ファンタジーの始まり
蘭鳴学園。初等部、中等部、高等部のエスカレーター制私立学校で都内にそれぞれ広大な敷地を有している。
そして舞台は蘭鳴学園高等部。初等部、中等部、高等部の中で一番広い面積である。敷地内には通常の学校が持つ校舎、校庭、グラウンド、体育館はもちろん、森や大きな池などもある。
そんな蘭鳴学園高等部一年生――銀錬は夜の学校をさ迷っている。
「最悪だ……」
錬は呟いた。
四月も残り三日の今日はやはり夜になるとまだ少し肌寒く、錬は学校指定の冬服をキチンと着用している。
錬は玄関口から校庭を挟んで校門を見ている。校門前には1人の男が見張るように立っていた。
否、それを男と言っていいかわからない。
――――いや、男だな。
錬がそう判断した理由は頭のある物を見ての事だ。それはツノ。
アジア最大のカブトムシであるコーカサスオオカブトのトライデントのような三本の大きなツノが頭と両肩に生えている。さらに、ライオンのオスのようなタテガミ。
その姿は異形。人型のように二足歩行で立つそれは頭のコーカサスオオカブトのツノを始め、ライオンのような頭と体、その背にはカブトムシの上翅、そして四本の手。まさに正にコーカサスオオカブトとライオンを合成したようなモンスターが二足歩行で校門の前に立っているのだ。
――――本当に何だよ、あれ……。勘弁してくれよ。
臆病な錬にモンスターの脇を通って校門を通る勇気などない。しかし、実は今も校内で別のモンスターから逃げて来た後で、やっと脱出できると思ったら出入口も塞がれていた。つまり、前門も後門もモンスターで八方塞がりなのだ。
錬は校門のモンスターに見つからないように玄関口の横の植え込みに隠れながら移動した。目指すは裏門。
錬はビクビク身を屈めている。すると、すぐ横の校舎から音が聞こえた。壁を隔てているため錬からは見えないがヘビのような生物のシュルシュルという音が廊下を這っている。
――――まだ、いるのかよ。
錬は校内のヘビらしき音が自分の位置を追い越すまで息を潜めて止まっている。しかし、ヘビらしき音は錬の意に反して、錬のすぐ横で止まった。
――――まさかバレたのか!? こっちからは見えないけどそっちからも見えないはずだろう!?
錬はヘビに睨まれたカエルのように身動きが取れない。正確には動いて逃げるべきか、このまま動かずやり過ごすべきか判断が付かないため、結局動けないという選択を取ってしまっている。
何秒何分だろうか。錬も壁の向こうのヘビのような音も動かない。まるで、錬が動くのを待つように……。
――――早くどっか行け。
もしかして、もう壁の向こうには何もいないのではないか? そういう思考を錬は持てない。ひたすら壁の向こうに現実か幻覚か、何かの気配に集中している。
だから、錬は地面に着いた手に触れた冷たい感覚に体が跳ねた。大きな息を吸う音が響き渡る錯覚に囚われる。錬は激しい動悸と乱れた呼吸で手元を見る。
そこにはヘビ。
錬には何の種類のヘビかはわからない。しかし、ミミズのように小さくはない。どちらかというと想像するような大きさのヘビ。
――――何でこんなところにヘビがいるんだよ!
錬にヘビを掴めるような度胸はない。だからといってこのまま毒ヘビかどうかもわからないヘビが周りを這いずり回っているのも心臓に悪い。それに今の出来事で壁の向こうの気配が消えてしまった。本当にいなくなったのか、それともまだいるのか?
その時、壁の向こうから数多のヘビが壁をすり抜けて這って来た。
「ひっ……」
錬は声を漏らしてしまった。もはや動かない動けないではない。逃げなければ咬まれる。錬はモンスター達にバレるだろう事を承知で立ち上がり走り出した。植え込みを飛び出して、裏門まで突っ走る。
カブトムシとライオンの合体モンスターには幸運にも気付かれる事はなかった。しかし、これは錬が後でわかった事だが不運だった。
ヘビを振り切り裏門までたどり着いた。
「はぁ……はぁ……ヤバイな」
錬は裏門には何もいない事に安心を感じた。後は裏門から出て校門を回避して歩くだけ。
「はあ!?」
しかし、錬が走って裏門を通ろうとした時、ガシャンッと裏門が一人でに閉まってしまった。
「くそ!」
錬は門扉を上って脱出を謀ろうとした。門扉の高さは錬の胸元程度、上れない高さではない。錬が門扉に手をかけると手にネバ~とした感触。手を見ると透明の粘液が手に付着していた。
「き、気持ち悪!」
錬が手を振って粘液を落とそうとする。門を見ると門扉に透明の粘液がタラ~。見ると扉門の上から大型トラック程の高さがある三つ首の犬が中を覗いていた。
「う、うわあぁぁぁぁ!」
錬は恐怖のあまり悲鳴を上げると、尻餅を着いて後ずさった。三つ首の犬は門扉に前足を乗せて潰すと、中へ入り、錬の元へゆっくりゆっくり近付いてくる。錬は涙を流してそれを見上げるしかない。
