あなたの名前はウサギさん
錬と桜梅は駅前まで歩いて来る。
「あの……放してくださいませ……」
「うん? あ、ごめん」
錬は顔を長い髪でできるだけ目元を隠して空っぽのもう一本の手で口元を隠している桜梅の手を放した。
「ありがとうございますわ」
「何が?」
「あの場から連れ出してくれて」
「その事か……言っとくけどあれはお前のためじゃなくてアイツらのために藍生さんを連れ出したの」
「そう、そうですわね」
桜梅は刹那悲しそうな顔をする。
「さて、藍生さんはどうするの?」
「何がですの?」
「帰るのかって事」
「帰りますわ。今から迎えを呼びますわ」
「何分くらいで来る?」
「三〇分くらいですわね」
「じゃあ一緒に待ってるよ」
「はあ!? 別にいいですわ!」
「そうはいかない。藍生さん、この時間この駅にいた事ないだろ?」
「そうですけど……」
「それなら一緒に待つよ。藍生さん、可愛いから変な輩に絡まれそうだし」
「大丈夫ですわ。もう高校一年生ですわよ」
「いや、大丈夫じゃないね。守ってあげるよ。藍生さんが傷付くのは見たくないからね」
桜梅は顔を赤くしている。今日は顔がかなり熱くなると桜梅は思いながら頷く。錬は満足気に微笑む。それが桜梅の体を加熱する。
「わかりましたわ。ちゃんと守ってくださいませ!?」
「キメラがあるんだから大丈夫だよ」
「そうですわね」
錬と桜梅は駅前の雑踏の中並んで迎えの車を待つ。
桜梅はしばらくして微かに恐怖を覚える。確かに雑踏をよく観察すると軽薄そうな男性の集団、自分をチラチラ見るスーツを着る中年サラリーマン、鼻や口にピアスを空けた少し年上の若者達など桜梅は自分と馴染みのないタイプの者達を見つけていく。錬に指摘されたからそういう人達が目に付くだけか、だが桜梅は一人でもそういう人達を目に付けるだろうと確信を持つ。とにかく目立つから。門限はないが午後六時までには帰宅し、六時を回って学校を出れば学校に迎えに来た車に乗り家まで帰るそこそこの箱入り娘である桜梅からすればそういうタイプの人間は不安を煽り恐怖を覚える。
――――失敗したかな?
錬は後悔と罪悪感を覚える。確かにこの辺にはそういう――錬から見ればチャラい若者やロリコンサラリーマン、不良集団は少なくない。しかし、都会の駅前に比べればやはり少ない部類なのだが慣れていない人間にはこの程度でも奇異に映るのだろう。
「あまりビクビクするなよ」
「ビクビクなんてしてませんわ」
桜梅は強がりを見せる。
「恐いけど守ってくれるのでしょう?」
桜梅に信頼の目を向けられて錬はたじろぐ。
錬はキメラがなくてもそこら辺の人間相手には喧嘩で負けないくらいの運動能力も運動神経もある。しかし、臆病な錬は強いか弱いかわからない相手に喧嘩は売らない主義なのだ。なので、ああは言ったが絡まれたら結構マジで困るのだ。知らない奴の喧嘩の実力ほど喧嘩で恐いものはないと錬は思う。
結局誰にも絡まれないまま桜梅の迎えの車が来た。ロータリーを回り桜梅の前に止まる。
「今日はありがとうございますわ」
「気にするな」
「でも……いいえ、また明日会いましょう」
桜梅は車のドアに手をかけて開けると錬に振り向き極上の笑顔を振り撒いた。錬は不覚にも一瞬見惚れる。
「私が好きな動物はウサギさんですわ」
「はい?」
「だから今から私は銀君の事をウサギさんと呼びますわ」
「あ、そういう」
「それでは」
桜梅は車に乗り込み、車は去る。窓越しに桜梅が錬に向けるは不機嫌な顔ではなくご機嫌な顔であった。