それがキッカケ
「柏餅じゃないんやから!」
俺は相方の胸に手刀をお見舞いした。
するとどうだろう、150人は余裕に入っているはずの会場が一瞬にして凍りついた。相方も凍りついた。もちろん俺も。
え…こんなハズじゃ。
一組に与えられる漫才の時間は5分。そして俺達の漫才が始まって既に5分が経過している。つまりこのツッコミは大オチなのだ。もう見せ場はない。
終わった。
「あ、ありがとうございました~」
相方が客席に頭を下げると壇上が暗転した。
こうして俺のニューフェイスお笑い大賞は幕を閉じる。
暗転する舞台上で相方が小刻みに震えているのが分かる。もちろん先程の大オチにウケているのではない。満席の会場でどんずべりして悔しい思いを堪えているのだ。
俺は相方の肩にそっと手を置き、こう告げた。
「それは涙やない。笑いの汗や。芸人やったら誰でもある、お笑い新陳代謝なんや。汗やったら我慢せずに流そうや」
「う、うるせぇ。お前のせいだ。お前のせいで大恥かいたじゃねーか」
いくら悔しいからって俺のせいにするのは良くない。
「横川はん、そりゃアカンわ。二人で作ったネタなんやから。二人の責任やろ。しゃあないで、また次頑張ろうや」
少しムッとしたが、子供を諌めるようにそう言い聞かせた。
「ふざけんな!何回噛めば気がすむんだよ!それに俺は反対したんだよお前の作ったネタに!だから言ったじゃねーか!絶対すべるって…うう」
横川は堪えきれず大粒の涙を流した。
そう、ネタを作ったのは俺だし、途中何度か噛んでいる。だが、プロだって毎回100%の力を出せる訳じゃない。その辺は理解して欲しいけどな。
「君達!早く下がって!」
俺達が言い合いしていると、舞台袖から係のおっちゃんに注意された。
「横川はん、行こか」
横川は声をかけられるやいなや、舞台袖へ走り出した。
「お、おい」
俺はそれにつられ慌てて追いかけた。
横川は会場を飛び出し、街を抜け、河川敷までの15kmを完走し体育座りで落ち着いていた。
「ヒック、ヒック、ハギワラキンイチッ」
嗚咽の中に某大御所芸人の名前が入っているようだが、きっと気の所為だろう。
「よ、横川はん…大丈夫か?」
「うう…」
俺は横川の隣に座り、静かに声をかけた。
「また頑張ろうや。まだ俺達始まったばかりなんやから。見てみいあの夕日。綺麗で温かいな。芸人にとって何よりも嬉しいお客さんの笑顔のようやで。もっと沢山勉強してお客さんの笑顔を…」
「も…いい」
「え?」
「もういい。お前とは組まない」
「そ、そんな」
「前からお前とはウマが合わないと思ってた。これがいい機会だよ」
「よ、横川はん、俺の一体何があかんねや」
「その横川はんってのを止めろよぉ!」
横川は唐突に俺に飛びかかり馬乗りになった。
「俺は胡散臭いエセ関西弁を使う奴が一番嫌いなんだよぉ!」
エセ…関西弁。
そう、俺は埼玉生まれ秩父育ち、稲穂な奴は大体友達の関東人だ。
「それに、お前には笑いのセンスがないよ。お前とやっても何も生まれない」
俺は横川の言葉に酷くショックを受けた。
センスが…ない?嘘だろ?
幼少時代、肛門にえびせんを突っ込んで「やめられない止まらない!」の持ちネタで一世風靡した俺が?信じられない。
「俺が言いたいのはそれだけだ。じゃあな」
横川はその場から去って行き、俺はしばらく放心状態で草の上で寝そべっていた。
センスがないか。それは横川や会場の客の方なんじゃないか?周りが俺のセンスについてこれていないんだ。
そうだよ。きっとそうだ。
この世界じゃ俺の感性についてこれる奴なんていないんだ。
ちっぽけな世界だな。いっそ異世界にでも飛んで行ってしまいたい。
そんな事を考えているうちに、いつのまにか俺は寝てしまった。