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第一章 小鳥の巣 File-3

 File-3


 朝食後、ソラに案内されたのは、格納庫ハンガーから隠し階段を降りていった先にある地下の施設だった。地上の僧院と違って、コンクリートが剥き出しの人工的な冷え切った地下室だ。素っ気ない階段を、前時代的な薄暗い蛍光灯の明かりを頼りに降りた先で、ソラはまるで独房に続いているような明かり取り一つない扉を押し開けた。

「シミュレータはこの中です」

 アウルに中へ入るよう手で示したソラは、すぐに扉の脇の廊下から奥の階段へ向かって行ってしまう。アウルは仕方なく示された扉を抜けて中へ入り、辺りを見回した。

 三階建ての建物がすっぽり収まりそうな部屋の中には、確かに中央にいたときにも使った覚えのあるシミュレータに似た装置が鎮座している。巨大な箱形の装置は機体の姿勢を再現するために上下に動く三本の足の上に載せられていて、乗り込むためには狭い足場に登らなければならない。

 部屋を見下ろせる位置にコントロールルームからの小窓が開いていて、その向こうのコンソールを難しい顔をしたコールが操作していた。

『準備は出来ています』

 コールはコンソールから顔を上げることもなく、素っ気ない調子でそう言った。天井のスピーカーから聞こえた彼女の声が部屋に反響する。その背後から、ソラが顔を出したのが見えた。裏の階段から上ったのだろう。

『やり方はこちらで指示します。まずは通常のシミュレータと同様に着座してください』

 機械の音声案内を聞いているような気分になりながら、アウルは言われたとおりシミュレータの中へ入り、シートに身体を固定させた。入り口が自動で閉ざされ、視界が闇に沈む。

『神経接続は初めてですね?』

 やはり音声案内のような淡々とした調子で、コールがシュミレータ内のスピーカー越しに問いかけてきた。

「ああ」

『慣れない方の場合気分が悪くなる可能性がありますが、基本的には耐えてください。慣らさなければ慣れませんので』

 アウルは思わず閉口する。音声案内より人間味は感じるが、それにしたってひどい言いようだ。

『コネクタは頸椎点に接続してください』

 嫌われているのかと疑いそうになるくらい冷淡な口調で指示されながら、アウルはシートの後部から伸びた、妙に有機的で直視すると生理的嫌悪感を覚えそうなコネクタを首の後ろにあてがう。ひんやりとした感触が吸い付くように首筋に触れて、そのまま固定された。

「既に気持ち悪ぃんだが」

『我慢してください』

『あの……』

 コールの後ろからソラの声が微かに聞こえて、アウルは眉根を寄せる。ソラはおそらく、シミュレータの管理権限は持たされていないだろう。なぜついて来たのかも、正直よくわからない。シミュレータを使用するだけなら、この確実に人員不足の基地ではコール一人いれば充分のはずだ。

『アウルさん。これから、レクスの記憶を流します』

「は?」

 追い求めてきた人間の名前が思いがけず飛び込んできて、アウルは慌てて動揺を鎮めようとした。シミュレータに神経接続されている時点で、アウルの状態もモニターされているはずだ。ソラはともかく、まだ人となりもよくわからないコールに動揺を悟られたくはない。

「記憶を流すって、どういうことだ」

『飛ぶ感覚を掴むためには、その感覚そのものを追体験するのが一番だろうって、私に飛び方を教えるとき、レクスが記録を残してくれたんです』

「……お前が飛ぶ練習に使っていた記録ってことか」

『はい』

『効果は実証済みということです。始めてもよろしいですか』

 ソラの返答に続いて、コールが淡々と尋ねてきた。何の感情も読み取れないが、あまり待たせるのは得策ではない気がする。それでも一瞬覚悟を決める時間をおいて、アウルは「始めてくれ」と答えた。

『それではシミュレーションを開始します』

 その言葉を聞き終えると同時に、意識のスイッチが切られる。ぱちん、とヒューズが切れたような感覚だった。


 ゆっくりと目を開ける。アウルの意志ではない。誰かが、アウルの身体を乗っ取って目を開けたようだった。あるいは逆なのかもしれない。自分の意識が、他の誰かの身体の中に入って感覚だけを共有している。

 アウルは(あるいは、アウルが入り込んでいる身体の持ち主は)、巨大な止まり木の上にいた。海へ垂直に落ち込む断崖の縁に立つ、T字型の鋼鉄の止まり木だ。海は穏やかで、漣が水平線の彼方まで海を銀色に輝かせている。天候は雲一つない快晴。微かな向かい風が吹いている。飛び立つには最高の天気だ。

 その風の感触を確かめるように、アウルは一つ羽ばたいた。――羽ばたき。この身体は鳥だ。気付いて愕然とした。

 もちろん、理屈としてはわかっていた。詳しい仕様は極秘にされていたが、尾ひれのついた噂ならアウルも耳にしたことはある。その中に幾分かの真実が含まれていることも、ロビンの情報網からわかっていた。

 神経接続で操縦される特殊な戦闘機。流体金属と人工筋肉で作られたその構造は、生物としての鳥に近い。小型飛空艇バードに乗るということは、自分の意識をその機体に憑依させるようなもの。

 しかし、こんなに違和感がないとは。本当に自分自身が巨大な鳥に変身してしまったようだ。

 愕然としている間にも、身体は勝手に動いていく。何度か様子を確かめるように羽ばたいた後、崖下から風が吹き上がるタイミングを見計らって、小型飛空艇バードは止まり木を蹴った。風の塊をかき抱こうとするように大きく広げた翼が、その中に飛び込んできた上昇気流によって一気に空高く運ばれていく。広かった視界が、さらに一気に開けた。

