後編
「クレメンス。あなた、やっぱり気づいていたわよね」
ロジーナはお吸物を一口のむと言った。
「なんの話だ?」
クレメンスはロジーナに視線を向けた。
「おかみさんのことよ」
「よろず屋のか?」
「そうよ。あなた、おかみさんの気持ちに気がついていたわよね?」
ロジーナは疑り深いまなざしを向ける。
クレメンスは表情を変えなかったが、内心では少々うんざりしていた。
よろず屋の件は、もう済んだはずだった。
ロジーナはそれを蒸し返しそうとしている。
軽いやきもちならば可愛い。
しかし、しつこいのは困りものだ。
とはいえ、ここで反論しても、火に油を注ぐようなものだ。
クレメンスは知らん顔をして食事を続行させることにした。
「ねぇ、答えてよ。気がついていたんでしょ?」
どうやらロジーナは勘弁してくれないようだ。
物事を深く考え、追求しようとする姿勢は、ロジーナの美点ではある。
だが、こういう方面で発揮されてしまうのは、いささか厄介だった。
女性の煩わしいぐだぐだは、クレメンスの最も苦手とする分野なのだ。
できうることなら、関わりたくない。
しかし、相手はロジーナだ。
無下にするわけにもいかない。
「気づいていたとしたらどうなんだ? 何か不都合でもあるのか?」
クレメンスは少し不愉快な顔をしてみせた。
「やっぱり分かってたのね。信じらんない」
ロジーナは上目遣いにクレメンスを睨みつけた。
クレメンスの眉がピクリと動いた。
「信じられないだと? 私は何もやましいことはしていないぞ」
クレメンスは少しムッとしたような声をだす。
「おかみさんの気持ちを知っていながら、お店に通っていたじゃない」
ロジーナは口を尖らせ、なじった。
「私に好意を持とうが持つまいが、それは女将の勝手だ。私には関係ない」
クレメンスはそれだけ言うと、食事を再開する。
ロジーナは、黙々と食べ続けるクレメンスを、薄い目でじっと睨んでいる。
これは厄介だな。
クレメンスは心の中でため息をついた。
納得いく回答を引き出すまでは、ロジーナのこの状態は続くだろう。
そして、おそらくはどのような回答を与えたとしても、ロジーナは納得することはない。
ロジーナの機嫌がなおるまで、ひたすら謝り続けるしかないのだろうか。
いや、やましいことなど何一つとしてない。
こちらに非がないのに謝るなど、プライドが許さない。
クレメンスは、まだそこまで人生を悟ってはいなかった。
「ロジーナ。他人には嫌われるより、好かれた方が得だとは思わないか?」
ロジーナは無言でクレメンスを睨んでいた。
「向こうがこちらに好意を持っていれば、いろいろと便宜を図ってもらえるだろ? いざという時、多少の無理も利く。違うか?」
ロジーナはさらに薄目になる。
「あなた、おかみさんの好意を利用してたのね」
低い声でクレメンスを見据える。
「利用とは、ずいぶんと手厳しい表現だな」
クレメンスは「フッ」と鼻を鳴らした。
「利用して何が悪いのだ? 私は得をする。女将は喜ぶ。そこには何の不都合も発生しない」
ロジーナがカッと目を見開いた。
何か言いたげに唇を震わせていたが、なんの言葉も出てこないようだった。
クレメンスは素知らぬ顔で食事を続けていたが、内心、ヒヤヒヤしていた。
ロジーナの言い草にカッとして、思わず本音を言ってしまった。
真面目なロジーナにとって、今のような話は納得できなくて当然だろう。
言ってしまった以上、取り消すことはできない。
下手に言い訳しても、聡明なロジーナには見抜かれてしまう。
どうしたものだろうか。
クレメンスは食べながら考えを巡らせていた。
「ロジーナ。私がなぜ村の商店で買い物をするかわかるか?」
クレメンスは箸をおくと、ロジーナを真直ぐ見つめて問うた。
「おかみさんが親切にしてくれるからでしょ?」
ロジーナは口元をゆがめ、冷たい声でこたえる。
「私が利用するのは、よろず屋だけではないぞ」
ロジーナは「フン」と顔をそむけた。
クレメンスはあからさまに大きなため息をつく。
「ロジーナ。もう少し視野を広げなさい。お前や私は、魔術を使って、いつでも簡単に、都や他の地域に移動することができる。どこでも好きな場所で買い物をすることがができる。だが、この村の人々はどうだ? 彼らは私たちのように容易に他の地域へ行くことができない」
ロジーナは視線を落とし、しばらく考え込んでいるようだったが、ハッと顔をあげた。
「私の言っている意味が解るな?」
ロジーナは深くうなずいた。
「私は、これからはよろず屋を利用しない。だが、お前は今まで通り、いや、今まで以上によろず屋を利用しなさい」
ロジーナはこくりとうなずいた。
クレメンスはお茶を飲み干し、「ごちそうさま」と立ち上がろうとした。
「ごめんなさい」
ロジーナがポツリと言った。
そのしおらしい様子に、クレメンスは座りなおした。
「私、考えが浅すぎたわ」
ロジーナはうなだれた。
「わかれば良いのだ」
クレメンは優しく微笑む。
ロジーナは顔をあげ、真摯な表情でクレメンスを見る。
「私が間違ってたわ。これからもよろず屋さんで買い物をしてあげて。お願い」
「そうだな。そうすることにしよう」
クレメンスはロジーナにニッコリと笑いかけると立ち上がり、自分のトレーを持ち上げた。
「だが、当分は遠慮しておこう。行く度にやきもちを焼かれては敵わぬからな」
そう言い残すと「フフフフフ」と楽しそうに笑いながら、食堂を後にした。