臆病であること
「私はエドガー·リヒテル·バランシオ。この第一歩兵隊の兵長をしている。君はジローと言ったかな?」
エドガーは右手を俺の前に差し出した。握手をしようというのだろうか。しかし俺はまだ警戒を解いていない。
この清々しく爽やかなイケメン兵長をまだ信用してはいないのだ。
握手は友好の証と思いきや、とんでもない災難を招くことがある。
例えば、素直に握手に応じたとしよう。
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ここは未知の領域である、名も知らぬ異世界。誰も俺のことを知らず、俺は誰のことも知らない。
この軍隊に置いてかれれば一人ぼっちだろう。
そんな俺に前歯をきらりと輝かせ、救いの手を差し延べるエドガー。
俺はこの男にすがるしかないのだ。
「お、俺ジロー。次男じゃないけどジロー。あ、あの、よろしく」
張り詰めた精神状態から解放され、にやけ面でエドガーの手を握ったその刹那、地面が一周した。
エドガーは油断して警戒を解いた俺に合気を仕掛けてきた。
「バカめ!これは私の罠だ!」
俺はあっという間に地面に張り倒された。
「やられた!やっぱり罠だったか!」
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といった不測の事態に陥る可能性もなきにしろあらず。
決して臆病なわけではないが、寝起きにあれだけの扱いをされたのだ。俺の心中は察していただけるだろう。
某有名スナイパーは、生き残るのに必要な要素に臆病であることを挙げていた。生き残るためならば、その汚名も甘んじて受け入れよう。
では、警戒したまま殻に閉じこもり、握手に応じない場合はどうだろうか。
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「さあ、握手をしようじゃないか」
エドガーは相変わらずのシャイニングスマイルをキープし続けるも、やがて諦めがついたのか、自ら手を引いた。
「そうか、ならば仕方が無い。君の存在は見なかったことにして、我々は帰路へつくよ」
やっと諦めてくれたかと安堵すると同時に、見知らぬ世界で一人ぼっちにされるという寂しさもある。
「あ、そうそう。言い忘れていたけれど、この辺りはワームの巣窟となっている。一匹ならまだしも二匹、三匹と群れをなす場合もあるんだ。せいぜい気をつけてくれたまえ」
俺はそれを聞くとすかさずエドガーの前に回り込み同行を懇願した。
「うん、賢明だよ。我々と一緒なら安全だ。さぁそれでは握手をしよう」
エドガーを疑った俺が馬鹿者であった。後光が差すほどに眩しい笑顔を持ったこの青年の、どこに疑う余地があるだろうか。強がるんじゃなかった。初めからエドガーを信じていればこんなやり取りもする必要がなかった。
俺はエドガーの白く温かい手を強く握りしめたその刹那、地面が一周した。
「バカめ!それも私の罠だ!」
俺は結局地面に張り倒された。
「しまった!心のスキマを突かれたか!」
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うん、やっぱり普通に握手しとこ。
俺はエドガーの手を恐る恐る握った。白く細い手だが、その力強さは伝わってくる。投擲槍を片手で投げ、身の丈ほどの大剣を振り回す、これは武人の手だ。
「さて、ジロー。君に聞きたいことが沢山ある。街までご同行願えるだろうか?」
「え、あ、ああ。もちろん」
なんだ、やけに紳士的じゃないか。最初からそうしてくれよ。
俺がぶつぶつと苦言を呈していると、エドガーは部隊に向けて手で合図した。すると、どこか見覚えのある屈強そうな鎧が馬を引いてきた。
コイツは…。
俺はボロボロになった衣服を見てはっと気付いた。
間違いない、俺を引きずった奴だ。
俺が身構えると屈強な男は兜を脱いで、岩のようにゴツゴツした顔を披露した。
「そう構えるんじゃねぇよ。誰だって過ちはあるだろ。ほれ、お前の馬だ」
脳に響くような低い声に気圧されながらも、岩男から馬の手網を預かった。
確かに引きずられるよりはマシだが。
さて、どうしたらいい。何処ぞのお坊ちゃんじゃないんだから、乗馬など当然未経験である。
「乗れるかい?」
エドガーは俺の心配などお見通しの様子である。
「い、いや、初めてだよ。どうすればいい?」
「簡単さ、馬と仲良くなればいい」
エドガーはひらりと馬に跨った。
よ、ようし、俺も。
片足を鐙に掛け、ひらりと飛び乗ろうとしたその刹那、地面が一周した。馬が唐突に走り出し、俺は地面に叩きつけられたのだ。
「ヒヒーーン!(バカめ!それはオイラの罠だ!)」
「ち、畜生!」
やれやれ、結局こうなるのかよ。