことよ」
「あ…はいっ」
本当に冗談なのかわからないような気もするけれど。そのことを深く考える間もなく、このみ先輩は話を続ける。
「木下さんを待ってるのね?」
私は正直に待っていることを伝える。するとこのみ先輩の顔が苦いものを含んだような表情に変わった。
「知ってる?彼、けっこうモテるのよ。だけどあなたがいるからなかなか周りの女の子が近づけないみたいなのよ。彼に聞いたけど、かなめちゃんは妹のような存在だって。そのために彼女ができないのは彼のためにならないような気がするわ」
このみ先輩は目線を横にやって一つ息をついて言う。
そういえば人づてとはいえ、木下先輩の気持ちを聞いたのは初めてだ。
でも、あまり聞きたくなかった言葉だった。妹のようにしか思われていないのは分かっていてもショックだった。
思えば、最初に出会った時からそうだったわけだけど…
「だからね、あんまり待ち伏せとかしない方がいいと思うわ。さっきはあのバカが相手だったからいいけど、今度は保証できないわよ?会えたとしても彼への負担になるかもしれないわ」
負担になる、というのは今まで考えたこともなかった。
本当にそうだとしたら…私はどうすればいいのだろう。
「分かりました…」
「うん、よろしい。じゃあ、私は行くわね」
「はい、このみ先輩、また…」
このみ先輩は、私の返事を深く掘り下げることなく冬の風のようにいなくなってしまった。
私自身、今何が分かったのか分からないのに、何に納得したのだろう…
この話を聞いている限りでは、木下先輩が私に特別な感情を持ってくれてはいないということみたいだけど、だからといって私が諦められるかというと…
「わかんないなぁ…」
誰にも聞かれることない言葉を、私はつぶやいた。
「何が分からないんだ?」
…どうやら、誰にも聞かれることないという部分はすぐさま前言撤回しなければいけないみたいだった。
「木下先輩…」
「もしかして…待っていたとか」
「うん!ちょっと話したくて…」
だけど木下先輩は私の言葉をさえぎって。
「悪いけど」
空気の流れが一旦止まったような感覚。先輩は一つ息をついて言った。
「しばらく近づかないようにしてほしいんだ」
それは、私が今一番恐れていた言葉。
後の言葉は、何も聞こえてこない。聞こえてくるのは、降りはじめた空の涙の音だけ。
誰か、この苦しみを取り除ける方法を、おしえて。