 風を受けやすいように少しだけ丸めていた翼を水平にして、滑空が始まる。自分の意志ではない何かに身体を動かされているような感覚で、確かに気分は良くはないが、だからといって酔うほどでもない。時折羽ばたいて姿勢と高度を調整しながら、小型飛空艇バードは僧院の上空を旋回した。

 鳥になって空を飛ぶ。確かにこれを自分の意志で動かせれば気分は良いだろう。けれど、取り憑かれてしまいそうな恐ろしさも同時に感じる。ちゃんと人間に戻れるのか不安になる。

 そう思った瞬間、ふっと制御されている感覚が途切れた。ぐらりと崩れた姿勢を、アウルは慌てて立て直す。翼はアウルの意志に従って、本当に自分の身体であるかのように自由に動かすことが出来た。

 折良く吹き上げてきた上昇気流に上手く翼が乗ったので、アウルはそのまま旋回を続けることにする。要はグライダーを操縦するのと似たようなものだ。羽ばたくことが出来るのが大きな違いだが、今はそこまで操作出来る気はしない。

(しかしどうすんだよ、これ……)

 このまま天気が荒れなければ、人工筋肉を動かすエネルギーが切れるまで飛び続けることはアウルの操作能力でも可能だろう。シミュレータならその辺の問題はクリアされているだろうから、延々と飛び続けられてしまう。問題はどうやって着陸するかだ。

『ソラ』

 どこか咎めるようなコールの声が、頭の中で響いた。スピーカーの音を拾っているはずのアウルの聴覚からは感覚が切り離されているので、こういう聞こえ方になるのかと考える。

『すみません。制御を戻します。位置情報を更新しますので、瞬間移動したような感覚になると思いますが、プログラムの実行に問題はありませんので、そのまま何もせずにお待ちください』

 コールが少し早口で告げて、次の瞬間視界が大きくブレた。同時にアウルに渡されていた小型飛空艇バードの制御もレクスの記憶に再び乗っ取られる。

 狂った平衡感覚を立て直しているうちに、小型飛空艇バードは旋回しながら風の流れを読んで少しずつ高度を下げ始めた。地面が近づくにつれ、重心を後ろへそらし、尾羽を広げて速度が落ちた分の揚力を維持する。最後には激しく羽ばたきながら、小型飛空艇バードは止まり木の上に着地した。

 ただ記憶をなぞっているだけでも、着地が一番難しそうだとわかる。ちょっとした気流の乱れを両方の翼を別々に操ることで上手くいなし、狭い止まり木の上に戻ってくるなど、空気の流れを目で見ることが出来ないアウルには到底出来そうにない。

『着陸に関しては、もっと広い場所を用意できますので』

 頭の中でコールの声が響いた。そりゃ最初からは無理だろ、と心の中で呟きながら、アウルは目を閉じる。これで最初の訓練プログラムは終わりのはずだ。

 気になるのは、途中で一度制御がアウルに渡されたこと。予定では最初から最後まで、レクスの記憶をなぞるだけだったはずだ。

 もう一度目を開くと、アウルの意識は『自分の身体』に戻っていた。夢から覚めたような心地になりながら、右手を握り、また開いて感触を確かめる。

『お疲れさまでした。初日は長時間の訓練はおすすめしません。一度現実に戻り、改めて訓練計画を策定することを推奨します』

 今度はちゃんとスピーカーからコールの声が聞こえた。

「記録を追体験するだけじゃなかったのか」

『……不測の事態です』

 機械じみたコールの声に、少しだけ人間らしい苛立ちが滲む。

『詳細はソラから説明があると思います。そうですね?』

 そうでなければ許さんと言わんばかりの、冷静だが明らかに怒っている声だった。

『はい、コールさん』

 対するソラはあまり堪えていない様子だ。アウルは深くため息をついて、首の後ろからコネクタを引き抜く。

「なんとなく事情はわかるけどな」

 ソラの性格もこの基地の規律の緩さも、昨日の今日で呆れるほど見せつけられてはいた。

「だからってな。担当外の奴がプログラムを操作できるってどうなんだよ」

『その点に関しては私も……いえ』

 コールは中途半端なところで言葉を切り、何かを誤魔化すように咳払いをする。

『ともかく、今回採取できたデータを元にシミュレータと小型飛空艇バード本体のチューニングを行います。本格的な訓練はそれから始めていただくことになります』

 言葉と同時にシミュレータの扉が開かれ、アウルは暗闇に慣れた目を瞬かせた。

『ソラ、案内をよろしく』

『はい』

 コントロールルームを見上げると、コンソールに視線を落としたままのコールが無表情に告げて、ソラが頷いて部屋を出て行くのが見える。アウルはシミュレータに上がるための足場から飛び降り、ソラと合流するために部屋の出口へ向かった。

 扉を開けると、妙に弾んだ足取りのソラが駆け寄ってくる。

「上に戻りましょう」

 アウルは頷き、ちらりとシミュレータを振り返ってから後ろ手に扉を閉めた。

「さっき何をやったのか、ちゃんと説明しろよ」

「はい。それじゃあ、歩きながら……」

 ソラはやはりどこか機嫌良さそうに微笑んで、アウルの前を歩き出す。いろいろと言いたいけれどまとまらない気持ちを胸の奥に押し込んで、アウルはその後に続いた。

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