「ワルキューレ、行け!」
錬がまさに食べられそうになった時、ハスキーな女子の声が響いた。
女子の声に命ずるままに錬の横を、オオカミの耳と尻尾、白銀の翼を持った襟足が長い黒髪で剣を持った美女が通り過ぎて三つ首の犬へ果敢に向かって行く。
「あ、あれがワルキューレ?」
錬は恐怖を忘れて、ワルキューレと呼ばれたコスプレしている美女に見とれながら呟いた。
「大丈夫か? 一年五組の銀錬君」
錬は背後からの女子の声に振り向いた。
そこには襟足を伸ばした感じのさらさらしている黒髪、男装の麗人と呼べるだろうが間違いなく女として美人な――先程のワルキューレと呼ばれた美女と同じ容姿の女子がいた。
錬はこの女子を知っている。錬と同じく一年生にして生徒会会長となった女子生徒。名前は――――
「灯磨結凛さん?」
「ああ、灯磨結凛――君の味方だ。どうだ、立てるかな?」
灯磨結凛は錬に手を伸ばした。
「大丈夫だよ、灯磨さん」
錬は灯磨結凛の手を取らずに立ち上がった。灯磨結凛はハンサムな笑みを浮かべる。
「ふふ、強情な奴め。ところで銀君はあの三つ首の大きな犬の奴とオオカミ耳という随分マニアックな女――ワルキューレというんだが見えるのか?」
「見えるけど……それがどうした?」
錬は素直に答えると灯磨結凛は思案するように難しい顔になる。
「ふむ……」
一方、三つ首の犬と灯磨結凛に似たワルキューレの戦闘は拮抗しているようだ。
「ねえ、灯磨さん、あれは大丈夫なのか?」
錬はモンスター達の戦闘を見て灯磨結凛に言った。
ワルキューレの大きさは灯磨結凛と同程度。一方、三つ首の犬は大型トラック程度の大きさだ。あの体格差で拮抗しているのは凄いが勝てるかは微妙に、錬には見える。
「確かにちょっとヤバいな。ワルキューレと互角か」
灯磨結凛がそう言うと
「ふむ……」
どうやら灯磨結凛を三つ首の犬を観察しているらしい事は錬にもわかった。
「ワルキューレ、上だ、背後を取れ!」
しかし、ワルキューレは翼を羽ばたかせて空を飛ぶが三つ首の犬は背後を取らせる気はないらしく、ワルキューレが地上から空中で対処するようになっただけだ。
「案外隙がないな、コイツは!」
灯磨結凛の言う通り三つ首の犬も馬鹿ではないのか、ワルキューレの動きに対応している。
「銀君!」
灯磨結凛に突然呼ばれて錬はビックリする。
「な、何?」
「アイツを倒すにはどうしたらいいと思う!?」
――――知るか!
そう言おうと思った錬はこらえて少し考えてから投げやりに言う。
「援軍とかは?」
「なるほど、名案だ!」
灯磨結凛は褒めるような微笑みを錬に投げた。錬はその笑みにドキリとする。
「銀君、今から私の能力を見せてあげよう」
灯磨結凛がそう言うと、彼女を中心に半径三メートル程度が光る。すると、そこから二人の人間が現れた。
一人は男。坊主頭より髪が少し長い程度の髪、一九〇センチメートルは越えるであろう身長に鍛えられた大柄。
もう一人は女。長い黒髪を姫カット、小学生のようなルックスはアンバランスにも胸だけが立派な美少女。
共に錬と灯磨結凛と同じ蘭鳴学園の制服を着ている。
「生徒会副会長の金剛倉通流と生徒会書記の藍生桜梅か?」
錬は驚いた風に言った。
「どうだ銀君! これが私の能力《召喚》――痛い!」
灯磨結凛が話している最中、藍生桜梅がその頭をバシと叩いた。
「結凛ちゃん、一般人の前で無闇やたらに能力を使っては駄目ですわ!」
「待って、桜梅! 銀君にはキメラが見えている!」
灯磨結凛の言葉に藍生桜梅は「はあ!?」と返す。
「待て桜梅、どうやら結凛の言葉は本当みたいだぜ?」
金剛倉通流が呆れながら灯磨結凛をフォローした。
「え!? この人、見えていますの!?」
「そう言ってる! とりあえずお前ら力を貸せ! あのワンコ結構強いよ!」
灯磨結凛の言葉に二人は同意すると、二人の体から何かが出る。
藍生桜梅からは下半身がヘビで上半身が人間の美女のようで、髪の毛はゴルゴンのようにヘビ、両手首から先にバラの花が生えており、そこから体中に茨が体を巻いている。
そして、錬は金剛倉通流の体から出たものを見て叫ぶ。
「コ、コイツ、校門前を見張ってたカブトムシ(っぽい何か)じゃないか!」
よく見ると、藍生桜梅から出たモンスターの髪のヘビも先程見たヘビだった。
「本当に見えていますわ……」
桜梅は信じられないという顔で錬を見る。
「それで結凛、俺たちはどうすればいい!?」
金剛倉通流の言葉に灯磨結凛は不敵に微笑む。
「何て事ない。いつも通りだよ」
灯磨結凛はそう言うと、うって変わって錬に可愛らしい笑顔を向ける。
「待っててくれ、すぐ終わらせるから」
すると、灯磨結凛は二人に指示を飛ばしながら、三人は三つ首の犬と戦闘に入った。
そして、錬はその隙にその場から逃げ出した。