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第二章 凪の日 File-1

 大騒ぎして買ってきた肥料は無事撒き終わった。実直にレジーナに質問に行ったソラの報告を受けて、ロビンは女王様から大いにお叱りを受けたらしい。そんな緩い空気の中で、整備が終わった小型飛空艇バードをアウルも何度か試運転した。

 最前線(海辺)とは思えない穏やかな日々だ。ソラは訓練の合間にもちょくちょく裏庭へ行き、りんごの様子を見ている。育ちきった木に大した変化があるわけでもないし、アウルがいないときにはソラは草むしりもためらっているようだ。

 そうとわかっていても相手をしていられないほど、アウルは忙しかった。地下の訓練施設で行われる耐G訓練、小型飛空艇バードの構造を理解するための座学、シミュレータでの訓練を繰り返す。実機を使った訓練も徐々に増えていた。のんびりとした基地の雰囲気に反して、レジーナから要求される内容はかなりのスパルタだ。面と向かって言われたわけではないが、一刻も早く戦力になってほしいという意志を感じる。

 そんな風に二週間ほどが過ぎたある日、訓練から戻ってきた小型飛空艇バードを見上げながらスパタがふと眉根を寄せた。

 訓練を終えた小型飛空艇バードは、カワセミのような青緑の光沢を持った身体をまどろむように休めている。機械であるはずなのに妙に生体じみた、人工筋肉と流体金属で構成されたその機体に、アウルは未だに馴染めずにいた。

「凪だ」

「凪?」

 さっきコールが出力してくれた訓練時のデータから目を上げて、アウルはその呟きに問い返す。確かに海は凪いでいたが、余計なことを口にしないこの整備班長がわざわざアウルに聞こえるように呟いた理由が気になった。

「嵐の前の凪という奴だな」

 スパタにしては親切かつ饒舌な回答だ。その不穏さにアウルは眉根を寄せる。

「こいつが来ると、次に来るのは神人だ」

 スパタの視線が流れた先を、アウルも見やった。鏡のように凪いだ海。中天にかかる太陽が、その水面を銀色に染め上げている。崖っぷちに設置された射出台カタパルトからの眺めは広々と美しい。けれどそれは、ひどく不吉な眺めでもあった。

「今夜辺り覚悟しておけよ、小僧」

 スパタはそう一方的に告げると、アウルの返事を待ちもせず小型飛空艇バードの整備を開始する。

「今夜、か」

 経験豊富な年長者の言うことは聞いておくものだ。アウルはこの後予定していた自主訓練のスケジュールを頭の中で並べ替え、夜に疲れが残らないように調整することを決めた。


 そしてスパタの予想通り、一八○○(ヒトハチマルマル)にはクラーヴァから出撃の要請が入った。

『座標は確定できてないんで、上空で待機をお願いします』

 軍隊らしさとは無縁な口調で、クラーヴァが無線から告げてくる。通信兵だけあって発声はしっかりしていて聞き取りやすいのに、どこか芯がない声だ。人員の足りないこの基地では、索敵もクラーヴァが担当しているらしい。管制はコールだ。機械音声のような淡々とした声に導かれて、アウルは初めて訓練ではなく空へと上がる。

 隊長機はソラの方だった。アウルは僚機として彼女に追従することになっている。アウルより先に飛び立ったソラは、悠然と基地上空を旋回していた。優美なカモメのような飛び姿だ。未だ不慣れなアウルよりも遙かに風を掴むのが上手い。正直なところ、現状では彼女の足を引っ張らない自信はあまりなかった。

 それでもコールの指示に従って訓練通り飛び立ち、ソラの斜め後ろについて編隊を組む。他に飛べる人間はいないのだ。

『地上ってあんまり見たことなかったです』

 ソラがとても任務中とは思えない気の抜けた通信を寄越す。下界には確かに羊が草を食む草原が市街地まで広がっていた。旋回している間に二羽の小型飛空艇バードは草原の上と暗く静止した波打ち際を行きつ戻りつする。

「……だろうな」

 一人だけ緊張しているのも馬鹿馬鹿しく思えて、アウルは短くそう返した。

『アウルさん、植物が種から生まれて、種が花から生まれて、花が植物から生まれるなら、最初の命はどこから来たんですか?』

「卵が先か鶏が先かなんてまた哲学的な話を……」

 この緊張感のなさにも慣れなければならないのかと思うと、ため息しか出てこない。

「知らねえよ。俺が見てきたわけじゃねえからな」

 飛ぶことに注力しすぎて、アウルの返答はそっけないものになってしまう。コクピットに乗っているのではなく、自分自身が鳥になって手足のように翼を操る感覚には、まだ慣れることが出来ていなかった。

