結凛と錬の最初の出会い
黒に支配された生徒会室は結凛がスイッチを押すと明かりで白に染められた。
「それにしても錬君も無茶するなぁ」
それが二人が生徒会室までの間に錬がスケルトンの件を話して、それを聞いた結凛の感想だった。苦笑いだった。結凛は錬に座るように促して冷蔵庫へ向かいながら言う。
「でも、幸いにも錬君のおかげでスケルトンの未解明だった能力がわかったのは大きいな」
結凛は冷蔵庫のドアを開けて中に手を伸ばす。
「ん……?」
結凛は手を止めて眉をひそめた。錬も気付いた――否、思い出した。さっきジュウクが冷蔵庫からジュースを取り出した事を。
「ないな」
「何が?」
「ジュウクお気に入りのジュースだよ。一本残ってたはずなんだけどな~。外国のジュースなんだけど、錬君は知らないかな?」
――――そういえばアイツに渡されたジュースのラベル、外国語のやつだったな。
「それなら俺が飲んだけど、駄目だったか?」
錬は正直に答えた。もっとも、錬はジュウク本人にお気に入りを渡されたのだから駄目って事はないだろうと思い直した。
「来ない奴の飲み物飲んだくらい気にしなくていいよ。それよりあれどんな味なの? 私飲んだ事ないんだ」
「あれ? チョコレート味が一番近いかな、メロンソーダとかコーラとかじゃなくてチョコとかバニラ系統の甘さだった」
「そんな味だったのか」
「美味しかったよ。まさに外国みたいな味だったけど」
結凛は訝しげな顔になった。
――――もしかして俺、アイツと会った事を疑われたのか?
結凛は冷蔵庫の中からミネラルウォーターのボトルを取り出す。
「じゃ、さっさと終わらせよう」
結凛は自分の定位置のいかにも偉い人が座りそうな机の席に着いて黙々と仕事に取り掛かった。錬も流石に仕事をやっている人の側でゲームをする程無神経ではない。つまり錬は暇だった。それを察したのか手を動かしながら結凛は錬に会話を振った。
「そういえば錬君はキメラの扱いは慣れた?」
急に言葉を投げ掛けられて錬は慌てて答えた。
「あ、うん、結構慣れたよ」
「ふふ、だろうね。マーメイドの時もそうだけど妙に手慣れてたよね。特訓でもしたの?」
「いや、何て言うか自分の体を動かすみたいだったから、それにゲームしてるみたいな感覚だったし」
「自分の体を動かす……か。錬君ってかなりシンクロ率が高いんだ。私と正反対だ」
結凛はフッと笑う。
「錬君はもう少し気を付けてね。シンクロ率が高いって事はキメラの傷がそのまま本体の傷になるから」
「それは今日身に染みてわかった」
「下手したら錬君が一番先に死ぬかもね」
「不吉な事言うなよ」
「ごめんね。でも錬君はそれくらいの危機感を持って気を付けなくちゃ駄目だって事」
錬は溜め息を吐いた。確かにこんなにもダメージが自分自身にフィードバックするとは錬も思っていなかったので、今度からあまり軽率な行動を控えようと思った。
「気を付ける」
「よろしい。それにしてもシンクロ率が高いというのも難儀だ」
結凛はしばらく黙って「そういえば」と続ける。
「錬君の能力って何なんだろうね」
「能力? それって通流の硬化とか鶯院の変身みたいな奴か?」
「ん? 金髪野郎の変身が何だって?」
「あ…………」
錬は思わず口が滑った。結凛は立ち上がり綺麗な足取りで錬が座っている長机の席の前に来ると、机に両手の平を乗せて前屈みになり錬の顔に自身の顔を近付ける。
「ちょっと……」
「何で錬君があの金髪の能力知ってるんだ?」
「えっと、いや……」
「ほら言ってみなさい、別に怒らないから」
錬は美形の結凛に迫られても動揺する暇はなかった。必死に頭を回転させてどうするか考えている。一方、結凛は難しい顔をしている錬を見て言う。
「ちょっとその反応は傷付くぞ」
――――別に怒られるのはいい。だけどここで本当の事を言ったら鉄を巻き込むのは明白だけど……。
「わかった、言うよ」
「ほお、随分正直だね」
錬は心の中で真夜に謝罪してから言う。
「確かに鶯院には会ったよ。もっとも、女に変身してる方の鶯院だけど」
「やっぱり会ったんだね」
「この治療は鶯院がやったんだよ」
錬は絆創膏だらけの腕を見せて言った。結凛は顔を離し両手を机から離し、背を真っ直ぐにして両手を組む。
「なるほどな……。どうせ錬君はジュウクに何かで脅されたんだろ? あれは王子様ルックの癖に他人には見せないが腹黒だからな」
結凛は呆れたように言ってから続ける。
「そんな簡単にアイツが錬君の秘密を握れるとは思えないな。何だ、奴の女の方の色香にやられたか? 悔しいが女のジュウクは美人だからな」