「まあでも、海からとか聞いたことあるな」

 緊張しすぎだと自分を叱咤して、アウルは若干気まずい気分で付け足す。

『最初の命は、海から……』

 羽ばたきを止めてゆっくりと旋回しながらソラは呟いた。まるで何かを確かめているような口調だった。

『海洋回帰教……ですね……』

「それは知ってんのか」

 どうもソラの知識がどこからどこまでなのかわからない。

『レジーナが言ってました。海洋回帰教の教えは耳を傾けるに値しないって。でも、命が海から来たっていうのは、海洋回帰教の教えと同じ』

 女王様の教育方針がおかしいのか、と結論づけて、アウルは一つため息をつく。

「命が海から来た説があるってのは宗教じゃなくて科学だ。命は海へ帰るべきってところが宗教なんだよ」

 あまり頭を使っている余裕もなく、アウルは思いつくままに話していた。

『そうなんですか?』

 問い返すソラが宗教や科学の概念を理解しているのか、そこまで思いやる余裕もない。

「事実はああしろこうしろなんて言ってきやしねえ。ああしろこうしろって言うのは人間だ。宗教は人間が作ったものだからいちいち指図してきやがるんだ」

 そこまで言ったところでこの会話も記録されているのだと思い出して、アウルは舌打ちした。

(ったく、早く慣れないとダメだな、これは)

『アラウダ、アルバトルス、目標を発見しました』

 クラーヴァの声だ。空の上にいる間は、地上の人間はアウルとソラのことを機体名で呼ぶ。声と同時に情報が転送されて、視界に海図と目標を示すマーカーが表示された。

『行きましょう、アウルさん』

 ソラが羽ばたき、迷いなく目標地点へ機首を向ける。作戦を打ち合わせる必要はない。既に何度も訓練を重ねているからだ。それでも上手く行く保障はないが、今さら言葉を重ねるのもまた無意味だった。

 陸に背を向けてしまえば、視界に映るものはただ海と空ばかりになる。まっさらに凪いだ海には、白い波頭も見えない。残照の消えた空の黒を映すばかりの、深淵へ続く鏡だ。

 海と空、二枚のグラデーションを貼り合わせたような現実感のない風景の中で、前を飛ぶソラの翼の羽ばたきだけが生命を感じさせる。小型飛空艇バードが生きているはずもないのに。

 凪いだ海は静かな緊張感に満ちていた。羽が風を切る音と、羽ばたきの音。腹の底から響く、通常のエンジンだとはとても思えない弦楽器のような低い響きの駆動音。ただ、それだけだ。海は静まりかえっている。

 この空気はアウルも知っている。神人と戦うのは、これが初めてではないから。澄み渡った海上を満たすのは殺意だ。人間の温度のある殺気とは違う、冷たくまとわりつくような、水の殺意。

 ソラが一直線に目指す水平線上に、淡い光が見えてきた。漆黒の海を染める青い燐光は、ぞっとするほど幻想的で美しい。その光る水面が、ゆっくりと盛り上がる。波は立たない。ただ凪いだ海が静かに静かに持ち上がり、不格好な人の形を作っていく。遠くからはひどく緩慢な動きに見えるが、実際にはものすごい速度で動いているはずだ。天を突くほどの巨人が立ち上がる。樽のようにずんぐりとした胴体に、ボウルをひっくり返したような形の頭。首にあたる部分はなく、ひょろりと伸びた腕だけが細い。全身は透明な水で出来ていて、所々に浮かんでいる青い燐光の塊を除けば向こうが透けて見えるほどだ。

 かつて対峙したときのその偉容を思い出しながら、アウルは緊張している自分をなだめようとしていた。使い慣れたカタリナを駆っていてさえ、あれとの戦いは絶望的だった。この、未だ慣れない機体で戦うことが出来るのか。操縦桿の手触りもコクピットの外殻に守られている感覚もなく、まるで生身で飛んでいるようでひどく心許ない。戦力的にカタリナよりもこちらの方が強いのだとわかっていても、無防備なまま神人の前に放り出されるような不安感は払拭できなかった。

 なんとか平静を取り戻した頃には、山のような巨体が目前まで迫っていた。顔のない巨人が、全身の気配でこちらを『見る』。今まで培ってきた経験と勘だけが根拠だが、アウルはそう確信した。同時に機首を巡らせる。アウルは左へ、ソラは右へ。細い腕が何かを求めるように二羽の鳥へ差し伸べられる。光る水が迫るのを、アウルは機体をひねって簡単に躱す。神人の動きは決して早くはない。巨体故に末端の速度は大きいが、予備動作が大きすぎるのだ。光る水に触れさえしなければ、問題はない。

 ――問題は。

 神人を構成する水に浮かぶ燐光が、集っていくつもの青白い形を作る。大きく広がる翼、流線型の胴体。頭もなく無機質な、つまり人が作った戦闘機の形をした水だ。アウルが生まれる前に作られていた旧型の複葉機、今でも現役の爆撃機、そしてカタリナの同型機もいる。もちろん、人間のパイロットが搭乗しているわけがない。それらは幽霊機(ゴースト)と呼ばれる、神人の護衛だった。彼らは恐らく、海に落ちた物体を模倣している。その動きすらも、まるで生前のパイロットの記憶をなぞっているかのようだ。

 アウルの役目は、攻撃役(アタッカー)であるソラが神人の核を抜き取り、自壊処理命令(プログラム)を流し込むまで幽霊機ゴーストと遊んでやることだ。本体の神人を撃退しない限り、幽霊機ゴーストたちは無限に湧いてくる。

 ソラの動きを視界の隅で把握しながら、アウルは最初に出現した幽霊機(ゴースト)を機銃で撃ち墜とした。機体の制御以外は慣れた仕事だ。攻撃役に幽霊機(ゴースト)の注意が向かないよう飛び回りつつ、相手の隙を突いて撃墜する。これまでの訓練と経験の蓄積が役に立つ。後は攻撃役(アタッカー)が神人を上手く仕留めてくれることを祈るのみだ。

 ソラの飛行技術は信頼出来る。あとは彼女に神人の『核』へ弾丸を到達させるための道筋となる『波間』を見つける『目』があるかどうかだ。

 たぶん、あるのだろう。どんなに経験を積もうとも、見えない奴には見えない。アウルもほぼ『見えない』側の人間だ。だからこそアウルは今までも、そしてこれからも防御役(ディフェンダー)としてやっていくしかない。しかし攻撃役(アタッカー)がいなければものの役に立たない防御役(ディフェンダー)と違って、ソラは今まで一人でこの海域を守ってきている。この、近づいてしまえば全貌を視界に収めることすら困難な、巨大な神人を相手に。

 ソラはゆったりと羽ばたきながら、神人の周囲を旋回していた。戦闘中とは思えない優雅な機動だ。その軌道上に浮かび上がった幽霊機(ゴースト)へ、アウルは鋭角の旋回で飛びかかる。二世代ほど前の型式の戦闘機だ。あの形の戦闘機に乗って沈んだ戦友はいない。機銃の掃射が容赦なく幽霊機(ゴースト)の翼を舐めて、飛び散った水が海へと落ちていく。

『見つけました。援護を』

 頭の中に声が響くと同時に、ソラの動きが変わる。ホバリングの要領で空中にとどまったソラは、見つけた『核』へ向かうタイミングを測っているようだ。静止した目標へ向かって集まる幽霊機(ゴースト)をすれ違いざまに撃墜し、それに反応してアウルの方へ向かった幽霊機ゴースト数機をそのまま引き付ける。ソラが見つめる視線の先に、邪魔者はもういない。

 新手の出現に半分意識を配りながらも、アウルは幽霊機ゴーストの機銃を避けて翼をひねる。急速に上昇、そして落下。視界の端でソラが大きく羽ばたく。矢のように真っ直ぐ飛び出すその軌道を見送る暇もなく、アウルはまた空中に円を描くように上昇した。強烈なGに視界が暗くなり、反転して落下すると同時に赤くなる。幽霊機ゴーストの執拗な追撃は止まない。

『アウル、離脱して!』

 頭の中にソラの声が響いた。とっさに叫んだせいか、敬語が抜けている。アウルは無理矢理翼を畳み、失速した落下速度を利用して海面すれすれで機首を起こし、固定翼仕様(エアプレインモード)に移行した。そのまま速度を上げて離脱する。背後から神人の咆吼が轟く。

 ソラは上手くやったようだ。海鳴りのような轟音が背後から迫り、高度を上げた腹の下を海のうねりが通り過ぎていくのと同時に、アウルを追いかけていた幽霊機ゴーストの気配も消える。海面を覆っていた青い燐光は、神人の咆吼が弱まるのと同調するかのように光度を減衰させていき、やがて暗い淵に呑み込まれていった。

 後にはただ、鏡のように凪いだ暗い海だけが残る。

「任務完了、か……」

 結局ソラは、超音波探信儀アクティブ・ソナーすら使うことなく神人の核を見抜き、しかも一撃でそれを狩った、ということだ。今までアウルが経験してきた戦いとは次元が違う。それだけに、こんな辺境の最前線《海辺》に彼女が配置されている理由がわからない。

『アウルさん』

 固定翼仕様エアプレインモードのまま飛ぶアウルに追従しながら、ソラはまだ羽ばたいていた。

『ありがとうございます』

「何がだ」

 幽霊機ゴーストを引き受けたことに対しての礼なら、お門違いも良いところだ。こんなのはただの仕事に過ぎない。

『一緒に飛んでくれたこと』

 続く言葉にどう反応して良いかわからなくて、アウルは無言のまま神経接続を切って手動モードに切り替えた。コクピットに座って、自分の手で飛行機を動かす。この距離感の方が、アウルは落ち着く。

『一人じゃない方が、やっぱり良かったです』

 そうだな、俺もだ、と、アウルは心の中だけで返す。

 あんな飛び方をこの少女が一人でしてきたのかと思うと、責任者は誰だと叫んで出てきた人間をぶん殴ってやりたいような気分だった。

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