錬は内心安堵した。どうやら結凛は何か勘違いしているとわかった。
――――俺の名誉があれだがここはそういう事にしておくか。
「まあそんな感じだな」
「嘘だな」
錬の肯定を結凛は即座に否定した。
「本当だよ」
「錬君はアイツ程度の色香に惑わされないだろ? だって君は臆病なんだからな。臆病な君が誘惑されて何が起こるかわからない事態に身を任せるとは思えない」
錬は沈黙する。結凛の目はまるで見抜くように錬の目を見詰める。
「それがどうした? まるで俺を知っているような物言いだね」
「知ってるさ。少なくとも錬君が臆病なのは知っている」
臆病という言葉は基本的に罵倒語だ。しかし、結凛は馬鹿にしているように錬は思えない。むしろ敬意を表しているようにさえ感じた。
「だから私は驚いているんだ。臆病な君がスケルトンなんていう得体の知れない奴と戦った事にだ」
結凛は少し後ろへ歩き錬が使っている長机の向かい側の長机の上に座り足を組む。
「一見錬君は臆病に見えない。少なくとも桜梅と通流はそう思ってないだろう。だってアイツらの前では錬君は果敢に悪魔達に立ち向かったんだからな。だけどよく考えてみたら錬君は初手に不意討ち、その次は観察だろう。臆病者の行動だ。じゃあ、なぜ錬君はヴァンパイアとマーメイドを倒せたか? そんなのは簡単だ。ヴァンパイアとマーメイドが錬君より弱かったからに他ならない。そうでしょ?」
錬は結凛を冷めた目で見詰め、溜め息を吐いた。
「そうだよ、俺は結構ビビりだよ。よくわかったね。それで何、探偵の真似事?」
「まあまあ、怒らないでくれ。別に錬君を馬鹿にしているわけじゃないから。つまり錬君は相手が弱いと思ったから真正面から戦ったんだろう? それをスケルトン相手にもしたわけだ。自分より弱いと確信したから挑んだ。しかし返り討ちにあった」
錬は内心笑う。あまりにも正解だが的外れな結凛の推理に。
「だがこれも違うな。錬君が戦った理由はそれではないな」
錬は結凛の顔を見てゾクッとする。結凛のその顔は喋りと声色の割にあまりにも乙女めいていた。
「錬君がスケルトンと戦った理由は友達を助けるためだった」
そして結凛の微笑みは目が釘付けになるくらい魅了的。
「正解かな?」
「よくできた推理だな」
「推理じゃない、考察だよ。たぶん私は錬君が思っているより錬君を知っている」
錬は黙る。結凛は長机から立ち上がり歩き回りながら言う。
「私は錬君が高校になる前に二回会っているんだ。正確には一回はただ私が見ただけなんだが。最初に見たのは君が友達の鉋高貴だったかと一緒にいた時だ。錬君と鉋は中学時代からの付き合いだそうだな。君達がどういう折りで知り合ったか私にはわからないが、まあそこはあまり重要ではないな。そんなあくる日、錬君と鉋が不良に絡まれたのを覚えているか?」
「覚えてないな」
「不良に絡まれてんだから覚えてないなんてないでしょ」
――――あり過ぎてどれか全然わからないんだよ。
錬と高貴の出会いは中学二年生の夏である。当時やっていたネットでのゲーム仲間だった二人は同い年で家が比較的近いという事もあり二人だけのオフ会を開き、結構ウマが合いリアルでの付き合いもそれなりにあった。錬が高貴の通う学園に入学したのは偶然だったが。そんな中学時代の高貴は口が悪かった。今も悪いがもっと悪かった。それでそこら辺の不良に悪口を吹っ掛けるのは日常茶飯事で錬はそれに巻き込まれるのは常だった。そして絡まれる。そんないつもの一幕を結凛は見たのだろうと錬は思ったが、どの一幕かはわからない。
「まあそんな不良に絡まれた鉋を錬君は庇って喧嘩しただろう?」
「したかもね」
「殴られるまで怯えていた君が殴られた瞬間余裕の表情になって返り討ちにしたのは傑作だったね。つまりあれって自分より弱いと確信したからやり返したんだろう?」
「お前がそう言うならお前の中ではそうなんじゃない?」
結凛はそんな錬の嫌味にも臆せず言う。
「じゃあこれはそういう事にしておこう」
結凛は余裕そうな表情だった。おそらく確信の域なのだろう。
「二度目に会ったのは蘭鳴学園高等部の入学試験の日だった。私は用あって高等部の方へ来ていたんだが――まあ雑用だったんだがね。それで私は高等部へ来たんだからという事で雑用を終えたら迎えの車を振り切り街へ繰り出した。テキトーに街をブラブラしていたらゲームセンターの前でいやはや不良に絡まれてしまってね。その時周りは見物しているだけだし自分でどうにかしなければいけなかったんだけど、恥ずかしいがそういう事になったのは初めてで恐くてね。その時ちょうどゲームセンターから錬君が出て来るじゃないか。助けてくれると思って目を向けると目が合ったらちょっと怯えた目でその場から逃げたのはもっと傑作だった」
――――そっちは覚えてる。
錬が蘭鳴学園高等部の入学試験を受けた日、錬は試験を終えるとゲームセンターでゲームをした。そこから出ると結凛が言う件の場面に出くわした。そして逃げた。
「あの後執事に助けられたから事なきを得たけどね。私は疑問に思った、なぜ強い君が私を助けなかったのか。正義の味方なら私を助けなかった事に説明が付かない、しかし卑怯者で臆病者だと鉋を守った事に説明が付かない、それで結論が出た。それは簡単で当然の話だった。臆病者な錬君は友達のために動いただけだった」
結凛は窓の外を見てから確認するように錬へ顔を向けた。
「だから錬君はスケルトンに襲われた友達を助けたのだろう? ダークフェイスな鉋か、ビューティフェイスな鉄か、プリティーフェイスな鈍かはわからないけど、普段なら絶対相手にしない未知の敵から友達を守るべく戦ったんだ。自分より弱いと確信していない敵と戦わざるを得ない状況だった。そしてここまで考えてわかった。錬君は今、キメラの素質を持った友達を私に知られないように守っているってね」
――――おいおい何てぶっ飛んだ観察力だよ……。普通そんなよくわからない材料で正解にたどり着くか? こいつ完全に頭可笑しいよ。
錬は戦慄した。つまり結凛が見たのは人柄だった。
「私の特技を教えてあげるよ。親の教育で私はとても人を見る事に優れているんだ。これだけ材料があれば錬君の事なんて筒抜けだよ」
錬は溜め息を吐いた。
「当たりだよ、結凛の言う通りだ」
錬はジュウクとの間に起こったあらましを説明した。結凛はそれを聞いて口を開く。
「まあ……錬君の友達に関しては手を出さないよ。元々生徒会の枠は五人だし、そもそも錬君以外には興味ない」
「俺の友達に関わらないならいい」
「ふふ、錬君には嫌われたくないしね」
結凛は心の底からそう思っているように言った。
「そういえば結凛は仕事終わったのか?」
「そんなのとっくに終わってるよ」
結凛は悪戯めいた笑みを零した。
「そうじゃなきゃわざわざ立ち上がって錬君と喋らないよ」
「あれプレッシャーかけてるのかと思った」
「そう? ごめんね」
「別にいいよ」
結凛は嬉しそうにバッグを持つ。
「さあ、帰ろうか。家まで送るよ」
「じゃあお言葉に甘えようかな。腕痛いし」
錬もバッグを持ち、二人は生徒会室から出た。暗い廊下を通り玄関口で靴に履き替える。正門では高級そうな車が一台止まっている。錬は結凛に乗るように促されて車に乗ると運転席の人に睨まれた。
「室井、錬君を家に届けてから帰って」
結凛が室井と呼んだ運転手は「御意」と一言だけ言って車を発進させた。
「ジュウクに逃げられたのはムカつくが錬君と喋られたのは不幸中の幸いだった。幸い八割くらいで」
「不幸添え物か」
「不幸が添え物なら幸せだよね」
結凛は顔を赤らめているが錬は車内が外から明かりだけのため気付かない。
「本当は私が一番先に錬君と二人きりで喋りたかったんだけどね。結局私が最後だったよ。まさかジュウクに先を越されるとは思わなかったよ」
「俺と二人きりで? 何で?」
「それは別にいいでしょ。あえて言うなら錬君の事が気に入っているからかな」
「結凛に気に入られる理由がわからない。俺はお前を見捨てた男だろ?」
「それはまだ私が錬君に守ってもらえる価値があると思われてなかったからだろう? それなら今度は守ってもらえるといいな」
「努力するよ」
「ふふ、ありがとう」
しばらくすると二人を乗せた車は錬の家の前に到着した。結凛は窓から家を見た。庶民の家にしては土地が広く家も大きいが資産家の家という印象を受けない。しかし独特の造りをしているような感じはした。
錬は車のドアを開けて外に出た。
「結凛、今日はありがとう」
「いいよ、気にしないで」
結凛は申し訳なさそうだが自然に笑みを浮かべた。
「やっぱり結凛の笑顔は惚れそうになるね」
「口が上手いな錬君は」
「事実だよ。あ、そうそう」
錬は思い付きか忘れたのを思い出したように続ける。
「結凛がさっき言ってた俺が臆病っていうの」
「うん?」
「結凛の考察は大体九〇点だよ。じゃあね」
錬は無邪気な笑みを魅せて踵を返して家へ入っていく。それを見送りながら結凛は思った。
――――君の笑顔の方がヤバいよ……。
結凛は背もたれに背中を預けて熱くなった顔を薄暗さに隠れているにも関わらず片手でさらに隠した。